(C) 1995 Studio Ghibli

『On Your Mark』コロナ禍の予言となった「流行の風邪」の意味を解説


なぜ物語はループするのか?

では、『On Your Mark』の物語はなぜループするのか? ニーチェの「永劫回帰」を示しているなどの解釈もあるが、筆者個人は「意思」と「希望」を伝えるためにあったと考える。

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なぜなら、少女の救出が成功する、失敗する、そのどちらの道を辿ったとしても、警官2人には「少女を救いたい」という純然たる意志が共通している

その意志とは後述する絶望的な世界で生きていた、彼らにとっての希望でもあったのかもしれない。その「成功しても失敗しても変わらないもの」を示すために、このループの構造があったのではないか。

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また、このループにより意志または希望を示すということは、高畑勲監督の『火垂るの墓』のアンチテーゼという解釈もできる。

『火垂るの墓』では、同じことを繰り返すループが「死んでよかったことは何ひとつない」という冷徹なメッセージにつながっていたと言える。筆者の想像に過ぎないが、高畑勲監督が極めてネガティブにループを提示したからこそ、宮崎駿監督はポジティブなメッセージをループに託していたのかもしれない。

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また、宮崎駿監督は「On Your Mark」の歌詞にある「困難でもやめずに走り出す」というリフレインに触発され、「大いなる誤解をしてみたい」とCHAGE&ASKA側に伝え、受理されたという。

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この楽曲に限らず、往々にして歌というものは同じ歌詞を繰り返すものだが、それをループする物語の構造へと転換したとも言えるだろう。

地上には放射能が溢れ、地下に都市を作り暮らす世界

元々の「On Your Mark」の「位置について」というタイトル、その歌詞は広い解釈ができるものだが、宮崎駿監督は「わざと内容を曲解して作っている」とも明言している。極めて絶望的な世界を構築し、独自の物語を作り出したと言えるだろう。

その絶望的な世界とは、地上には放射能が溢れていて、もう人間は住めなくなっているというものだ。

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地上では「EXTREAM DANGER」という注意書きがあり、装甲車や標識には放射能のマークが描かれている。そこに緑が溢れているのは、1986年に起きたチェルノブイリ原子力発電所事故、その周辺がそうだったことが反映されているという。

加えて、地下では人々が高層ビルが立ち並ぶ都市で暮らしていて、その中心ではカルト宗教のような集団が世界を牛耳っているように見える。

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この地下世界について、宮崎駿監督は「体制批判について保守化している」メタファーを込めたという。それをもって「“ドラッグ”や“プロスポーツ”や“宗教”が蔓延する時代に、言いたいことを体勢から隠すために、隠語にして表現した曲と考えてみた、ちょっと悪意に満ちた映画である」とも言い切っているのだ。

事実、「On Your Mark」の歌詞では「僕らがそれでも止めないのは(僕らがこれが無くせないのは)、夢の斜面見上げて(夢の心臓目掛けて)、行けそうな気がするから(僕らと呼び合うため)」が繰り返される。

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それは、ある一定の価値観や体制(カルト宗教)がはびこるような世界でも、保守的になるのではなく、やりたいことをやるんだという反骨精神の表れと言えるのではないか。

コロナ禍の予言のような「流行の風邪」

宮崎駿監督は、前述した絶望的な世界を描いた上で、「放射能が溢れ、病気が蔓延した世界。実際、そういう時代が来るんじゃないかと、僕は思っていますが、そこで生きるということはどういうことかを考えながら作りました」とも語っている。

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これは、まさに2020年以降の“コロナ禍の世界の予言”とも言えるのではないか。陰謀論や分断や差別がはびこった現実の世界は、この「On Your Mark」で描かれた絶望的な世界の「一歩手前」のように思えるのだ。

しかも、「On Your Mark」の歌詞では「いつも走り出せば、流行(はやり)の風邪にやられた」とも繰り返されている。

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このことについて、宮崎駿監督は「結局は、いつもそこ(流行の風邪の世界)から始まるしかない。メチャメチャな時代にも、いいことや、ドキドキすることはちゃんとある。ナウシカの、“我々は血を吐きながら、繰り返し繰り返し、その朝を越えて飛ぶ鳥”なのです」とも語っている。その意図が、警官2人が翼を持つ少女を救うシンプルな冒険活劇へと転換されたのだろう。

また、宮崎駿監督は、現実の世界では人間は劇中のように地下で暮らすことなく、「地上で病気になりながら住むことになるでしょう」とも冷静に分析していたりもする。

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「地上にはもはや逃げ場がないが、放射能汚染(流行の風邪)とより良く付き合いながら生きていくしかない」。これは”腐海”に覆われた世界を描く『風の谷のナウシカ』をはじめ、人間と自然(または人間の悪しき行動の代償、はたまた戦争後の世界)との共存を描いてきた宮崎駿監督らしさだろう。転じて、やはり現実のコロナ禍の予言に思えるのだ。

その反面、宮崎駿監督は「地球全体の歴史から見れば、人間の問題なんて流行の風邪みたいなものですからね」とも答えていたりする。流行の風邪という言葉は、劇中の警官2人のような「己の身を顧みない行動の大胆さや無謀さ」も示している、という解釈もできるだろう。

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