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【名言・名場面】NHKドラマ「大奥」を振り返る


五代将軍綱吉・右衛門佐編

【あらすじ】
時は流れ、五代将軍綱吉(仲里依紗)の時代。大奥だけに留まらず、城の外でも男を漁る奔放な性格の綱吉は市中で“当代一の色狂い”と噂される。そんな中でも綱吉との間に子を持てずにいた御台は京から大奥中が噂をするほどの美青年である公家出身の右衛門佐(山本耕史)を呼び寄せるのだが、これがまた曲者で……。

4. 「そうか、これは辱めであったか!」

序盤から濡れ場が多めだった綱吉×右衛門佐編。とはいっても、ただ単に話題を集めるために過激なシーンを何度も入れ込んだわけじゃない。いや、むしろ濡れ場が多いという理由で、興味本位にのぞいてきた人に伝えたかったのだと思う。「性的な場面や自分の身体を他人に見られることが、いかに人間の心に負担をかけるか」ということを。

娘を失い、悲しみに暮れている時も、月のものがなくなった以降でさえも世継ぎを生むという使命を父・桂昌院(竜雷太)に強要され続けた綱吉。その心はどんどん蝕まれていき、彼女は大奥の男二人に自分の目の前でまぐわうことを強要する。

それを右衛門佐に「人前で睦み合えというのは辱めにございましょう!」と咎められた際に、綱吉が放つのが「そうか、これは辱めであったか!」というドラマオリジナルの台詞。そして、続けて綱吉は「どうであった、私の夜の営みは」と問う。これは彼女が男たちと睦み合う場面を見てきた私たちにも向けられた問いだ。

この時に仲里依紗が見せた、鬼気迫る演技も目が離せないほどに素晴らしかった。インティマシー・コーディネーターを入れた演出、森下脚本の名台詞、仲の名演技が融合し、多くの人の心を揺さぶったのだ。

5. 「みな上様に恋をしているのでござります」

右衛門佐は綱吉と褥を共にする男たちにいつも「大奥の男たちはみな、上様に恋をしているのでござります」という台詞を言わせていた。その理由を聞き、みんな一瞬にして右衛門佐に心を奪われたことだろう。

桂昌院にまで曲者と言わしめた彼は、自分の力を試すために大奥にやってきた。綱吉の夜伽の相手ではなく大奥総取締の座に就いたのも、もう種馬扱いされたくなかったから。だけど、実はひと目見た時から綱吉に恋い焦がれていたのである。綱吉も右衛門佐に惹かれていたが、搾取され続けてきた二人だからこそ、誰よりも慎重だ。

長きにわたる駆け引きの末に二人が結ばれたのは、互いに生殖という役目から解放された後のこと。その時ようやく、右衛門佐は綱吉に本当の思いを告げる。「上様に恋をしておりましたよ」と。そう、彼はずっと自分の言えない思いを綱吉と褥を共にする男たちに代わりに言わせていたのだ。

この時の無邪気に喜ぶ綱吉の表情がとても愛おしかった。そんな綱吉を抱きしめながら、涙を流し、幸せを噛みしめる右衛門佐も。二人の幸せな時間はほんの一瞬であれど、私たちに大きな幸福感をもたらしてくれた。

6. 「佐には会えましたか?」

かたや原作以上に、綱吉への重すぎる愛を持て余した柳沢吉保を演じた倉科カナ。桂昌院とのシーンは双方ねっとりとした演技を披露し、昼ドラ感が半端なかった。美しく妖艶で何を考えているか一切わからない。そのくせ、綱吉に対する恋心は見え見えだった吉保。

しかし側用人である彼女が綱吉に想いを告げることは叶わない。ただ、そばにいるために綱吉の父である桂昌院の手綱を握っておいたのだろう。

そんな吉保の思いが溢れ出てしまうのが、綱吉編のラストシーン。寝所で「右衛門佐だけが欲得のない慈しみを教えてくれた」と語る綱吉の顔に吉保は濡れ布巾をかぶせ、殺害へ至る。悲痛な面持ちで「私のどこに欲得がございましたでしょうか」と問いかける吉保は恐ろしくも切なかった。彼女もずっと何の見返りもなく、綱吉に尽くしてきたのだから。

バッドエンドとも言えるが、最後の「佐には会えましたか?」という吉保の台詞と表情が圧巻だった。この一言で、吉保は綱吉を楽にして、右衛門佐のもとに送ってあげたのかもしれないという希望も持たせてくれる。

▶︎よしながふみ「大奥」を読む

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