『誰がために憲法はある』『空母いぶき』で日本国憲法について考えてみよう!

5月3日、今年もまた憲法記念日がやってきました。

元号が平成から令和に替わって最初の憲法記念日です。

日本国憲法は戦後1946年11月3日に公布され、1947年5月3日に施行されました。

つまり、今年で73年目を迎えるわけですが、最近は憲法改正を望む声も日に日に高まってきています。

憲法改正そのものは意外にどの国でも行ってきていることで、その意味では70年以上も同じ憲法を保持してきている日本は稀有なのかもしれません。

しかし各国の憲法改正があくまでもその国独自の基本理念にのっとった範囲内でのマイナーチェンジを施しているだけなのに対し、今回の日本における憲法改正の要求は「基本的人権の尊重」「国民主権」「平和主義」といった日本国憲法三大原理を変えかねない要素も含んでいるといった声もあります。

これら三大原理は根本法理として、たとえ憲法改正がなされたとしても絶対に否定することのできないものと捉えられてはいますが、些細な変化から徐々に、もしくはあるとき一気に全てがガラリと変わってしまうこともよくある道理。

恐らくこれからの日本は改憲派と護憲派に大きく二分し、やがては国民投票によって変えるか護るかが競われることと思われますが、そんな中で1本の映画が4月27日より東京ポレポレ東中野を皮切りに、全国各地で上映されます……

《キネマニア共和国~レインボー通りの映画街376》

『誰がために憲法はある』。それはスペイン内戦を背景に描いたアーネスト・ヘミングウェイの名作小説『誰がために鐘は鳴る』の題名になぞらえつつ、日本国憲法はこれからどのような鐘を鳴らしていくべきか、その方向性を観る人ひとりひとりに委ねてくれるのです。

渡辺美佐子らベテラン演劇陣の
素晴らしいパフォーマンス

(C)「誰がために憲法はある」製作運動体

『誰がために憲法はある』はまず、お笑い芸人・松元ヒロが20年以上にわたって演じ続けている一人語りの舞台『憲法くん』が、現在86歳の名優・渡辺美佐子のパフォーマンスで映し出されていきます。

齢70を越えた憲法くんは、
「わたしというのは、戦争が終わった後、こんなに恐ろしくて悲しいことは、二度とあってはならない、という思いから生まれた理想だったのではありませんか」
と、日本国憲法の前文を暗唱します。

そこには堅苦しさなど微塵もなく、どこかしら哀愁を帯びたユーモアに包まれたものです。

憲法くん自身、自分が変わること自体を無下に否定しているわけではありません。他国と同じように、いずれは変えてしかるべきところは変えていくべきとも言っています。

しかし、それは今なのか?

今、変えようとしている人たちの理念に賛同して変えていいのか?

決して拳を高らかに振り上げることなく、およそ10分ほどの『憲法くん』は終了し、続けて渡辺美佐子さんのインタビューへ映画は移ります。

これまでさまざまな舞台で活躍し、受賞歴も多数。映画でも『果しなき欲望』(58)『真田風雲録』(63)『典子は、今』(81)『TATOO〈刺青〉あり』(82)『月光の夏』(93)などで名演を示し続けてきた渡辺さんですが、彼女は戦時中の幼い日、ひそかに心惹かれていた少年が、疎開先の広島で原爆を浴びて亡くなっていたことを1980年に知りました。

以後、彼女は演劇仲間たちとともに原爆朗読劇を始め、毎年日本各地を巡業し続けています。

映画はやがて2018年の広島の中学校で開催された原爆朗読劇の模様を映し出していきます。

朗読劇の渡辺さん以外のメンバーも、高田敏江、寺田路恵、大原ますみ、岩本多代、日色ともゑ、長内美那子、柳川慶子、山口果林、大橋芳枝といった演劇界の大ベテランばかりで、昭和世代には懐かしい顔ぶれでもあります。
(本作には彼女たちの貴重なインタビューも収められています)

しかし、現実として彼女らの高齢化により、これ以上の活動は難しいということで、2019年の夏をもって、この原爆朗読劇は幕を閉じる予定となっています。

戦争の惨禍を肌で知る世代よりも戦争を知らない世代が圧倒的多数となって久しい現在、彼女たちの生の声を永遠に記録すべく、本作は屹立してもいるのです。

改憲か護憲か
やがて来る日に備えて

日本国憲法に関しては、さまざまな解釈がなされて久しいものがあります。

戦後のアメリカに押し付けられたものという意見もあれば、確かに当時のGHQ司令官マッカーサーから憲法改正を要求されてはいるものの、実際の中身を検討吟味したのはあくまでも日本人であり、その意味でも日本人の手で作られた憲法であるという意見もあります。

