同世代俳優たちの競演 間宮祥太朗が受けた刺激
ある宿泊所に集められた劇団「水滸」の7人の劇団員たちとひとりの“外部”の役者。「閉ざされた大雪の山荘で連続殺人事件が起こる」というシチュエーションの中で最終オーディションが始まる。演出家の指示のもと、演技を続ける7人だが、密室でひとり、またひとりと姿が消えていく。これは本当にオーディションなのか、それとも連続殺人事件なのか。
展開されるのは複雑な会話劇と個性のぶつかり合い、多重に組まれたトリック。その中で明らかになる真実とは。
今回、劇団「水滸」のトップ俳優・本多雄一を演じる間宮祥太朗に話を聞いた。
読み物としておもしろい、でも映像化を考えると
▶︎本記事の画像を全て見る——本作への出演を決めたのはどういった経緯だったのでしょうか。
間宮祥太朗(以下、間宮):企画プロデュースの大畑(利久)さんが直接「この役を間宮くんにやってほしい」と言ってくださったのが最初でした。そのときに主演がシゲ(重岡大毅)だと聞いて。10年ぐらい前に映画『溺れるナイフ』を観たときからシゲとはいつか一緒に仕事をしたいと思っていたんです。大畑さんとの関係性、そしてシゲが主演というこの2点でお引き受けしたいな、と思いました。
——脚本を読まれたときの印象はいかがでしたか。
間宮:もちろん、読み物としておもしろいんですけど、映像化することを考えながら読んだので、大変な部分もありそうだな、と感じたのが正直な感想です。
「トリックが二重三重に張り巡らされていく」と謳っていますけど、演技の上に演技を重ねるような構造なので、それを現場でどう作っていくのかは考えていましたね。シゲ以外のキャストについてはあとあと聞いたんですが、だいたい共演したことがある方たちが揃っていたので、ずっと一緒にやってきている劇団「水滸」という空気感に関しては問題ないかな、と思いました。
カリスマ性の中に覗かせる愛らしさ
▶︎本記事の画像を全て見る——今回、演じられた本多雄一は劇団「水滸」のトップ俳優という役どころです。間宮さんご自身はどのように役を捉えていらっしゃいましたか。
間宮:役単体だけではなく、長年やっている劇団の中で「本多はどういう存在なのか」という考え方もあると思っていて。
台本の中にも、役柄としては「カリスマ性があって実力を兼ね備えた看板役者」と言われているけれど、劇団員のセリフには本多の弱点を指摘するようなものもあったりして、そこが劇団内でのリアリティだったりするんですよね。
ざっくり言うと、ちょっと渋めの顔をしつつ、「なんであいつずっとカッコつけてるんだ?」みたいな雰囲気になるといいな、と思いました(笑)。自分ではいろんなことを分かっているつもりではいるんだけど、意外とそうでもない、みたいな愛らしさのようなものが滲ませられたらいいかな、と。
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——劇団「水滸」の空気感は共演された方も多いこともあって、自然と作られていったんでしょうか。
間宮:そうですね。僕もそうですし、話を聞いていると他のキャスト同士も共演していたことも多くて。主演のシゲも、ドーンッと入っていって輪を巻き込んで……みたいな感じだったので、雰囲気としては全く問題はありませんでした。
あとは、セリフの中で言うと、普通の距離感の人間が言ったらケンカになりそうだとか、空気が凍りそうなことだけど、こういう間柄だからこその「まあいつものノリだよね?」みたいな絶妙なニュアンスがちょこちょこ入っているんです。でも、いつものノリに合わせているのが苦しいときもあるじゃないですか。
——確かに、あるあるですよね。
間宮:「こう言ったほうがいいのは分かるよ、私そういうキャラだもんね?」と思いつつ、「それいつまでやるの?」という気持ちもちゃんと入っているんです。全体で言うと、そういう小さなひずみがこの作品のベースにつながるのかな、と思います。
役者として「ホームランか三振か」というタイプではない
▶︎本記事の画像を全て見る——今回、いろんな個性の役者が登場するかと思うんですけど、間宮さんご自身が共感する人物はいましたか。
