話題の映画『IT』の魅力を分析する恐怖のピエロが世界を席巻!

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予告編が解禁されるやいなや、24時間の再生回数が驚異の1億9700万回を記録。その勢いを保ったまま全米で公開されると、ホラー映画としては歴代No.1となる1億1700万ドルのオープニング興収をマーク。さらに、日本での公開ではホラー映画の作品としては極めて異例となる、公開3週目にしてランキング1位を獲得。━━『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』の快進撃が止まらない。

原作は、言わずと知れたアメリカの恐怖小説作家の大御所であるスティーヴン・キングの小説『IT』だ。今回は、“キング史上最恐”と呼ばれる小説の映画化で、R指定作品ながら記録ずくめの大ヒットを飛ばすホラー『IT/イット “それ”が見えたら、終わり。』の魅力に迫りたい。

テレビシリーズから時を超えて生まれ変わった、“最恐”ホラー

おそらく、30代から40代の人にとって「ピエロ=怖いもの」という図式を埋め込められたのは1990年にテレビシリーズとして実写化された『IT』が原因ではないだろうか。実在した連続殺人鬼、ジョン・ゲイシーをモデルにしたキラー・クラウン=ペニーワイズを文字だけの世界から見事映像の世界へと誘うことに成功したテレビシリーズは、少年期と大人期の前・後編のストーリーとして放映。

愛嬌ある仕草から一転して、おぞましい凶行を見せる殺人ピエロの姿は小説と同様に視聴者を恐怖のどん底に叩き落し、“ピエロ恐怖症”を広めるきっかけにもなった。筆者自身、子どもの頃にリアルタイムで視聴して以来、恐怖症まではいかないものの確かにピエロに対してどこかで「不気味な存在」というイメージが植え付けられた。

そんな、キングの代表作の1つにも挙げられる『IT』がリメイクされると聞いた時には正直驚いた。キング作品は人気コンテンツだけあって定期的に映画・ドラマ化されているが、“よりによって”殺人ピエロに白羽の矢が立つとは。しかも監督に抜擢されたのが、あのギレルモ・デル・トロに見いだされ、ホラー映画『MAMA』を手掛けたアンディ・ムスキエティというのだからスタジオ側の“本気度”がうかがえる。

Mama (字幕版)

『IT』のリメイクとあって、最も気になるところはおそらく終盤の“アレ”についてだと思うが、それはひとまず後述するとして。テレビ版では現代期からの回想として前編の物語が始まったが、今回のリメイク版では完全に幼少期に話を絞ってストーリーが立ち上がる。テレビ版でもインパクトを残した排水溝でのペニーワイズ登場シーンは、本作でもしっかりと踏襲。

最初の犠牲者となる少年の腕が“それ”によって喰いちぎられるという残虐性が、観客を一気に“それ”がもたらす恐怖の世界へと引きずり込むことになる。言うなれば序盤からスムーズに道筋を立てると、そこからはもはや“それ”の独壇場だ。

1人、また1人と少年少女が町から姿を消していく様子は災厄と呼べるレベルで、そこには必ず“それ”の影がつきまとう。“それ”の正体を確かめようと団結する少年少女たちを嘲笑うかのように“それ”は彼らの恐怖心の中に現れ、悪夢を具現化したような幻覚を見せつけて、恐怖心を増大させる。この辺りの演出は、『MAMA』でも見事なホラー描写を見せつけてくれたムスキエティ監督の手腕が存分に発揮されるところだ。

『MAMA』にも通じる恐怖の対象の描写、造形そのものには思わず背筋が凍るものだが、静と動を巧みに取り混ぜたムスキエティ監督の演出は、キングという神の手を借りる形で格段の進化を遂げて観客を脅かす。

本作はメインキャラクターが多いにも関わらず1人1人に背景となる物語が存在していて、その物語を介して“それ”は襲ってくる。そのため、それだけ“それ”が姿を見せるタイミングは多くなり、それでいてストーリーを破綻させることなく恐怖シーンのつるべ打ちになるのだから観客は気が休まる暇がない。

