暑い。このままでは死ぬかもしれない。テレビをつければクーラーの使用を推奨されるが、電気代も馬鹿にならない。
だが日本には、古来より伝わる納涼手段がある。それは、“怪談話”だ。怖い話を聞いてゾーッとすることにより、気持ち体温が下がったような気がするという、リーズナブルな冷房法だ。とはいえ、おもむろに友人に電話をかけ「暑いから怪談話をしに来てくれないか」と頼むのも気が引ける。
そんな時こそ、Jホラーを観ることをお勧めする。恐ろしいJホラーを5本、厳選した。これでもう、暑さの中でもクーラーいらずだ。
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1:来る
(C)2018「来る」製作委員会
悪霊退治のお話で主人公が岡田准一。
そう聞くと、めちゃくちゃ強い霊媒師に扮した岡田師範が悪霊どもをちぎっては投げちぎっては投げ……という物語を連想するのではないだろうか。少なくとも、筆者はそうだった。
高速タックルで悪霊からテイクダウンを奪い、チョークを極める岡田霊媒師。いや、円山応挙の昔から、幽霊には「足がない」ということになっている。ない足にタックルは決まらない。ならばと「臨、兵、闘、者、皆、陣、列、在、前!」と九字を切る岡田霊媒師。霊媒師役もかっこいいぜ、岡田師範!
違った。
弱かった、岡田師範。今回の岡田師範の役はやさぐれルポライター・野崎である。単なるライターなので、当然強くはない。岡田師範がこだわる腸腰筋も、この野崎は多分強くない。人間相手のケンカなら強そうな雰囲気もあるが、相手が悪霊ではなす術もない。たび重なる超常現象におびえまくる。
この物語中でもっとも強いのは、松たか子である。超一流の霊媒師・比嘉琴子を演じている。警視庁でもVIP待遇であり、幾多の(悪霊絡みの)難事件を解決してきたものと思われる。そして彼女は、フィジカルもえらい強い。超常現象に狼狽した岡田師範を一撃で殴り倒す。
その際の、彼女のハンドスピード及び師範の吹っ飛び方が素晴らしい。その後もお祓いの邪魔をする師範の腹を躊躇なくナイフで刺し、体当たりで窓から突き落としたりと、なんやかんや強過ぎる。惚れる。
そして、彼女の最大の強みは、その“人脈”だ。彼女のひと声で日本中の霊媒師が集まるクライマックスが、胸熱すぎる。怖がる前提で観たのに、こんなにも血沸き肉躍る物語だとは思わなかった。その霊媒師たちも、仏教・神道・修験道から異国のシャーマンに至るまで、宗派・流派を問わない。
この本来なら対立関係にあるべきライバルたちが、ひとつの強大な敵を倒すために一致団結する様は、「少年ジャンプ」の世界である。その「キン肉マン」や「男塾」的世界観は、多くの日本人の“中二魂”をくすぐるはずだ。
……怪談映画を観て涼しくなるはずが、なぜか中二魂が燃え上がってより暑くなってしまった。だが、怖い場面は本当に怖い。
実は、この作品でもっとも怖いのは“人間”なのである。特に、妻夫木聡演じる「外面だけは良くて完璧なパパを演じるが中身は空っぽでモラハラ気質なクズでバカ」な父親が、最高に恐ろしい。また、妻夫木聡にそういう役をやらせると天下一品である(最大級の賛辞)。
2:忠臣蔵外伝 四谷怪談
なぜか体温が上がってしまったので、今度こそ怖くて震え上がる映画を紹介したい。
日本でもっとも有名かつもっとも恐ろしい幽霊譚でもある「四谷怪談」だ。その「四谷怪談」を、あの『仁義なき戦い』の深作欣二監督が映画化。しかも「田宮伊右衛門は48人目の赤穂浪士だった!」という一説を基に、『忠臣蔵』と合体させるという力技を演じた!