今の憲法では自衛隊の存在は違憲なので改正すべきという声もあれば、自衛隊の成立は日本国憲法制定後であり、つまり現行憲法の範囲内で作られたものだから違憲ではなく、改正の必要もなしという声もあります。

また改正論者の中には、現行憲法の理念である国民主権の縮小、戦争放棄の縮小、基本的人権の制限を訴える向きも見受けられます。

こういった現状の中で、渡辺さんたちは戦争を知る世代として、戦争を永遠に放棄し、国民にこそ主権があるのだと定められた日本国憲法が公布されたとき、どんなに嬉しかったか、その感慨を隠すことはありません。

戦争放棄などお花畑もいいところだと揶揄する声もありますが、少なくとも日本は戦後78年、そのお花畑を保持してきました。ならばその年数をさらに引き延ばす努力を続けることのほうが、むやみやたらと敵を作ったりあおったりすることよりも得策ではないのか? と。

現に日本国憲法は海外で、特に内戦も含む紛争の戦禍を体験した国々の人々からすると、奇跡ともいえる理想的憲法であると讃える声を個人的にもよく聞かされます。
(つまりすべての国の憲法が日本と同じ理念のものならば、世界中から戦争を一掃できるのではないかという理想と希望)

以前『映画日本国憲法』(05)を作ったアメリカ人のジャン・ユンカーマン監督(彼はヴェトナム戦争の時代に青春期を過ごしています)は、日本国憲法を「世界中の人々が求めてやまない理想」と讃えつつ、戦争を可能とする改憲案を打ち出す向きに対しては強く批判していました。

逆に今の改憲論議とは、改めて日本人に憲法とは何なのかを問う絶好の機会といえるのかもしれません。

ふと思い出すのが、2005年の戦争映画『男たちの大和/YAMATO』が完成した折の記者会見の席で、司会者が「戦争が起きたら、あなたは戦争へ行きますか?」といった質問を列席した出演者たちに投げかけたとき、監督の佐藤純彌さんが「そんなことよりも、戦争を回避するためにはどうしたらいいかを話し合ったほうがいいんじゃないですか」と返しました。

敵が攻めてきたら戦わずにいられないのはやむなしとしても、そもそも敵が攻めてこないようにすれば戦わずにすむ(即ち人を殺すことも殺されることもなくなる)という、極めて明確な道理。

もちろんそれを永遠に貫くのは至難の業かもしれませんが、日本国憲法そのものが戦争放棄を掲げている以上、その道理を貫かせるために腐心するのが政治家本来の職務であるともいえるではないでしょうか。

本作の井上淳一監督は、「映画を武器に社会と闘う」ことを信条としていた若松孝二監督に師事し、これまで反韓感情がもたらす憎しみの連鎖を描いた『アジアの純真』(11)、東日本大震災に伴う福島の悲劇を様々な側面から捉えた『あいときぼうのまち』(14)、恩師・若松孝二らアナーキーな映画人たちの若き日の姿を活写した『止められるか、俺たちを』(18)などの脚本家として活動。

同時に、戦争の狂気を民衆の側から見据えた『戦争とひとりの女』(13)や、原発事故後の福島で農業を営む家族と東京から赴いた若者たちの対話を収めたドキュメンタリー映画『大地を受け継ぐ』(16)を監督した反骨の映画人です。

その一方では思春期ムービー『パンツの穴 ムケそでムケないイチゴたち』(90)監督や、アクション時代劇の知る人ぞ知る快作『くノ一忍法帖・柳生外伝』(98)脚本など、エンタテインメントにも秀でた才人です。

スタッフもプロデューサーに『アジアの純真』を監督した片嶋一貴、撮影に『HERO』(07)などの蔦井孝洋、ドキュメント部分の撮影は『デスノート』2部作(06)の高間賢治、録音は『銃』(18)の臼井勝、そして音楽には何とカリスマ・ロッカーのPANTA!

