安藤桃子監督インタビュー「東京国際映画祭は、大きな“客船”のような存在」
日本映画をはじめ、世界で注目を集めている作品を数多く上映し、日本映画の振興や国際的な交流を促進する重要なイベントとして、36回目を迎えた今年も、大きく注目を集めている。
日本映画界にとって大きな存在となっている東京国際映画祭で、今年ナビゲーターを務めるのは、映画監督の安藤桃子だ。
安藤監督は、2009年に映画『カケラ』でデビュー。その後、小説「0.5ミリ」を出版し、作家デビューを果たし、同作品を自身で監督・脚本を務め映画化した。また2017年に現在住居を構える高知市にミニシアター『キネマ ミュージアム』や龍馬祈願映画祭を立ち上げるなど、映画界に大きく貢献している。
今回はそんな安藤監督に東京国際映画祭のナビゲーターになったときの心境や、これからの日本映画界についてお話を伺った。
「東京物語」をオマージュした父とのポスター撮影
▶︎本記事の画像を全て見る——東京国際映画祭の“ナビゲーター”のオファーを受けたときの感想を聞かせてください。
安藤桃子監督(以下、安藤):初めてお話を伺ったときは、そんな誉れなことありますか? 身の丈に合っていますか? と何度も確認させていただきました。しかし、こんな光栄なことはないので「ぜひ、よろしくお願いします」とお返事させていただきました。
——就任が決定してからご自身の中で感情の変化はありましたか?
安藤:これまでそうそうたる方々が“アンバサダー”という名称で東京国際映画祭を盛り上げられていましたが、今年からは“ナビゲーター”という名称に変更になったと伺いました。そこからナビゲーターという役割の意味をどう受け止めればいいのか、ナビゲーションの目的地はどこだろう、ということを真剣に考えるようになりました。
▶︎本記事の画像を全て見る
——映画祭の「顔」になるポスターはお父様で俳優・映画監督の奥田瑛二さんとのツーショットと、こちらも話題ですね。撮影時はどんなことを意識されましたか?
安藤:今年の東京国際映画祭では小津安二郎監督の生誕120年を記念した大規模な特集上映やイベントが実施されます。そこで、小津監督の代表作の1つである『東京物語』の父と娘をイメージしたものにというリクエストを受け、私と父でポスター撮影をさせていただきました。撮影時は、ビジュアル監修であるコシノジュンコさんと話し、父の世代から私の世代、そして私たちが生きている「今」が連続して線となって未来へと繋がっていく、ということを意識しました。
レッドカーペットが示すこれからの映画の方向性とは?
▶︎本記事の画像を全て見る——映画祭は監督、スタッフ、キャストにとって特別な意味を持つものなのではないかと思います。今回、ナビゲーターに就任した東京国際映画祭は安藤監督にとってどういった存在ですか?
安藤:そうですね。東京国際映画祭は大きな船のような存在だと思っています。船には東西南北の方向を示す羅針盤があると思うのですが、東京国際映画祭には、角度を表す羅針盤が備わっているようなイメージがあります。1つの映画を観ることで心が動かされたり、刺激になったり、自分でも気づかない変化があれば今はその角度がほんの些細なものであったとしても、将来的には大きな変化となって自分に大きな気づきを与えてくれると思います。
——なるほど。東京国際映画祭は多くの人を目的地に運んでくれる、船のような存在だというわけですね。
安藤:私たちは新型コロナウイルスという、未曽有の事態に直面してきました。ようやく落ち着いたタイミングで世界中の監督やキャストを東京にお招きし開催される東京国際映画祭は、言わば大きな客船ですね。映画を観たゲストお一人お一人の心に明かりを灯す映画祭になればいいなと思います。
▶︎本記事の画像を全て見る
——東京国際映画祭に限らず“映画祭”とは安藤監督にとってどんな存在ですか?
安藤:今回の東京国際映画祭はとても大きな規模で開催される映画祭ですが、世界では小さな規模の映画祭もたくさん開催されています。あらゆる規模の映画祭に足を運んだ経験がありますが、その中でも父の処女作『少女~an adolescent』が上映されるタイミングで父と旅をしたことが印象的です。私はまだイギリスで学生をしていたのですが、通訳として父に同行し、そこで「映画は世界の共通言語」だということを学びました。
無名の監督や、超がつく低予算の中で作られた映画からハリウッドのような想像以上の予算と時間を費やした作品まで、同じレッドカーペットの上を歩くことができるということはすばらしいと感じています。
▶︎本記事の画像を全て見る
——レッドカーペットという言葉が出ましたが、映画祭にはレッドカーペットが存在しています。このレッドカーペットに対してどんな思いを持っていますか?