……すでに悪い予感を感じている向きもあるかもしれないが、まずは観てほしい。筆者が深作監督大好きであることを差し引いても、この映画はめちゃくちゃ面白い。「細かいことは気にすんな」なパワーに溢れている。
そもそもの発端となる、浅野内匠頭が吉良上野介に斬りかかる有名な「殿中でござる」のシーン。浅野内匠頭を演じているのが若き日の真田広之であるため、動きがキレキレである。おそらく、各種『忠臣蔵』作品中、もっとも強い浅野内匠頭だ。
浪人となり、日銭を稼ぐために辻で琵琶を弾く佐藤浩市(民谷伊右衛門役)と火野正平が、超絶セクシーである。この時期の佐藤浩市は日本でもっともセクシーな男だったと思うが、問題は火野正平だ。「プレイボーイ」だという噂はよく耳にしていたが、なぜそんなにモテるのかよくわからなかった。失礼ながら二枚目ではないし。
しかし『忠臣蔵外伝 四谷怪談』を観て理解した。そりゃモテるわ。うらやましい。(深作欣二は、男、いや“漢”を、世界一かっこよく撮り上げる監督である)
お岩さん(お岩さんを呼び捨てにすると祟られると教わったので、絶対に呼び捨てにはしない)を演じる高岡早紀が、初めてヌードを披露したのもこの作品だ。当該シーンが映し出された時、映画館に低い地鳴りのようなどよめきが起こった。筆者も、当時地鳴りを起こしたひとりである。とりあえず謝っておく。ごめんなさい。
クライマックスは、当然吉良邸への討ち入りシーンである。それも、赤穂浪士&(幽霊となった)伊右衛門・お岩さん夫妻連合軍によるものだ。
この、かつて対立していた面々が力を合わせてひとつの強大な敵に立ち向かう様は、さながら「少年ジャンプ」の世界である。多くの日本人の“中二魂”に火をつけるはずだ。
……またもや、涼しくならずに熱くなってしまった。こんなはずではない。なにかがおかしい。
3:アイアムアヒーロー
少し趣向を変えてみる。日本の“幽霊”ではなく西洋の“ゾンビ”ならどうだろう。ゾンビなら間違いなく怖いはずだ。即物的だし。直接的だし。幽霊みたいに“見える人にだけ見える”ようなボンヤリした存在じゃないし。理性がなくただ食欲のみで襲ってくるという点も、たまらなく怖いじゃないか。
というわけで、ジャパニーズ・ゾンビ映画の傑作『アイアムアヒーロー』である。
花沢健吾による原作漫画を、“大作漫画の映画化ならまかせろ”の佐藤信介監督が映画化している。さすが佐藤監督、各キャラクターの再現度がすこぶる高い。
特に主人公・鈴木英雄を演じる大泉洋が、漫画からそのまま出てきたとしか思えない。花沢作品の傾向として「追い詰められたダメ人間が一念発起してがんばる」という展開が多い。今作の場合、「売れずにくすぶっていた漫画家の住む世界が、突然ZQN(ゾキュン。ゾンビ的な動く死体)だらけの阿鼻叫喚な状態となる」という展開である。相当に追い詰められている。
だが英雄は猟銃免許を持っており、散弾銃も所持している。生き残った人間が次々とZQNに喰われる中、これは相当なアドバンテージだ。だが気の弱い英雄は、“元・人間”を撃つことができない。
「僕は、世界がひっくり返っても変われない……。もううんざりです、自分に……」
そう言って、英雄は涙を流す。
だからこそ、ふたりのヒロイン(有村架純と長澤まさみ)を守るために「一念発起」してからの英雄の横顔は、男から見ても惚れるぐらいにかっこいい。おそらく、大泉洋史上もっともかっこいい横顔を見せつける。後はもう、襲い来るZQNたちを次々と撃ち殺す。砕け散る頭・頭・頭……。
“ゾンビ映画の神様”であるジョージ・A・ロメロ監督に、この作品を観せたかった。喜んでくれたのではないだろうか。「日本人もやるじゃないか」と、褒めてくれたのではないだろうか。
そんなことを想像したら、筆者は胸が熱くなった。
4:HOUSE ハウス
やはりおかしい。こんなはずではなかった。何を観ても最後は熱くなる。一向に涼しくならない。
