インタビュー

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2024年09月06日

運命に導かれし映画の申し子・河合優実と『ナミビアの砂漠』で対峙した金子大地&寛一郎。3人が共有した感覚とは?

運命に導かれし映画の申し子・河合優実と『ナミビアの砂漠』で対峙した金子大地&寛一郎。3人が共有した感覚とは?

’23年の2月、シネマズプラスに掲載された1本のエッセイが大きな話題を呼んだ。表現欲にあふれた1人の高校生が『あみこ』(’17年)という映画と出合い、見えざる手に導かれるように芝居の世界へと足を踏み入れていく過程を綴ったそのテキストは、確かな情景描写と文体のキレもあって、映画好きの界隈に瞬く間に広まっていく。その書き手こそ、今をときめく河合優実だったことは言うまでもない。“ふてほど”=『不適切にもほどがある!』(’24/TBS系)でスポットが当たる1年前のことだった。

そのエッセイがきっかけで、河合と山中瑶子監督の対談も実現。一連のやりとりから着想を得て、山中監督の初の長編映画『ナミビアの砂漠』が誕生した。『第77回カンヌ国際映画祭』監督週間に正式出品、国際映画批評家連盟賞を受賞した話題作の主演を務めるのは、言わずもがなの河合優実。彼女が演じる主人公カナに翻弄される2人の“彼氏”=ハヤシとホンダに金子大地と寛一郎を配し、2020年代の20代が生きる“今”を見事なまでにビビッドに切り撮ってみせる。

そんな3人によるクロストークをお届け。ちなみに当記事の写真を担当したのは、エッセイにも登場する、河合が初めて出演した映画を撮った芝山健太氏。さまざまな縁が紡がれた時間と空間を、できる限りスチールと文字にて活写する。

3人の俳優、それぞれの印象

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──『あみこ』との衝撃的な出合いから初期衝動を突き動かされたことを綴ったエッセイの寄稿、その半年後の山中瑶子監督との対談と……シネマズプラスは勝手ながら河合さんに少なからずご縁を感じております。まずは……山中監督いわく「金子大地さんの芝居は野性的、寛一郎さんは精密的」といった形容をされていましたが、河合さんはどう感じられたのでしょうか?

河合優実(以下、河合):山中さんがお2人のことをそのように評していたのは撮影が終わった後に知ったので、『あぁ、そう見えていたんだ』と思ったのが正直なところなんです。なので、撮影中はそういったことを意識せずにお芝居していたんですけど、振り返ってみると確かに同意できる部分もあって。でも、タイプの違うお2人ですけど、お芝居や作品に対しての姿勢はとても前向きで、ものづくりに対して意欲的なところはすごく共通しているなと、私は感じていました。ただ、“金子さんが野性的”というのは何となく感じていたかもしれないんですけど、寛一郎さんの精密さには気付けていなかったですね。同じお芝居を何度でもできるってすごいことだと思うんですけど、私からは同じふうには見えていなかったし、毎シーン毎シーン新鮮に接していたので、そういう目線ではなかったというのが実際のところでもあって。ただ、スタンスの違いのようなものは確かに感じていて、金子さんとはその場で生まれたものをセッションしていく感覚がありました。事前にいろいろなことを考えて準備してきているであろう寛一郎さんと一緒にシーンをつくるときは、また違う感覚でしたし、私の中ではいい意味で寬一郞さんに対する“恐れ=畏れ”があった気がします。

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寛一郎:あっ、すみませんでした(笑)。

河合:いやいやいや(笑)。でも、恐れって大事だと思うんです。たとえば動物同士が向き合うときって、お互いに警戒しながらも深く真剣に見つめ合うことをしてはじめて、コミュニケーションが生まれて、接触が起こっていくじゃないですか。言葉にしてみると、寛一郎さんとの間には、そういう感覚があった気がするんです。