安藤:レッドカーペットは、映画をナビゲーションする役割を担っていると思います。言い換えると「映画道」なのかな。何を描きたいか、何を届けたいかということがあって映画は生まれます。そしてそれが私たちの心と呼応する。今回の東京国際映画祭のレッドカーペットも、これからの日本の映画界が歩んでいく道、方向性を明るいほうへとナビゲートてくれると思います。
「自分の目がシャッターだったらいいのに」と思った幼少期
▶︎本記事の画像を全て見る——安藤監督といえば、日本屈指の芸能一家なので小さい頃から映画や舞台などの作品に触れる機会が多かったと想像しますが、ご自身の転機になったと感じることがあれば教えてください。
安藤:転機になるような機会が決定的にあったわけではなく、八百屋さんの家庭に生まれれば自然と野菜に囲まれて過ごしていくように、私は映画に触れる環境にあったので、自然と映画に惹かれていったように思います。
——映画は「撮る側」と「撮られる側」、そしてその「両方」という立場があるかと思いますが、安藤監督が映画を撮る側を選んだ理由をお聞かせください。
安藤:今、子どもたちとワークショップで映画作りをしているのですが、一人ひとりどの子も特別な才能を持って生まれてきているんだなということを実感しています。その才能がわかりやすい子もいれば表に出にくい子もいますが、必ずどの子も才能を持っています。
私もとにかく映画が好きという気持ちが物心ついたときから溢れていて、テレビの画面を連写し、カメラに収めていました。1つの場面を切り取るという作業を衝動的にやっていたんでしょうね。その頃から目がシャッターだったらいいのに、自分の目の前のことがすべて録画されていたらいいのにと思っています(笑)。
▶︎本記事の画像を全て見る
——それは映画監督ならではの感覚ですね。
安藤:一日が終るときにその日のできごとがスローモーションで回想されたり、活動写真のように1カット、1カットで見えたり、また印象的なことは静止画として鮮明に見えたりするんですね。その日、1日の記憶からピンと芽が出るような感覚になるときもあります。たぶん、私自身がカメラなんじゃないかなと思うこともあるくらい(笑)。実際にカメラを回していないときもずっと「撮っている感覚」なんだと思います。
——では実際に映画を撮るとなると、体全体から思いが溢れる感じなのでしょうね。
安藤:映画を撮るということは、日々の印象的な映像や場面、これまでインプットしたものが出てきて、それを映像として残していく、紡いでいくという作業に入っていく感じです。
親になって感じる日本映画界への新たな想い
▶︎本記事の画像を全て見る——今後、映画界はどんな風になっていくと思いますか?
安藤:撮るための技術が進化してくのでどんどん変わっていくと思います。例えば昔はヘリコプターから撮っていたものを今はドローンで自在に空撮できますし、CGで特殊な映像も撮ることができます。「8K」で鮮明な映像をカメラに収めることのできる視点がさらに広がっていくので、それは大きな変化だと思います。
とはいえ、人間は記憶の産物ですから、思い返したときに「印象」で映像が蘇っていくものです。映画も本来はそっちだと思いますが、やはり技術の進化によって「印象」からより「鮮明で広範囲な映像」が残されていくと思います。
▶︎本記事の画像を全て見る
——最後になりますが、今後の日本映画にこうなってほしいという想いがあればお聞かせください。
安藤:私は山田洋次監督の作品が大好きなんですが、山田監督の作品は人の葛藤や憎しみという気持ちに真摯にレンズを向けるからこそ、作品自体が大きな愛で包まれているように思います。私も人の親になり、子どもたちをはじめ多くの人にとって優しい世界であってほしいと切に願うようになりました。今後の日本の映画界も優しさに溢れ、温かい存在であり続けてほしいなと思っています。
(衣装協力=JUNKO KOSHINO/撮影=渡会春加/取材・文=駒子)
Profile
▶︎本記事の画像を全て見る安藤桃子
1982年、東京都生まれ。高校時代よりイギリスに留学し、ロンドン大学芸術学部を卒業。その後、ニューヨークで映画作りを学び、助監督を経て2009年『カケラ』で監督・脚本デビュー。14年に、自ら書き下ろした長編小説「0.5ミリ」を映画化。同作で報知映画賞作品賞、毎日映画コンクール脚本賞、上海国際映画祭最優秀監督賞などを受賞し、国内外で高い評価を得る。『0.5ミリ』の撮影を機に高知県に移住。
■「東京国際映画祭」
10月23日(月)~11月1日(水)までの期間に開催公式HP:https://2023.tiff-jp.net/ja/
無料メールマガジン会員に登録すると、
続きをお読みいただけます。
無料のメールマガジン会員に登録すると、
すべての記事が制限なく閲覧でき、記事の保存機能などがご利用いただけます。