「ばらかもん」8話:他人だけど、家族だ。半田(杉野遥亮)のお節介は人を癒す
本記事では、第8話をCINEMAS+のドラマライターが紐解いていく。
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「ばらかもん」8話レビュー
“家族”の定義にまつわる映画やドラマが増えている。直近で言えば、是枝裕和監督の作品が顕著だ。『そして父になる』(2013)、『万引き家族』(2018)、『ベイビー・ブローカー』(2022)など、血の繋がりはない“疑似家族”を主題に、人と人の関係性に克明に光を当ててきた。この「ばらかもん」を象徴するようなキャラクター・なる(宮崎莉里沙)は、祖父と暮らしている。これまで表立って、親の存在は描かれてこなかった。しかし、ここにきて父親・優一郎(岡田義徳)が登場。なるに対して身分を明かさず、謎のおじさんとして振る舞う。
当然、半田(杉野遥亮)は困惑する。なるに「自分が父親だ」と名乗らなくていいのか。肉親だと示したうえで話をしなくてもいいのか。父親は飄々とした態度を崩さず「何を話していいのかもわからない」「観察してるほうが有意義」などと言うばかり。
海の仕事をしているおかげで、島に寄れるのは長くて数日。きっと、離れている間のもどかしさ、別れる瞬間の寂しさを、なるに背負わせるのが忍びないのかもしれない。血の繋がった親なのに、いや、親だからこその身勝手さにも思える。優しさのフリをした、エゴだ。
本来、他人がどう生きようが関係ないと無関心を貫いてきた半田だが、島に来てからというものお節介度合いが増している。
親の話は一ミリも出さず、いつものように明るくあっけらかんとした様子のなるが、殊勝に思えたのかもしれない。せっかく顔を合わせた親子を前に「なんとかしてやりたいが、ただのお節介か?」と悩む半田。ここまで見守ってきた視聴者としては、人間関係に介入するかしまいか逡巡する半田そのものが、微笑ましく思えてならない。
「家族じゃないからって、他人にはならないんじゃないか?」
私たちは、無意識に線引きしてしまう。大事な人を思うとき、手を貸したいと思うとき。「でも、家族でもないのに……」「他人の私がここまでしていいのだろうか」と、にわかに自分の立ち位置を気にしてしまう。介入する“権利”や“資格”が自分にあるのだろうかと悩むとき、人は、一歩を踏み出すのに躊躇する。
しかし、結果的に半田は、お節介を焼くことに決めた。優一郎に対し、ギリギリまで、なるに身分を明かさなくていいのかと水を向ける。近くにいてやらなくていいのか、と問いかける。
優一郎は、最後まで娘に対し、自分が父だと告げることはなかった。しかし、代わりに、自身の名前が書かれた半紙をなるに託す。それは、かつて半田の父・清明(遠藤憲一)が書いたものだった。
自分の誕生日に必ず贈られてくる、飛行機の模型。なるは言葉にせずとも、その送り主に覚えがあった。これまで涙を見せることのなかった彼女が「また来年も、飛行機をくれるかな」と泣く。半田はしっかりと、なるの目を見ながら「他人だけどな、お前には俺がついてる」と伝えた。その頼もしい言葉はきっと、父のいない寂しさを埋め、癒してくれる。
(文:北村有)
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