しかも現代ホラー映画にありがちな過剰感や嘘くささはなく、あくまで物語に実直なまでに、必要上の演出しか施さない。それでも観客に息つく暇を与えない怒涛のシーンの連続になっているので、いかにこの作品が一級のホラー映画として成立しているかが分かるはずだ。

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束縛から逃れようとする少年たち

『IT』というとペニーワイズがもたらすホラー描写のイメージが強調されがちだが、本作の魅力はそれだけにとどまらない。たとえば本作からホラー描写を取り除いたとして何が残るかといえば、大人たちから抑圧を受ける少年少女たちのヒリヒリとしたまでの青春物語だ。

ペニーワイズという悪夢の象徴を通して彼らは成長を遂げることになるが、その“経過”がなくとも彼らは痛みを与えてくるすぐ身近な存在と向き合わなければならない。それが例えば身内であるがゆえに、彼らは目には見えない束縛という名の足かせをつけられて、もがき苦しむ。その鎖を断ち切った先にある彼らの友情は、この時の彼らだからこそ醸し出せるノスタルジーを観客に与えることになる。その感覚が何に近いかといえば、やはり同じキングの代表作である『スタンド・バイ・ミー』だ。

とある死体を探し求めて旅に出た少年たちの姿は、思いのほか本作のキャラクターにも通じるものがあるのではないだろうか。ホラー映画であると同時にジュブナイルとしての側面も持ち、そこで抑圧する者やその鏡写しの存在であるペニーワイズという存在に対して力の限り立ち上がる姿は、観ている側の心を鷲掴みにするはずだ。本作は冒険の物語であり、恐怖という感情に対して子どもたちがいかに立ち向かうかを描いた異形の成長譚でもある。

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アンディ・ムスキエティ監督という名の才能

前述のように、本作はホラー、ジュブナイル作品として“スティーブン・キング節”が全開となった映画だが、そこにストーリーテラーとしての個性を打ち出してきたのがムスキエティ監督だ。実は本作の監督として、当初は『ジェーン・エア』などで知られている日系人監督のキャリー・ジョージ・フクナガの登板が予定されていたが、スタジオ側との意見の相違が原因で降板(脚本家としてクレジットは残っている)。

そこで新たに白羽の矢が立ったのがムスキエティ監督だった。長編作品として本作は『MAMA』以来3年ぶりの作品かつ2作目であり、キャリアとして短く感じるかもしれない。しかし降板劇を経ての人選としては、作品の質としても、興行的な結果から見ても大成功だったことは誰もが知るところだ。では、なぜたった2本の作品でムスキエティ監督がここまで評価されることになったのだろう。その答えこそが、ムスキエティ監督が持つ作家性そのものだったのではないか。

『MAMA』を既にご覧になった方なら分かると思うが、ムスキエティ監督のホラー演出は常にオーソドックスな形を選びながらも実に巧みで、何度観ても背筋をぞわりとさせるような感覚的な恐怖を与えてくる。『MAMA』ではゆらりゆらりと蠢く異形の“ママ”がその恐怖対象であり、まずはそのビジュアルからして不気味さが観客の目を引く。

しかもそれが長身瘦躯の俳優、ハビエル・ボテットを起用した生身の人間から繰り出される動作であり、なおのこと得体の知れない怖気を感じさせるのだ。『MAMA』で発揮された恐怖対象の“グロテスクさ”は『IT』でも活かされており、幾度となく観客の前に姿を現すことになる。それはペニーワイズという形ではなくあくまで“恐怖を感じるモノ”としての存在だが、それが『MAMA』と造形的なものとしても通じているのが興味深い。深読みすれば、それは劇中のキャラクターだけではなくムスキエティ監督自身の恐怖心理が反映されているのかもしれないのだ。

そして肝心のペニーワイズだが、『MAMA』にも増して大胆不敵な演出が多く施されており、その出現率は極めて高い。“ママ”は映画中盤までその存在を匂わせる程度で、それが逆に観客の心に不安感を与え、恐怖心を煽った。それに比べ、冒頭に記したようにペニーワイズはオープニングからその姿を現し捕食者としての狂気をまざまざと見せつけてみせる。そうなると“匂わせる”だけの演出ではなく、あからさまにその存在を誇示した演出が必要となり、結果的にホラー映画のアイコンとしては珍しいほどにペニーワイズが“多忙な状況”になってしまったのだが、ムスキエティ監督はさまざまなシチュエーションや小道具を用意することで常に新鮮な恐怖を与えることに成功している。