今気づいたが、“勝利”で終わる作品ばかりチョイスしていたせいではないか。完全に選択ミスだった。これまでの3作は1度忘れてほしい。
勝利で終わらない映画。願わくは、登場人物が全員死んで終わるような映画……。
……あった。大林宣彦の劇場映画デビュー作『HOUSE ハウス』だ。
「仲良し女子高生7人組が、夏休みに訪れたおばちゃまの家に次々と食べられる」という恐ろしい物語である。
女子高生たちが、井戸に、ピアノに、柱時計に、次々と食べられていく。生首だけになったり、バラバラになったり、指→腕→体と少しずつ食べられていったり……。こう書くと、さぞ正視に耐えない凄惨な地獄絵図が繰り広げられていると思うだろう。
もう最初に謝ってしまうが、めちゃくちゃ正視に耐える。どころか、あまりにもシュールでチープでサイケな映像に、笑いながら観る羽目になる。後に“映像の魔術師”と呼ばれることとなる大林監督の、遊び心に溢れている。いや、全編に渡って映画で遊んでいる。
公開当時、「大人(保守的な評論家たち)は酷評、若者は絶賛」だったというのも、よくわかる。筆者もリアルタイムで、願わくは10代で、この作品を観たかった。
後の大林監督の代表作である「尾道三部作」(『転校生』『時をかける少女』『さびしんぼう』)などを観てもわかるように、監督が本当に描きたいのはオカルトやSF要素ではない。「ほんの一瞬の青春の輝き」みたいなものを、フィルムに落とし込みたかったのだと思う。
少女たちが、ハツラツとキラキラしながら喰い殺されていく。何を言ってるかわからないかもしれないが、そういう映画だ。
笑いながら観て、観終わった後は8月31日のような気持ちになる。夏休みは終わりなんだなと、切なくなる。
5:異人たちとの夏
惜しい。熱くならないだけマシだが、切なくなっても涼しくはならない。やはりジャパニーズ・ホラー・スタンダードである幽霊譚に戻ろうと思う。
奇しくも、先述の『HOUSE』と同じ大林宣彦監督作である『異人たちとの夏』を挙げたい。
“ふと故郷の浅草を訪れた中年シナリオライターが、子供の頃に死に別れたはずの両親と出会う……”
『HOUSE』ではキラキラした少女をフィルムに刻み込んでいた大林監督だが、11年も経つと熟年男女しか出てこない作品を撮るようになった。主人公のシナリオライター・原田に風間杜夫、その恋人に名取裕子、死んだはずの両親は片岡鶴太郎と秋吉久美子が演じている。筆者自身も中年になると、この『黄昏流星群』な世界観が心地よい。
(C)1988 松竹株式会社
芸人から俳優にシフトチェンジし出した頃の片岡鶴太郎が、大変すばらしい。絵に描いたような“江戸っ子の寿司屋”である。もしくは、“リアル両津勘吉”だ。中年男の原田が、両親と会っている時だけ、少し子供っぽい喋り方になっているところがとてもいい。十分に甘えきる前に突然なくなった“両親との時間”を、取り戻そうとしているかのようだ。
だがこの物語は、単なる“ハートウォーミングなファンタジー”ではない。両親と会っている時間は幸せいっぱいの原田だが、現実世界では見るからにやつれていき、そして年老いていく……。“この世のものではない”存在と接触することにより、生気を吸い取られていっているのだ。そのことを理解した両親は、原田に別れを告げる。
大林監督の作品は、“別れ”で終わる作品が多い。両親との別れを2度も経験するという原田の辛さを思うと、胸が潰れそうになる。幸い、筆者の両親はまだ健在だ。今のうちにいっぱい親孝行をしておこうという決意に、胸を熱くした。
関連記事:<リメイク版との比較に>『異人たちとの夏』ノスタルジーとは何か?
熱くしてしまった。1度も涼しくなることなく、5作品を観終わった。やっぱり、クーラーつけてカキ氷を食べれば涼しくなると思う。試してほしい。
(文:ハシマトシヒロ)