「死ぬまでに観たい映画1001本」全作品鑑賞者による注目作品“7選”
「死ぬまでに観たい映画1001本」という本がある。
これはスティーヴン・ジェイ・シュナイダーが欧米の批評家・映画研究者を集めて、映画史を語る上で重要な映画を1001本選出し解説した本である。
『ショーシャンクの空に』『七人の侍』といった有名作品から、『波長』『極北の怪異』など特定のジャンルに精通していないと耳にしないような作品、さらには『THE CHANTS FOR A SLOW DANCE』『WHISKY GALORE!』といった日本ではほとんど知られていない作品と多種多様な作品が掲載されている。
筆者は先日、本書に掲載されている作品1001本をすべて鑑賞し終わった。じつに11年の時間を要した。
今回は、本書に掲載されている作品の中から印象的だった作品を7本紹介していく。
なお当記事では、2011年に発行された改訂新版掲載作品をベースとする。
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1.『アリス(1988/ヤン・シュヴァンクマイエル)』
映画史を技術の側面から捉えた際に「不思議の国のアリス」は重要な題材といえよう。「不思議の国のアリス」といえば、アリスが何かを口にすると身体が大きくなったり、縮んだりするギミックが特徴的だ。映画史を追っていくと技術発展の題材としてこのギミックに挑戦することが多い。サイレント時代の映画化では、背景となる画にアリスを重ね合わせる。そして、フィルム上で拡大/縮小させることで身体変化を実現させた。
当時の映画化は、演劇のようなセットを用いたものであった。しかし演劇の場合、実体のサイズを変更することは不可能なため、セット側の大きさを変化させることで擬似的にサイズ変更を行う必要があった。映画の登場により、擬似的に人間側のサイズを変更させる技術を獲得したのである。
また1951年にディズニーが製作した『ふしぎの国のアリス』では、主観の視点が実装された。アリスが、イモムシの助言を受けてキノコを口にすると、彼女は急激に大きくなる。この時、アリスの目線で世界が捉えられる。森を見下ろし、巨大になった自分の肉体を確認する画は、当時の実写映画において表現が難しかったといえる。伸縮性を持ち、構図を容易に変更できるアニメの利点が活かされた発明であった。
この主観による演出は20世紀末以降、『アリス・イン・ワンダーランド/不思議の国のアリス』や『アリス・イン・ワンダーランド』などといった作品でCGを用いて実装されることとなる。実写の映像に擬似的な肉体変化を与えられるようになった。後者は3D技術を導入することにより、よりアリスの世界を擬似体験させるものへと進化していった。
「死ぬまでに観たい映画1001本」では、ヤン・シュヴァンクマイエルの『アリス』が選定されている。この映画における、サイズ変化描写はユニークなものだ。アリスが小さくなる際に、人形へと変化を遂げるのである。ストップモーションアニメは、実在するものを用いて現実には困難な虚構を生み出す特性がある。
例えば、アリスが自分の涙で溺れる中、ネズミと出会う場面に着目する。ネズミは彼女の頭で焚き火をする。現実ではありえない状況であろう。だがストップモーションアニメの場合、実物を用いているにもかかわらずそれが可能となるのである。映像技術史と「不思議の国のアリス」の関係性で考えた際に、一見妙な選定に思える『アリス』だが、マスターピースといえる唯一無二な視点がここにあった。
【配信プラットフォーム】
・Amazon Prime Video
・U-NEXT
・Rakuten TV
2.『縮みゆく人間(1957/ジャック・アーノルド)』
映画におけるサイズ変化を心理的側面から捉えた作品がある。それは『縮みゆく人間』だ。リチャード・マシスン原作の本作は、不思議な雲により毎日少しずつ縮んでいく男の物語である。緻密に作り込まれた特撮により、人形サイズになり、さらには蜘蛛ですら巨大な怪獣になってしまうぐらい小さくなってしまう絶望が強烈なことで知られる本作。
しかし一番の発明は、相対的にサイズが大きく離れてしまうと対話すら困難になってしまう視点を映像で表現したところだ。最初は心配してくれる妻との関係もどんどん悪くなり、心理的距離が開いていくように感じる。それが身体的なサイズ差に象徴されていき、彼女の存在が遠ざかっていく。これがより一層の絶望感を掻き立てる。
