映画コラム

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2023年09月26日

<考察>福田雄一の作家性から紐解く『赤ずきん、旅の途中で死体と出会う。』

<考察>福田雄一の作家性から紐解く『赤ずきん、旅の途中で死体と出会う。』

▶︎『赤ずきん、旅の途中で死体と出会う。』を観る

青柳碧人の人気ミステリ小説を映像化した『赤ずきん、旅の途中で死体と出会う。』が、9月14日からNetflixで配信中だ。

監督を務めたのは、「勇者ヨシヒコ」シリーズや『今日から俺は!!劇場版』(2018)などで知られる福田雄一

そして主役の赤ずきんを演じているのは、『銀魂』(2017)の神楽役をはじめ、『斉木楠雄のΨ難』(2017)の照橋心美役、『新解釈・三國志』(2020)の黄夫人役、『ブラックナイトパレード』(2022)の北条志乃役など、福田雄一作品のミューズ的存在・橋本環奈

そのほか、シンデレラ役の新木優子・王子様役の岩田剛典・ムロツヨシ・佐藤二朗ら福田組の常連が出演している。

【インタビュー】実写映画版『斉木楠雄のΨ難』はこうして生まれた!福田雄一監督インタビュー

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都会派コメディ“三谷幸喜”とアドリブ・パロディ“福田雄一”

福田雄一といえば、今やドラマや映画に引っ張りだこの存在。三谷幸喜と並び称される、コメディ・ドラマの名手だ。だが、その資質と作家性は全く異なる。

三谷幸喜の場合は、映画監督のビリー・ワイルダー<代表作『七年目の浮気』(1955)『昼下りの情事』(1957)『お熱いのがお好き』(1959)>を彷彿とさせる、軽妙洒脱な都会派コメディ。

福田雄一の場合は有名漫画・ゲームをパロディとして解体させていくスタイル。笑いの流儀が完全に別物なのだ。

(C)2019 フジテレビ/東宝

もう少し詳しく書くと、三谷幸喜は「次々とトラブルに巻き込まれていくなか、無事ラジオの生放送を終えらるか」だったり<『ラヂオの時間』(1997)>、「全然ウマの合わないインテリア・デザイナーと大工の棟梁が、協力して新居を完成させられるか」だったり<『みんなのいえ』(2001)>、「記憶喪失となった総理大臣が、かかる難局を切り抜けられるか」だったり<『記憶にございません!』(2019)>、ある特殊なシチュエーションを設定して、そこにキャラクターをはめ込み、精緻なプロットを織り込んでいく。

だから三谷作品における会話劇の面白さは、キャラクターそのものの面白さというよりも、彼らが置かれている状況に起因している。



それに対して福田雄一の持ち味は、コメディというよりはパロディとしての面白さ。「勇者ヨシヒコと魔王の城」(2011)「勇者ヨシヒコと悪霊の鍵」(2012)「勇者ヨシヒコと導かれし七人」(2016)と、合計3シリーズ制作されている「勇者ヨシヒコ」シリーズは、あからさまにRPGゲーム「ドラゴンクエスト」の世界観を参照している。

「勝手に人の家に入り込んでは樽を壊す」というドラクエ的お約束を再現し、それに登場人物がツッコミを入れることで、パロディとしての笑いが醸成されていた。

(C)2020「今日から俺は!!劇場版」製作委員会

『今日から俺は!!』ならヤンキー漫画という世界観を、『新解釈・三國志』なら三国志という世界観をパロディとしてリサイクルし、ツッコミによって解体させる。よって福田作品における会話劇は状況設定から生まれるものというよりも、ボケとツッコミに近い漫才的な面白さなのだ。つまり、アドリブ的なのである。

三谷幸喜の名前を世に知らしめたドラマ「やっぱり猫が好き」(1988〜1991)も、長女役のもたいまさこ、次女役の室井滋、三女役の小林聡美の丁々発止のやりとりが、アドリブ的と言われていた。実際に台本を遅延させることで有名な三谷のせいで、収録に間に合わない時には丸々アドリブで切り抜けた回もあったという。

だがそれは「恩田三姉妹の茶飲話」という設定があってこそ。今やすっかりお馴染みとなった「ムロツヨシや佐藤二朗がひたすらボケ倒し、他のキャラクターがツッコミを入れていく」という、福田作品におけるアドリブとは種類が異なるのだ。

これまで三谷幸喜は、大河ドラマとして「新選組!」(2004)「真田丸」(2016)「鎌倉殿の13人」(2022)を手がけているが、おそらく福田雄一が大河ドラマの大役を預かることはないだろう。

鎌倉時代なら鎌倉時代、戦国時代なら戦国時代と、その時代そのものをパロディにしてしまうはずなのだから。

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