間宮:あえて寄せるなら雨宮(演:戸塚純貴)ですかね。彼らが演技をしているシーンがそんなに多いわけではないので、どういう方法論で、だとかは分かりませんけど、僕は本多のようにホームランか三振か、みたいなタイプではないかな、と。
どちらかというシゲが本多タイプかもしれないですね。その場のライブ感で芝居をして、1テイク前に何をどう動かしたかを覚えてなかったりするんです。例えば、セリフを言いながら、どんなふうに水が入っていたペットボトルを持っていたか、だとか。僕は逆に覚えているタイプで。だから、シゲのことが羨ましいな、と思う部分もありますし。その点、雨宮が1番つながりだとかをちゃんとわかっていそうな気がします。
——重岡さんと一緒に演技をしてみたかったというお話もありましたけど、実際にやられてみていかがでしたか。
間宮:本人の言葉を借りれば、芝居は生き様がでる。彼にしたらライブもそうですけど、本当に自分が持っているものをぶつけよう、という感じなんです。演技としてどう見せるか、それこそ繋がりがどうとかじゃなくて、「この想いを目の前にいる祥太朗に!」ということなんですよね。
だから、目が合っているとすごく真っ直ぐに入ってくるんです。そこはやっぱりシゲの魅力だな、と思いますし、芝居を見て「いいな」と思っていたときの印象と近しいです。
——刺激にもなった部分もありますか。
間宮:やっぱり瑞々しさがありますよね。野球で言う球が生きている、じゃないですけど、そういう感じがありました。
役者への憧れも変化している
▶︎本記事の画像を全て見る——役者たちが主人公とも言える作品です。重岡さん演じる久我が本多に憧れているというシーンがありましたが、間宮さんが役者に憧れを感じていた時期というのは覚えていらっしゃいますか。
間宮:憧れが強かったのは10代前半から後半にかけて、自分が役者の仕事をしていると認識するまでですね。もちろん、今も憧れに近い感情を持ったりはします。先輩方との共演で「お芝居でこの領域までいけるのか」と思いもしますし、出演作が気になる俳優もいます。
でも、子どもの頃に野球選手に憧れるような感覚で言うと10代の頃だと思います。
——そういう感情は今でもお仕事に活きたり?
間宮:憧れって自分の指針になっているとは思うので、意識的にしろ、無意識にしろ、憧れている方向へ向かいはすると思うんですよね。DNAのように反映されているというか。
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——今は逆に、憧れを抱かれる立場かと思うんですけど……。
間宮:いやいやいやいや(笑)。
——客観的に今のご自身を見てどう思われますか。
間宮:どうなんですかね……。ただ、昔と比べると、役者への憧れが変化してきていると思いませんか?
——えっ、そうですか?
間宮:ずっと遡ったら銀幕のスターっていう感覚じゃないですか。伝説の……みたいな。本当に存在しているかもわからない、どこを歩いているのかもわからない。ただスクリーンの中で圧倒的な華と、存在感を放っていて。それに憧れるのが、僕より前の世代の方が俳優に憧れる感覚なんじゃないかなと思うんです。僕は映画が好きなので、映画の話をしましたけど。
——なるほど。
間宮:今はいろんな選択肢が増えていると思います。
例えば、僕が仕事を始めたぐらいの頃は、まずは事務所に所属することでスタートラインに立ったというような感覚がありましたけど、今はあまり関係ないのかもしれません。どこの入り口からでもありだし、そういった部分で、役者の存在の仕方が徐々に変わってくるんだろうな、とは思います。
——役者の存在自体が変化していきそうな?
間宮:そうなるかもしれないな、という範疇は出ませんが、時代とともに変化してきていると思います。
(ヘアメイク=三宅茜/スタイリスト=津野真吾<impiger>/撮影=Marco Perboni/取材・文=ふくだりょうこ)
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©2024 映画『ある閉ざされた雪の山荘で』製作委員会 ©東野圭吾/講談社