この心理的表現は、1981年のリメイク作『縮みゆく女』で応用されることとなる。こちらでは妻が縮んでいくのだが、『縮みゆく人間』とは異なる視点に注目したい。妻が縮むことで、社会から見せ物のように扱われていく。買い物する際に群衆の好奇な目が注がれる。子どもたちは、言うことをきかなくなり家庭は制御不能なものへとなってくる。しかし、夫は事態を深刻に捉えていない。彼女にとって家事がより過酷なものになっていることを認知していないのである。つまり、主婦が家族や社会から軽視されている状況のメタファーとしてサイズ差のギミックが活用されているのだ。
このように縮む演出により心理を描くアプローチを発明した『縮みゆく人間』は画期的な作品なのだ。
3.『見知らぬ乗客(1951/アルフレッド・ヒッチコック)』
名作映画100選では、ヒッチコックの『めまい』や『サイコ』がよく選出される。しかし、映画史において重要な作品はこれだけではないと「死ぬまでに観たい映画1001本」では18本もの作品が選出されている。その中で注目な作品が『見知らぬ乗客』だ。
妻のことを鬱陶しく思うテニスプレイヤー・ガイが列車の中で、怪しげな男から交換殺人を持ちかけられる。男はガイの拒絶は無視して、殺人を実行しようとする。遊園地の中で、不自然に立つ男がじわりじわりとガイの妻を追い回していく。彼の行動は大胆不敵で、気がつけば彼女の横にいる怖さが魅力的な作品である。
しかし映画は途中から、白熱したテニス映画へと豹変する。一進一退の攻防が続き、なかなか勝敗がつかない緊迫感を捉え始めるのである。そして、壮絶なメリーゴーランド内での戦いへともつれ込む。次々とスリルの質が変わっていく面白さは、『めまい』や『サイコ』などに退屈さを抱いてしまった映画ファンであっても夢中になることであろう。
【配信プラットフォーム】
・Amazon Prime Video
・U-NEXT
4.『ヴィニール(1965/アンディ・ウォーホル)』
ポップアートの旗手であるアンディ・ウォーホルが映画も製作していたことはよく知られている。日本ではよく、エンパイア・ステート・ビルディングを8時間に渡って定点撮影した『エンパイア』や詩人であるジョン・ジョルノの眠っている姿を5時間に渡って捉え続けた『スリープ』が紹介される。
一方で、スタンリー・キューブリックより前にアンソニー・バージェス「時計じかけのオレンジ」を映画化していたことはあまり知られていない。『ヴィニール』では、一つの空間を分割し、登場人物を移動させることで非行少年が国家により制御されていくまでの過程を描いている。70分、2カットしかない作品であるが、キューブリック版に劣らずパワフルで恐ろしい暴力の世界が紡がれていた。
5.『結婚五年目(1942/プレストン・スタージェス)』
YouTubeのショート動画やTikTokのように短い動画が流行り、『アバター:ウェイ・オブ・ウォーター』『バビロン』など怒涛のように展開が詰め込まれた3時間越えの映画が量産される近年。
「タイパ」の時代だからか、速いメディアが世間の支持を集めているように思える。そんな時代に、『アラビアのロレンス』のような古い作品を観ると、時間の流れがゆったりとしているように感じる。
昔の映画って、ストーリー展開が遅いのではと思う人も少なくないでしょう。しかし、中には今の時代に負けないぐらい速い映画が存在するのだ。
『結婚五年目(パームビーチ・ストーリー)』の冒頭に注目してほしい。結婚式場に主役がいない。タイムリミットが迫っている。花嫁は急いでドレスに着替え、敵を倒しながら結婚式場を目指す。花婿は、車の中で慣れない仕草で衣装を身に纏う。そして、間一髪のところ式場へとたどり着きハッピーエンドを迎える。しかし、テロップで「本当に?」と煽り、本編が始まる。
この一連の流れはセリフなしのアクションとスタッフ紹介のテロップの交差で描かれるのだが、この緩急が心地よく、圧倒されること間違いなし。YouTuber・TikToker必見の映像テクニックがここにあるのだ。
本編もスクリューボールコメディ(ドタバタコメディ)として洗練されており、意識は高いが金はない発明家の夫に、妻が一旦離婚しようと持ちかける。行動力の塊である彼女は暴走特急のように家を飛び出してしまい、夫は彼女を追いかける。こうして始まった珍道中は波瀾万丈である。
例えば、列車の中で猟銃を持った男たちがどんちゃん騒ぎをしており、食堂車の男に皿を投げさせ、それを撃ち抜くゲームを始め、夫婦は巻き込まれてしまうのである。スクリューボールコメディは世界恐慌以降の不安定な世界の中で現実逃避の娯楽として栄えた。
共感できないようなキャラクターと、それが巻き起こす破壊の面白さ。世界が壊れゆく中、笑うしかないような状況を軽妙に描いたジャンルであるが、その中でも本作は群を抜いている作品といえよう。
【配信プラットフォーム】
・Amazon Prime Video
6.『REAL LIFE(1979/アルバート・ブルックス)』
