『王立宇宙軍 オネアミスの翼』“ロケットを打ち上げる”ことの意味とは?本作に込められた情熱を解き明かす
1987年3月14日。この日、ある1本のアニメーション映画が劇場公開される。そのタイトルは、『王立宇宙軍 オネアミスの翼』。『新世紀エヴァンゲリオン』や『ふしぎの海のナディア』で知られるガイナックスが初めて手がけた、“伝説”の作品だ。
舞台は、架空の惑星にあるオネアミス王国。王立宇宙軍の兵士として、毎日をただボンヤリと過ごすだけのモラトリアム青年シロツグ・ラーダットが、1人の少女との出会いをきっかけにして、宇宙パイロットに志願する……というストーリー。
今年で35周年を迎えたことを記念して、2022年10月28日(金)より『王立宇宙軍 オネアミスの翼』4Kリマスター版が公開中だ。果たして、この作品は何が斬新だったのか?なぜこの作品はいまだに多くの人々の心をとらえ続けているのか?超簡単に解説していこう。
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“しらけ世代”を反映したシロツグ・ラーダット
今でも鮮明に覚えているが、筆者がティーンエイジャーの頃に『王立宇宙軍 オネアミスの翼』を鑑賞してまず衝撃を受けたのは「シロツグ・ラーダットが人類初の宇宙飛行士になる」「王立宇宙軍が有人ロケットを打ち上げる」という壮大なプロジェクトが全く勇壮に描かれていないことだった。
王立宇宙軍はさしずめNASAのような組織だが、オネアミス王国では「なにもしない軍隊」とバカにされている。宇宙に行く意義、ロマンを誰も信じていないのである。
本作が公開される前の1984年には、NASAのマーキュリー計画に従事したパイロットたちを描いた『ライトスタッフ』が封切りされている。主人公チャック・イェーガーをはじめ、7人の宇宙飛行士は実にヒロイックに描写されていた。
だが、森本レオがあの独特な言い回しでモラトリアム青年を体現するシロツグ・ラーダットは、『ライトスタッフ』のパイロットからは程遠いタイプ。状況に身を任せて流されるだけの、全くやる気のない男なのである。
これは、一種の“しらけ世代”の反映と言えるだろう。日本では60年代に激化した政治の季節が沈静化すると、その反動からか社会問題に無関心な若者が現れた。彼らは日本の高度経済成長を支えたモーレツ社員的な風潮とは一線を画し、何に対しても熱くなりすぎず、ノンポリ(ノンポリティカル=政治への無関心)を決め込む。明らかにシロツグは、“しらけ世代”的なキャラなのである。このしらけ世代の定義には諸説あるのだが、一般的には50年代〜60年代前半に生まれた世代のことを指すことが多い。学生運動が終焉を迎えた時代に大学生になった者たちである。
そしてこの世代は、いわゆるオタク第一世代に相当する。
オタクのオタクによるオタクのための映画
プロデューサーの岡田斗司夫(1958年生まれ)、作画監督の庵野秀明(1960年生まれ)、監督の山賀博之(1962年生まれ)、キャラクターデザインの貞本義行(1962年生まれ)……。『王立宇宙軍 オネアミスの翼』中核スタッフは、60年前後生まれのオタク第一世代。SFをこよなく愛し、怪獣や特撮ブームの洗礼を受けた世代である。
彼らは学生運動や政治闘争に参加するかわりに、好きなアニメ映画の公開日に行列して並び、同人誌を買い込み、オタク的な趣味に没頭していった。その中でも“受け手”ではなく“作り手”として圧倒的な存在感を示したのが、ガイナックスだったのである。
ガイナックスについて今さら説明するのも気がひけるが、母体となったのは関西の学生が中心となってアニメ・特撮の製作を行っていたDAICON FILM(ダイコンフィルム)。その作品の中には、庵野秀明が総監督と主演を務めた『帰ってきたウルトラマン マットアロー1号発進命令』も含まれている。
やがて長編アニメーションの企画を立ち上げると、バンダイに出資を取り付けて『王立宇宙軍 オネアミスの翼』の制作費をゲット。製作現場には、今をときめく若き有名アニメーターたちが結集した。まるで、梁山泊に集う強者たちのように。メインスタッフの平均年齢は、20代半ば。プロとしての経験は一切ナシ、溢れんばかりの情熱だけを頼りに、作品作りが進められていったのである。
“ロケットを打ち上げる”ことの意味とは
ポイントとして指摘しておきたいのは、80年代初めはまだアニメーションが市民権を得ていない時代だった、ということだ。監督の山賀博之はインタビューでこんなコメントを残している。
「先ほど、世の中のアニメに対する認知度がゼロだったと話しましたけど、それが2か3くらいになるかも知れないと思っていたんです。「アニメ? そういうのもあるよね」と、世の中のパーツのひとつにはなれるんじゃないかと期待はしていました」(アキバ総研 より抜粋)
またプロデューサーの岡田斗司夫は、「岡田さんにとってロケットとは何ですか?」という質問に対してこう答えている。
「あの時自分が作っていた映画とかアニメとか、一緒にモノを作る行為そのもの。自分たちは意味があると思っているんだけど、歴史的に見れば本当に意味があるのかどうか分からない不安感。…みたいなものの集合ですね」
(NHK・BS2 『BSマンガ夜話』より)
彼らにとってアニメを作るという行為は、自分たちの存在価値を確認する作業であり、それを世の中に知らしめる作業だった。『王立宇宙軍 オネアミスの翼』は、もはや私小説的と言っていいくらいに彼らの祈りが込められた、極めて個人的な作品として作られたのである。
オネアミス王国では「ロケットを打ち上げることなんて、全く意味がないことだ」と揶揄されていた。だがシロツグは、そんな“意味のないこと”に“意味”を見出し、人類初の宇宙飛行士になることに己の存在価値を見出し、ラストシーンで祈りの言葉を唱える。
ロケットを打ち上げることとは、アニメ作りそのもの。だからこそ、クリエイターの感性が自由奔放に表現され、若気の至りがスパークしたこの映画に、当時の(一部の)ファンは熱狂したのである。
断言しよう。『王立宇宙軍 オネアミスの翼』は、プロフェッショナルな仕事が隅々にまで行き渡った、最高のアマチュア映画である、と。
(文:竹島ルイ)
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