よくスピーディーな展開を見せる映画を「ジェットコースター・ムービー」と呼ぶが、本作も言うなれば、ジェットコースターで急降下した先にペニーワイズ、急コーナーを曲がった先にペニーワイズ、といったような、とにかくしつこいくらいにペニーワイズが現れあの手この手で悪夢を見せる感覚に近い。ホラー映画でそんなバランスを成立させるには、映画全体を俯瞰した計算力がなければ成しえないような手腕と言ってもいい。

いくら恐怖演出と言っても過剰になってしまえば感覚的に慣れてしまい、“恐怖に震える”ことから“驚くことが楽しい”という感覚にすり替えられてしまいかねない。それではホラー映画を楽しんでいるだけであって、作品の本質と向き合うことからは目線が逸れてしまうことになる。そこをムスキエティ監督は絶妙な舵取りで、常に劇中の少年少女と同じように観客を恐怖のどん底へと叩き落とすのだからその手腕には驚かされる。

恐怖描写とドラマ性の両立

もう一つ、ムスキエティ監督の起用で合点がいくのが、本作が“家族”のドラマにもスポットを当てていることだ。『MAMA』が斬新なホラー映画となった理由は、形は歪であれ“ママ”という存在を通して母親と子どもの密接な愛情を描いていたからだ。

ホラー映画にドラマを持ち込むことはなかなか難しいが、ムスキエティ監督は異形のモンスターにも愛情を込め、底深い母性や嫉妬心を与えた。その結果、ホラー映画としてバランスを取りながら、ラストでは家族の物語としてしっかりと軸足を取るという離れ業を見せている。その手腕が評価され、本作への起用にも繋がっていることは想像に難くない。では本作の場合、その手腕はどこで活かされたのか。

おそらく既に映画をご覧になった方なら、多くが主人公のビルとその弟・ジョージーの関係性に感情移入したのではないだろうか。映画冒頭で短いシーンながらも兄弟の仲の良さをしっかりと示しつつ、それでもジョージーは本編で“それ”の最初の犠牲者に選ばれてしまう。幼いジョージーが悲鳴を上げ血を吹き出すシーンは、オープニングにしてその衝撃的な展開に、観客の心に大きなインパクトを与え、同時に物語におけるビルの立ち位置を決定づけることになる。

ビルの行動理由は常に“弟のため”であり、それは時に親との軋轢も生んでしまう。それでもビルはなんとか行方不明のジョージーを見つけ出そうと躍起になり、その信念が“それ”への憎しみに変わるとき仲間も巻き込んでしまうほどに盲目な状態に陥いる。

形はどうあれ弟を救いたい一心のビルの視点を通すことで、観客も“それ”への憎悪をビルと共有することになる。だからこそビルが終盤で迎える究極かつあまりにも残酷な選択は、観客の胸を打つことになるのではないだろうか。本作がただのホラー映画ではなく、ドラマとしても成立しているのはこういったキャラクターのバックボーン、背景の成り立ちもしっかりと描いているからに他ならない。しかもその背景ですらペニーワイズの格好の餌として機能させてしまうのだから、監督の妥協を見せない冷酷な手腕は本作にピッタリのものだったのだろう。

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古きにして全く新しいホラーアイコン、ペニーワイズ

さて、本作のキーマンとも呼べるペニーワイズ。ティム・カリーが演じたオリジナルキャラクターが強烈であったからこそ、新たに演じるにもプレッシャーを感じざるをえなかったはずだ。