『ファインディング・ニモ』で主人公マーリンの声を担当したアルバート・ブルックスが手がけた『REAL LIFE』は、日本未公開なことが不思議に思うほどユニークな作品である。
アメリカの一般的な家庭に密着するリアリティ番組が始まる。オーディションの結果選ばれた2組の家族を撮っていく内容である。まず、驚かされるのは撮影クルーの姿だろう。まるで映画泥棒でお馴染みカメラ男とボバ・フェットが乗るスレーヴIを足して2で割ったような格好をしているのだ。この滑稽な装置を身につけた者が、ありのままの日常を捉えていくのである。
本作は、日常をエンターテイメント化することで「一般的な家庭」が一般的でなくなってしまいリアリティが薄れてしまう様を風刺している。今や、誰しもがSNSで発信できる時代。インスタグラマーやYouTuberなどといったインフルエンサーは、日常をエンターテイメント化することで富と名声を得る。
一方で、ありのままの日常を見せ続けることで、内なる闇の流しどころを失っていき、鬱になるケースもある。『REAL LIFE』ではエンターテイメントのために映してほしくない場面であってもカメラマンが映し続けることによって家族は鬱に陥っていく。
観られる機会は少ないのだが、『トゥルーマン・ショー』が好きな方にオススメする。
7.『DAVID HOLZMAN'S DIARY(1967/ジム・マクブライド)』
遠山純生「〈アメリカ映画史〉再構築 社会派ドキュメンタリーからブロックバスターまで」にて紹介され、日本でも少し知名度の上がった作品。監督のジム・マクブライドは、大学時代にジャン=リュック・ゴダール『勝手にしやがれ』を観て衝撃を受け、後にリチャード・ギア主演でリメイク作『ブレスレス』を撮ることとなる。そんな彼のデビュー作『DAVID HOLZMAN'S DIARY』はVlog文化を予見したような内容であった。
L・M・キット・カーソン演じるデイヴィッド・ホルツマンは映画のポスターや機材が沢山置かれた部屋の中でカメラに向かってゴダール『小さな兵隊』の言葉を引用する。
「映画とは一秒間二十四コマの真実だ」
自分の人生とは何かを探るためにビデオ日記を作ることになったデイヴィッドはカメラに向かって赤裸々に自分のことを語り、またカメラを持って近所を歩き回る。寝室の場面では、部屋の角を画の中心に持ってくることで立体的な構図を生み出している。Vlogを作る上で参考になるような構図を提示しているところが興味深い。
また、この映画は脚本なしで即興的に生み出された。そのため、撮影を拒絶する者が映り込む場面もある。ただ、それがリアルな反応なのか演技なのかは判断し難いものとなっている。つまり、虚構的存在であるデイヴィッド・ホルツマンを介して映画における見る/見られるの関係を描く。そして、真実や現実がどこにあるのかを突き詰めた作品なのだ。
そのため、誰しもが発信者となれる2020年代に観ると思わぬ発見がある。
発信者として動画や文字をSNSで投げかけ続けたとする。それは自分の本心なのか、それともフォロワーに対する反応を見越した偽りの真実なのか。好きなことをしているようで、それは本当に好きなことなのか。デイヴィッド・ホルツマンが自撮りを通じて自分の中の真実を探すように、本作を観た者はSNSと自己との関係を見つめ直すきっかけになるのである。
最後に
(C)1970 FOUNDATION FOR FILMMAKERS
「死ぬまでに観たい映画1001本」を全て観てみると、映画と映画との繋がりができ、思わぬ発見をすることがある。
最近では、『WANDA ワンダ』のように珍しい作品が上映されることも増えてきた。2023年は『ママと娼婦』の公開が控えている。またサブスクリプションサービスも充実してきたため、近くに映画館やレンタルビデオショップがない方でも本書掲載作品を追うことが簡単になってきている。
「死ぬまでに観たい映画1001本」に興味持った方は、是非とも全作品鑑賞を目指してほしい。見える世界が変わることだろう。
(文:CHE BUNBUN)
参考資料
- 改訂新版 死ぬまでに観たい映画1001本(スティーヴン・ジェイ・シュナイダー、2011/8/31)
- 現代映画用語事典(山下慧、井上健一、松崎健夫、2012/5/28)
Pen (ペン) 「特集:知らなかった、アンディ·ウォーホル」〈2022年10月号〉(2022/8/26) - 〈アメリカ映画史〉再構築: 社会的ドキュメンタリーからブロックバスターまで(遠山純生、2021/4/25)
- 「シャンタル・アケルマン映画祭 2023」4月開催 ゴダール&ジャン・ユスターシュ特集も(リアルサウンド映画部、2023/2/9)
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