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金子大地(以下、金子):僕の中での河合さんは、とにかく“強い人”なんですよ。対峙していて『あ、持っていかれる』って思う瞬間が、何回もありました。映画を観ている人もきっと河合さんの吸引力、目の魅力みたいなものを感じとっていらっしゃると思うんですけど、いざ向き合ってみると相当な強さがありました。変に悪目立ちしないように気をつけよう、なんて思ったりしつつも……芝居をしていてすごく楽しかったんですよね。もっと言えば、この映画のお話をいただいて、河合さんと寛一郎くんと一緒に映画を撮れるって聞いたときは本当にうれしかったですし、率直に頑張らなきゃなって思いました。残念ながら寛ちゃんとは現場で一緒になるシーンがなかったんですけど(笑)、河合さんには本当に引っ張ってもらいました。自分たちがやりたいことと作品そのものをどうするか、といったバランスの部分をしっかり話し合える関係というか体制を、河合さんが中心に立ってつくってくれたから、僕としてはすごくやりやすかったです。

河合:撮影が終わってからも、こうした取材の場などでお2人とはお話をする機会が多いんですけど、こんなふうに対等に話ができる世代の近い人たちと共演できたのもなんだかうれしいです。『ナミビアの砂漠』は(山中瑶子)監督も同世代だったし、やっぱり豊かな作品を媒体にしてみんなと繋がれたからか、お2人を含めてすごくいろいろな意見交換ができる現場だったなと思いますし、結構……私は2人のことを観察していたりもします(笑)。

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寛一郎:いやん(笑)。でも、2人とも本当に役者としても人としても尊敬できる方々で。金子くんも言ったように今回は一緒のシーンがなくて、河合さんと2人で芝居することがほとんどだったんですけど、ものすごく落ち着いていますし、何と言うか……“底の見えない”感じだったり、目の奥で静かに燃やしている炎に宿るクレバーさみたいなものを、こうして対面で喋っているときもそうですし、お芝居しているときにも感じているんですよね。そこには安心感とともに、それこそ──ちょっとした“怖さ”もあって。人に対してそういう感覚を抱いたことがあんまりないので、それを刺激という言葉で語っていいのかは分からないですけど、河合さんならではなのかなと思いました。

撮影を振り返って

──その“怖さ”に通ずるかは分かりませんが、カナ(河合)とハヤシ(金子)が修羅場になりかけるシーンで、食卓の上に置いてある熱々のカップ麺をぶっかけられそうな殺気が画面越しにも伝わってきて。金子さんが食卓からどかしたのはアドリブだそうですが、対峙していて凄みを感じたからですか?

金子:何をするか分からないけど、何かしらはしてくるだろうなと感じていたので、カナの話を聞くよりもカップ麺に意識が向いてしまうっていう(笑)。

寛一郎:僕も『あぁ、何かこのカップ麺がすごくコワい……!』と思いながら試写を観ていて。だから、あのタイミングでハヤシ……というか金子くんがテーブルからどかすのって、すごく自然なんですよね。その感性というか勘みたいなものが、すごくしっくりきて。

河合:あのシーンは台本が何回か改稿されていて、カナがカップ麺をこぼして足で踏みつけるっていうパターンもあったのですが、私はカップ麺のこと忘れてました(笑)。でも金子さんのあのアクションは、きっとぶっかけられるパターンの日もあったんだろうなという2人の喧嘩の歴史も想像できてすごくいいですよね。

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──寛一郎さん演じるホンダの献身的な振る舞いも観ていて胸が痛みましたが、山中監督の『精密な芝居ができる』という評をどう受けとめているのでしょう?

寛一郎:自分では、河合さんのような凄みだったり、それこそとっさにカップ麺を動かす金子くんのように豊かな感性を持ち合わせていないんだなと、この映画を観て感じてしまったんですよね……。

金子:いや、でも俺にはあの(カナから衝撃的な言葉を浴びせられたホンダの)崩れ方はできない、と思ったんだよね。

寛一郎:あ、あのシーンは同じような経験をされたスタッフさんから実感のこもったレクチャーがあったから、真に迫る崩れ方ができたんだよね。

河合:そういったスタッフさんの実体験からくるリアリティと同時に、山中さんのフィクションのたのしさ的な感性も随所で発揮されていて。カナとハヤシが引っ越してきたばかりの新居で雑魚寝しながら『俺ら、お互いに高め合えると思うんだよね』って話すところで、『お2人とも、ダンボールに足を乗せてください』という山中さんの演出が加えられているんです。リアルではないけど、なんだか可愛くてささやかでバカバカしいムードを生む感じ。登場人物がそれぞれどういう性格で、そのシーンはどういう空気で──みたいなひとつひとつの描写のチョイスの仕方がとても鋭いけど、自由さや軽やかさがバランスよく散りばめられていて。これがやりすぎちゃうとスベってしまったりもするんですけど、絶妙なサジ加減なのが素敵なんですよね。

