『せかいのおきく』今すぐ観てほしい、“最高に汚く最高に美しい”映画

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「せかいって言葉、知ってるか?」

浪人侍・松村源兵衛が、汚穢屋・中次に尋ねる。読み書きのできない中次は、当然そんな言葉は知らない。

「惚れた女ができたら言ってやんな。俺はせかいでいちばんお前が好きだってな」

惚れた女はいる。その源兵衛の娘・おきくだ。でも、最下層の身分の自分に、そんなことを言える日は来るのか──。

阪本順治の監督30作目となる『せかいのおきく』が公開中だ。阪本監督の作品は、(あまりお上品ではない)市井の人々を、本当に魅力的に描く。

デビュー作『どついたるねん』('89)や『王手』('91)、筆者が0.5秒だけ(エキストラで)出演している『ビリケン』('96)など、大阪・西成界隈を描いた作品群。架空の離島(言葉は関西弁)を舞台にした『ぼくんち』(2003)においては、そのあまりの民度の低さに逆に笑ってしまい、アクの強すぎる各キャラクターを愛し始めてしまう。



今作の舞台は、江戸時代末期の貧乏長屋。浪人侍の娘・おきく(黒木華)、汚穢屋の若者・中次(寛一郎)と矢亮(池松壮亮)らを中心として、話は展開していく。

貧乏長屋が舞台と聞くと、山中貞雄監督の戦前の名作『人情紙風船』('37)を思い浮かべる方もいるかもしれない。事実、阪本監督も「ヒントにした」と語っている。この作品は、貧乏長屋に住む人々を明るくコミカルに描いているが、最後は悲劇的な結末を迎える。悲劇に遭うのは、浪人侍とその妻だ。今作の浪人侍・源兵衛(佐藤浩市)・おきく父娘とオーバーラップする。

おきくは、幸せになれるのか。

おきく

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おきくに、いきなり不幸が襲いかかる。父・源兵衛が刺客に襲われて死に、巻き添えを食って喉を斬られたおきくは、言葉を失う。当然、まだ手話などない時代だ。筆談をしようにも、いちいち墨をすらないといけない。この時代に喋れないという苦労は、現代の比ではない。

おきくを演じるのは黒木華。着物を着た黒木華が、ただただ美しい。今風の派手な顔をした女優さんが時代劇に出ている際の“違和感”が、まったくない。彼女の一見あっさりした顔つきが、本当に時代劇に合う。「この時代の美人さんって、こういう顔だったんだろうなぁ」と思わせる。

「中次の惚れた女性はおきく」ということは述べたが、おきくも中次のことを想っている。両想いである。必然的におじゃま虫になってしまう矢亮が、不憫だ。

おきくは家でひとり墨をすり、大変きれいな字で「ちゅうじ」としたためる。その名前を眺めてジタバタ悶絶するおきくが、あまりにもいじらしくてかわいい。おきくは22歳だが、恋愛観は現代の中学生レベルである。

中次と矢亮

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中次と矢亮の職業は汚穢屋だ。汚穢屋とは、各家庭の厠から糞尿を買い取り、それを肥料として農家に売り歩く仕事である。当然、まだバキュームカーなどはない時代だ。糞尿はひしゃくで桶にくむ。こぼれたら素手ですくう。大事な「売り物」だからだ。

仕事柄、このふたりのシーンはほぼ“うんこ絡み”である。潔癖症の方は、覚悟をして観た方がいい。この作品自体、肥溜めの蓋を開けた“糞尿の海”のアップで始まる。

たびたび映るその糞尿の質感、希釈する際の音に至るまで、あまりにもリアルで、スクリーン越しに匂いまで感じる気がする。美術の原田満生や音響の勝亦さくらが、あまりにもいい仕事をし過ぎている。この作品をモノクロにしたのは、時代劇だからではなく、このあまりにもリアルな糞尿をカラーで見せないための配慮ではないか。

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だが、当初は「うわっ……」と思った糞尿描写も、じきに慣れてくる。怒らせた客に糞尿を頭からかけられたり、逆に嫌な客に糞尿を浴びせかけて逃げるような描写を観るに至り、「どろんこ遊び、楽しそう」ぐらいの感覚になってくる。

