映画コラム

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2023年09月06日

<2023年必見の映画>『福田村事件』 それでも“世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい”

<2023年必見の映画>『福田村事件』 それでも“世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい”

加害者側の視点を描くこと

©「福田村事件」プロジェクト2023

共同脚本を手がけた佐伯俊道は、当初「被害者の少年の視点から描くこと」を構想していたという。だが最終的にこの映画は、被害者側の視点と加害者側の視点が交互に描かれる構成となった。「デビルマン」では単なる記号でしかなかった加害者もまた、血の通った普通の人間であることを示したかったのだろう。

しかも森達也は、思想・立場によって村民たちを峻別しない。在郷軍人の長谷川(水道橋博士)は「今更なに言ってんだ!自警団さこさえて対処しろつったのは警察だっぺよ!」と絶叫し、村長の田向は「待てと言ったんだ。私は待てと…」とうわごとのように繰り返す。

軍国主義の権化のような男が涙を流し、高潔な理想主義者が言い訳を連呼するのだ。最もリベラルな立場にいるであろう澤田(井浦新)でさえ、最後の最後になるまで傍観者の立場を崩さない。

森達也自身はリベラル派知識人に位置しているものと思うが(たぶん本人はそのようなラベリングを嫌がるだろうけど)、この映画では誰しもが等しくそのメッキが剥がされ、丸裸となる。

©「福田村事件」プロジェクト2023

そこに佇んでいるのは、血と暴力に酔いしれた悪魔ではなく、どこにでもいる、市井の人々の姿なのだ。
まずはもちろん自分を守りたい。自分の家族を守りたい。これがどんどん大きくなって、親戚、友人、同胞、最後は国民とか国とかになる。守りたいという気持ちはとても大切な本能ですが、結構「くせ者」で過剰防衛しちゃうんですね。守るための一番いい方策は攻撃を受ける前に敵を消すことですから。そうやって戦争は起きるし虐殺も起きるんだろうなと思います。

(NHK「クロ現 取材ノート」より抜粋)
森達也は、2003年に「世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい」というエッセイを上梓している。ラジオ番組で「この言葉を、今ご自身ではどのように感じていますか?」と尋ねられた彼は、こう熱っぽく語った。
全くそれは変わっていない。時折言われるんですよ、だったらなんでこんなにひどい世界なんだと。わかっています。だから“もっと”と付けたんです。皆が思っている以上に世界は美しいし、皆が思っているよりも人は優しいんだと。

(TBSラジオ「武田砂鉄のプレ金ナイト」2023年8月25日放送回より)

『福田村事件』が最後の最後で突きつけるのは、絶望でも不寛容でもない。それは仄かな希望だ。

“世界はもっと豊かだし、人はもっと優しい。”

ある意味でこの映画は、20年以上前に書かれたこの言葉を、劇映画という形式で語り直したものと言えるだろう。2023年必見の映画、である。

(文:竹島ルイ)


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©「福田村事件」プロジェクト2023

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