俳優・河合優実について

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──確かに……。でも、そこを感じとれる河合さんのセンスであったり、それこそ感性の鋭さも素晴らしいですよね。


金子:それは僕も『サマーフィルムにのって』(’21年)のときから感じていました。その前に撮った『モダンかアナーキー』(’23年/撮影は’20年)では一緒のシーンがほぼなかったんですけど、当時から“強さ”の印象があったんです。まだ、みんな存在に気づいていないけど、きっとこれからすごいことになっていくだろうなという予感がありましたね。

河合:目の前で褒められるって、何だかこそばゆいですね(笑)。

金子:でもね、『サマーフィルムにのって』の現場にいた同世代の俳優陣は、みんな本当にそう思っていたんじゃないかな。ひと言では形容できない存在感を放っている人だなって。

河合:自分ではそんなに変わったとは思っていないんですよ、『サマーフィルムにのって』の頃から。

金子:本人は自覚ないと思うけどね、吸引力があるんですよ、初めて現場でご一緒した頃から。だから、今の注目度は必然だと思っていて。

寛一郎:自分が言うのもおこがましいんですけど、河合さんはすごくクレバーな人で、自分がどう見られているのかも客観的に把握しているんですよね。つまり、しっかりと自分自身を理性的に理解しているんです。なおかつ、理性や理屈を超えたところでハートの熱さを感じさせてくれる人でもあって。そのバランス感覚が本当に素敵だなと思っているんです。

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──すごいのは、作品ごとに纏う空気が変わることですよね。『あんのこと』(’24年)と『ナミビアの砂漠』の2作だけを観ても、人物的な印象が全然違っていて。

寛一郎:本人はカナとは正反対と言っていいぐらい違う人ですけど、映画の中ではカナみたいな『本当はそういう人格なんじゃないか?』って見えるんですよね。もちろん、人間ですからどこかにカナのような部分を持ち合わせているかもしれませんけど、ひとつひとつのシーンと芝居を考えて演じていらっしゃって。それでいて、ゴールへと向かいつつ脱線ではないカタチではみ出して、映画をさらに面白いものにしていこうとされている河合さんと一緒に作品をつくれたことが面白かったし、たのしかったです。

金子:僕からすると、寛ちゃんはどっちかというとホンダよりもハヤシに近いのかなと思ったりしていました。さっきも話したように、台本を読んだときから“崩れるシーン”をどう演じるのか気になっていたんだけど、あそこまで惨めに、しかもユーモアを感じさせる崩れ落ち方を見せてくれて、『おぉっ、そうきたか!』と、いい意味で裏切られたというか。

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──ちなみに河合さんからご覧になって、ハヤシとホンダは同族的な人たちなんでしょうか?

河合:おそらく個々はまったく正反対に近いタイプの人間ですけど、カナとの関係性が似ているのが面白いなと思っていて。もちろん、カナがそういうふうに仕向けているところがあって、無意識に優位に立とうとしているし、優しくしてもらえるような振る舞いをしているから、自然と似たような関係性になっているのかなって。

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──カナとハヤシ、カナとホンダはそれぞれ無意識にマウントを取り合っていたりもしますよね、お互いに。

河合:人が2人一緒にいたら、力関係がどうしても生まれてくるじゃないですか。そういう人間の“性(さが)”というか、恋愛におけるパワーバランスみたいなものを山中さんは描きたかったんだろうなと感じました。撮っているときに2020年代の時代性みたいなものはそこまで強くキーワードと捉えてなかったし、どちらかと言えば普遍性を感じていたりもしましたけど、完成してみると、すべてのシーンに漂っているものが現代的だし、いわゆるZ世代的な文化だったり、何年か後には懐かしく感じてしまうかもしれない“今”の東京が映っている映画になったんじゃないかな、と私は思っているんです。

(ヘアメイク=上川 タカエ<河合>、MEI<金子>、Tsubasa<寛一郎>/スタイリスト=杉本学子<河合>、DEMI DEMU<金子>、坂上真一<寛一郎>/撮影=芝山健太/取材・文=平田真人)

<衣装協力=HEōS, opposite of vulgarity(金子)>

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