シェイクスピアの「マクベス」での有名なフレーズである「きれいは汚い、汚いはきれい」という文言が浮かぶ。そう、きれいは汚い。汚いは……ごめん、噓をつきました。汚いものはやっぱり汚い。

でも、糞尿を飛び散らせながら天秤桶を走って運ぶ中次と矢亮の笑顔は、キラキラしていて本当に美しい。これは噓ではない。

せかいとは

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中次は、「せかい」という言葉自体を知らなかった。

ちょうど同時代を描いた「竜馬がゆく」という司馬遼太郎の有名な小説がある。その中で、坂本竜馬が「日本人」というフレーズを使う。すると仲間たちが「日本人ってなんじゃ。わしら土佐人じゃろうが!」と嚙みつくシーンがある。「日本国」という概念すら希薄だったこの時代に「せかい」という言葉は、庶民には想像すらできなかったと思われる。

源兵衛は言う。「この空のはて、どこだかわかるかい?はてなんかねーんだよ。それがせかいだ」
僧・孝順(眞木蔵人)は言う。「あっちの方に行けば必ず、こっちの方から戻ってくる。そういうものです」

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若者ではなく、達観した先達ふたりだけが「せかい」というものを(なんとなく)理解していることが面白い。源兵衛に言われた中次も、孝順に言われたおきくも「???」という顔をしている。

『せかいのおきく』は、先達から若者へ引き継いでいく物語でもあるのだ。実際に阪本監督作品の常連として、かつては若者を演じていた佐藤浩市や真木蔵人から、寛一郎や池松壮亮への引き継ぎだと思うと、実に感慨深い。

おきくと中次

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中次のために握り飯を作ったおきくだが、届ける途中で荷車とぶつかり、握り飯を潰してしまう。
そのことをおきくは、ジェスチャーで伝えようとする。

「おむすび!」「荷車に!」「どかーんの!」「ぐしゃー!」

必死に身振り手振りするおきくを見て、中次は、かつて源兵衛に言われた言葉を思い出す。

「せかいで!」「いちばん!」「お前が!」「好きだ!」

普通に喋れるはずの中次まで、なぜかジェスチャーで伝えようとする。自らの身分に引け目のある中次は、ダイレクトに言葉で伝えることが怖いのだろう。だから「伝わってほしい半分、伝わらないでほしい半分」の複雑な気持ちからの、“ジェスチャー告白”なのだろう。

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伝わりそうで伝わらないジェスチャー告白は延々続き、やがて雪が降り始める。おきくは、中次を抱きしめる。中次はおきくに「いつか、字を教えてもらえませんか」とだけ、伝える。言葉では無理だが字に書けば、この想いを伝えられるかもしれない。

おきくが読み書きを教える寺子屋に通うようになった中次が最初に教わった字は、もちろん「せかい」だ。

おきくのしあわせ

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父親に諸々反発していたおきくだが、結局は父親に似た男(なにしろ中の人が親子だから)を選ぶところが面白い。

ただ問題は、おきくと中次がとにかく奥手だということだ。特に中次。中次がおきくに想いを伝える日は、いったいいつになることか。おそらく、しびれを切らした矢亮が、憎まれ口を叩きながらもキューピッドになるような気がする。なんだかんだで美男美女のおきくと中次は、ほっといても幸せになるだろう。筆者的には矢亮が心配だ。どうか矢亮にも幸せになってほしい。



とことん汚いのに、切なく美しくかわいい、愛すべき作品だ。このGW、コナンを観るのもいい。マリオを観るのもいい。どちらも間違いなく面白いだろう。だがこれらの作品は、上映館も多いし上映期間も長い。あせって観る必要はない。

だからまずは、騙されたと思ってこの『せかいのおきく』を観に行ってほしい。なにしろ小規模上映作品は、上映期間も短い。

糞尿満載。人も死ぬ。ヒロインも傷を負う。ネガティブ要素はいくらでもあるのに、鑑賞後はすがすがしい気分で劇場を後にするはずだ。だから、早く観に行ってほしい。ボヤボヤしてると上映が終わってしまう。

(文:ハシマトシヒロ)

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