しかし、2000年代のホラーアイコンとしての今回のペニーワイズは、見事なまでの“キャラ立ち”を見せてくれたのではないだろうか。演じるビル・スカルスガルドはその名前からも分かる通り、父親にステラン・スカルスガルド、兄にアレクサンダー・スカルスガルドを持つ芸能一家出身のスウェーデン人俳優だ。印象的な顔立ちとスラリとした長身のいわゆる“イケメン”俳優だが、その面影を全く感じさせない変身ぶりには驚かされる。素顔を一切隠したピエロメイクに、フリルのついたどこかお茶目さのある衣装からは想像もできない、或いはそんなビジュアルだからこその恐怖が引き立つ。神出鬼没なだけでなくさまざまな登場方法や不気味な動きが少年たち、さらには観客にインパクトを与えており、古典ホラーと現代ホラーの演出も上手く融合を見せている。こういった“見せ方”から衣装デザインまで、本作でペニーワイズが新たなホラー映画の道筋を示したことは大きな功績として残るはずだ。

そんな恐怖の存在に、執拗に狙われることになる少年たちの熱演も光る。ビルを演じたジェイデン・リーバハーが見せる、弟への深い愛情をたたえた表情は大人顔負けの、憂いを帯びた美しさのようなものがある。

また、一見すると強そうな一本芯を通しているように見えて、実は誰よりも繊細な心を持つ少女・ビバリーを演じたソフィア・リリスの存在感も際立つ。整った顔立ちはやけに大人びた印象も与え、ビルと太っちょの“詩人”・ベンとの間で揺れる少女の機微がにじみ出た雰囲気も、淡い青春模様に華を添えている。

恐怖、サスペンス……耳に突き刺さる音楽

ここで、音楽を担当したベンジャミン・ウォルフィッシュについても紹介したい。本作でジリジリと精神面ににじり寄る不穏な旋律や、迫りくる恐怖を低音の積み重ねで表現したウォルフィッシュは近年、『ライト/オフ』、『アナベル 死霊人形の誕生』、本作、ゴア・ヴァービンスキー監督の最新作『A Cure For Wellness』とホラー系作品への登板が続いている俊英の作曲家だ。

IT イット“それ"が見えたら、終わり。

ウォルフィッシュはハンス・ジマー率いる作曲家プロダクション、リモート・コントロールの一員であり、ジマーとは『ダンケルク』(補作曲)、ファレル・ウィリアムスも加えた『ドリーム』(共作)、『ブレードランナー2049』(共作)でタッグを組むなどして、めきめきと頭角を現してきている(つまり11月前半の時点でウォルフィッシュ作曲のブレードランナー、アナベル、ITの3本が同時に劇場で掛かっていたことになる)。

そんなウォルフィッシュだが、実は邦画作品でもその音楽を楽しむことができる。往年の名作アニメを長編映画化した『GAMBA ガンバと仲間たち』がそれで、プロモーション時には来日も果たしている。ウォルフィッシュは同作品であえて日本的な音楽は避け、ジマーの門下生としては珍しいくらいに正統派のオーケストラサウンドを奏でてみせた。

その手法は以降もウォルフィッシュのスタイルとして確立されていて、『ライト/オフ』以降のホラー作品でもその傾向が強い。そのため本作でも場面に応じ、或いはキャラクターや観客の感情に沿うように真正面から作曲しているので、全編にわたって音楽という目には見えない手法で実直なまでに物語を盛り上げようとしているのが耳を通して伝わってくるはずだ。

まとめ

本作は、原作でいうところの前編に当たる少年期のみを描いた“チャプター1”として幕を下ろす。少年たちの物語としては完結を見せるが、映画としては解決されていない謎も多く残されている。ペニーワイズとはそもそも何者なのか。なぜ誕生したのか。なぜ決まった周期で現れるのか。語られるべき真相とともに、オリジナル版を見慣れた人からすれば、衝撃的なあのラストが今回はどう描かれるのかも気になるはずだ。もしかすると、本作で特殊メイキャップにクレジットされていたアレック・ギリス、トム・ウッドラフJr.の担当作品群に目を凝らしてみるとその一端が垣間見える、かもしれない。

大人になった彼らが、再び向き合うことになる恐怖といかに対峙するのか。続編の公開は2019年に予定されており、少し先にはなるが本作の歴史的ヒットを考えると話題になることは必至だ。来たるべきその日を楽しみに待ちながら、まずは少年少女が恐怖を克服し“それ”に立ち向かっていく姿をしっかりと目に焼きつけてほしい。

(文:葦見川和哉)

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