©(株)さくらプロダクション/日本アニメーション1992 / ©1992劇場用映画「ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌」製作委員会
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映画コラム

REGULAR

2023年04月01日

『ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌』幻の名作が持つ絶大なインパクトと「危うさ」込みの魅力

『ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌』幻の名作が持つ絶大なインパクトと「危うさ」込みの魅力


今では危うくもある「女性の生き方の選択」の物語


まる子はお姉さんから、ほのぼのとした歌に思えた『めんこい仔馬』に、悲しい5番目の歌詞があることを知り、ショックを受ける。そこでは「育てた馬を戦地へと見送る」こと、つまり「戦争のために」「悲しいお別れをしないといけない」悲劇が歌われていたのだから。

そして、この『めんこい仔馬』の悲しい5番目の歌詞は、まる子とお姉さんとの関係にもリンクしていく。そして、そこには「危うさ」がある。明言は避けておくが、いかにも「昭和」とも思ってしまう、女性の生き方を限定してしまうような、「選択」が描かれているのだから。

ただでさえ人によって価値観が大きく異なる女性の(女性にも限らない)生き方の選択を、1940年と戦時中に発売された童謡『めんこい仔馬』の軍馬の気持ち、いわば「戦争のような苦境や遠い地」になぞらえるということに、今観ると居心地の悪さや不快感を持ってしまう方もいるだろう。

だが、その選択は、お姉さんが迷いに迷っていた上で、だからこそ、まる子が自分の考えをはっきりと口に出したからのものだ。たとえ「悲しい別れ」であっても、それがお姉さんにとって良い選択だと信じていたまる子の気持ちは、むげにすることはできないという方は多いはず。少なくとも、筆者は、この選択を完全に否定することはできない。

そういう意味で、本作は通り一辺倒の「良い話」にもしていない、切なさが残る作品であると共に、1990年代という時代ならではの価値観が表れているという意味でも、とても興味深い内容だ。

「今の時代にはできないし、そうはさせないだろうと思える物語」が紡がれていることこそ、『ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌』の独自の魅力であるし、それはもはや単純な良し悪しだけで語られるものではないと思う。一緒に観た人と議論してみる意義もあるだろう。

子ども頃の記憶がよみがえる喜び

筆者が本作を初めて観たのは(おそらく)幼稚園の頃だった。それでも神保町シアターのリバイバル上映で観て、音楽シーンそれぞれを「あったあった!」と思い出した、いや記憶がよみがえってくる嬉しさがあった。

その中でも特に記憶が鮮明だったのは、父ひろしが披露する『めんこい仔馬』の「山の奥の薬屋さん」の替え歌えだった。家族を心底あきれさせる、実にしょうもない(褒めてる)内容なのだが、そのくだらなさこそ、後に明かされる悲しい5番目の歌詞との対比として生きているとも言えるだろう。

そのように、子どもの記憶に強く植え付けられ、30年近く経っても覚えているほどのインパクトがあるということも、『ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌』が名作であることの証拠だろう。ぜひ、子どもの頃にうっすらと観た記憶があるという方も、存在を知らなかった方も、幻の名作が配信で気軽に観られる、この奇跡のような機会を逃さないでほしい。

▶Netflixで『ちびまる子ちゃん わたしの好きな歌』をチェックする

(文:ヒナタカ)

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