「らんまん」田邊、いかがわしい小説のネタになる。「破廉恥校長」とそしられて……<第93回>
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2023年4月3日より放送スタートしたNHK連続テレビ小説「らんまん」。
「日本の植物学の父」と呼ばれる高知県出身の植物学者・牧野富太郎の人生をモデルにオリジナルストーリーで描く本作。激動の時代の中、植物を愛して夢に突き進む主人公・槙野万太郎を神木隆之介、その妻・寿恵子を浜辺美波が演じる。
ライター・木俣冬が送る「続・朝ドライフ」。今回は、第93回を紐解いていく。
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寿恵子は笹のような人
お風呂屋さんの傍の階段は「らんまん」の定番の場所のひとつです。風呂屋の帰りに涼む場所。万太郎(神木隆之介)は寿恵子(浜辺美波)とも座って語らっていましたし、今度は竹雄(志尊淳)と語らいます。長屋時代はよくふたりでこうしていたのでしょう。
万太郎は竹雄に、寿恵子の話をします。明るく威張らず、献身的で、困難に負けない。そんな寿恵子を、万太郎は「笹」に例えます。のちに万太郎が名付けるスエコザサのフラグが立ちました(*伏線はあとあとまで仕掛けたことがわからないもの、フラグはあえてわかるようにしてあるものです)。
家、職場のほかにサードプレイスを持とうと、よく言われますが、場所は人にとってとても大事です。
長屋は大切な場所の最大のものであります。
長屋で、恒例になったドクダミを抜く作業をしながら、丈之助(山脇辰哉)が小説の原稿料が入ったら長屋を出ていくと宣言(例の遊郭の女性も身請けすると)。その様子を見た綾(佐久間由衣)は、ここは出るのも入るのも自由な場所だと感じます。出ていってもつながりは消えることはない。だから、自分も家を出てもやっていけると勇気を持ったのでしょう。
長屋は「広場」ーー民衆の集う場所です。
広場は欧米では確立されていて、そこで様々な人たちが集い、情報を交換したり商いをしたり政治的な話をしたり、ときにはお祭りをしたりします。こういう場所が必要なのですが、日本ではあまりありません。かろうじて神社がそういう役割をしています。劇場もそういう場所であるべきなのです。そして、長屋や団地。
綾の言う「どこでも生きていけるがじゃね」という場所がこの国にもたくさんあるべきなのですが、長屋みたいなものはいまはもうないです。近代化によって、こういう民衆の集う場がなくなってしまっているのです。
という社会的な話と並行して、下世話な流れになっていきます。寿恵子が質屋に行くと、話題の新聞小説の話を耳にします。その話は田邊教授(要潤)と妻の聡子(中田青渚)をモデルにして、かつ、ふたりの純粋な関係を矮小化しているように感じ、心配になった寿恵子が田邊邸に行くと、小説を読んで怒った人たちが抗議に群がっていました。
「破廉恥校長」と大騒ぎな様子は、さながら現代のネット炎上のよう。長屋のような広場の良さもあれば、かつての逸馬(宮野真守)の自由民権運動のような民衆の権利を獲得しようとする活動もあれば、こうやって群がって、勝手に誤解して、何かを潰していこうとする負の動きにもなる。人間が集まることの理想的な面と負の面を同時に描き出しています。
出世競争に打ち勝ち、女学校の校長になって、うまくいってるかに見えた田邊ですが、ここで躓くことになるのでしょうか。小説を見た寿恵子は知らない作家だと言ってましたが、丈之助の筆名だったら……と気になります。彼の小説の話がフラグでありませんように。
田邊と聡子の関係を真実を歪めていかがわしく書いた人が丈之助なのではなく、彼の話は、あくまで、近頃、小説は世の中に多く出回っていて、千差万別、ピンからキリまで、いろいろなレベルのものがあるということで、そこから新聞小説に寿恵子が出会うという流れなのだと思いたいです。
それにしても寿恵子。綾と「八犬伝」の話をしていて、「私なんかなんの取り柄もないの」と、と八犬士の戦いを見守る村人や草むらだと謙遜していました。綾は「本心?」と聞き返し、寿恵子こそ八犬士だと思うのに、寿恵子は自分を卑下する。寿恵子の場合は、その謙遜が決して暗くないのがいいのです。
果敢に、田邊邸に飛び込んでいく寿恵子はやっぱり八犬士です。
(文:木俣冬)
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