こういった日本映画界を代表するスタッフと、渡辺美佐子をはじめとする日本演劇界の重鎮たちがタッグを組んで、今一度、日本国憲法とは日本人にとって何を意味しているのか? を観客に真摯に訴えていきます。

憲法を改正するためには、最終的に国民投票が必須とされますが、それが実行される日はそう遠くないかもしれません。

だからこそ、今はひとりひとりが信念をもって、その日に備えて対峙しておくべきではあり、そのためのテキストとして本作は大きく有効であると確信しています。

現行憲法下で
どこまで防衛は可能か

P.S.
この原稿を書いた数日後に、5月24日公開の映画『空母いぶき』を試写会で見せていただきました。

(C)かわぐちかいじ・惠谷治・小学館/「空母いぶき」フィルムパートナーズ

これぞ「今、敵が日本を襲ってきたらどうする?」をシミュレーションしたポリティカル・バトル・エンタテインメント大作です。

原作はかわぐちかいじの同名コミックで、映画化にあたってはオリジナルの設定がかなり加味されていますが、原作者自身の監修がなされているので、かわぐち色はさほど薄れていないと思われます。

舞台は近未来20〷年の12月23日未明(クリスマス・イヴ前夜。明仁上皇の誕生日でもあり、もっと言うと、東京裁判で東條英機らA級戦犯が処刑された日でもあります)。

沖ノ鳥島の西方450キロの初島が国際的テロ集団によって占領され、空母いぶきを旗艦とする海上自衛隊が出動します。

ここで重要なのは、この作品はあくまでも日本国憲法の範囲内で、自衛隊が敵と対峙しつづけていくということです。

本作では、戦闘行為によって一般国民に犠牲者が出たときが「戦争」の始まりであり、それを回避するために自衛隊が存在しているというスタンスがとられています。

そして現行憲法の下「日本は絶対に戦争はしない」という平和主義をまっとうするために、西島秀俊扮する艦長をはじめとする自衛官らは、専守防衛の枠から逸脱しない必要最低限の戦闘を強いられていきます。

それは味方の命もさながら、敵の命もむやみに奪ってはいけないということでもあります。
(現代社会においては、仮に改憲で戦争ができるようになったとしても、単に勇ましく華々しく戦ってばかりでは世界各国の非難を浴びて孤立してしまうのも必定なのです)

こうした「戦争を避けるための戦闘」に対しても、いろいろな意見があることでしょうし、本作の中でも空母=武器の保有をめぐる国内の賛否が前段として描かれています。

一方で、その空母を導入して良識派からタカ派呼ばわりされつつ、戦後初の防衛出動を命じることに苦悩する総理大臣(佐藤浩市・好演!)の指示で、事態の収束をすみやかに図るべく国連など世界各国に協力要請していくくだりからは、政治家はかくあるべしといった理想も抱かせてくれます。
(そんな政治家が現実にいるかどうかはまた別の話ではありますが……。ただ日本映画は古くから『日本沈没』73、『ゴジラ』84など理想の総理大臣を描くことが多いですね。逆に『皇帝のいない八月』79のように狡猾極まる総理もときどき登場しますが)

現代日本を平和ボケで能天気なお花畑と捉え、だからこそ敵が来たら戦える状態にしておかなければいけないという意見は昔も今も多々見受けられますが、そんな中でこの映画は現行憲法の枠内でどこまで専守防衛を可能とし、お花畑を護ることができるのか、その一つの症例を提示しています。

戦争や戦闘行為を描いた作品は玉虫色の要素もあり、見る人の思想や信条、生き様などで大きく感想も異なってくるものですが、その意味では好戦映画の中に潜む反戦性、反戦映画の中に潜む好戦性も見逃してはならないと思います。

『誰がために憲法はある』と『空母いぶき』もまた、一見真逆の資質を備えた映画のようではありますが、その中から同質の理想を汲み取ることも大いに可能でしょう。

少なくとも私は『空母いぶき』を鑑賞しながら、脳裏で幾度も『誰がために憲法はある』という言葉を反芻させつつ、いつしか人間の叡智さえあれば現行憲法を護持したままの防衛も平和も可能ではないかという希望を見出すようになっていました。

(もちろん「人間の叡智さえあれば」というのが最低必須の条件ではありますけど……)

(文:増當竜也)

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    ライタープロフィール

    増當竜也

    増當竜也

    増當竜也 Tatsuya Masutou 鹿児島県出身。映画文筆。 朝日ソノラマ『宇宙船』『獅子王』、キネマ旬報社『キネマ旬報』編集部を経て、フリーの映画文筆業に就く。 取材書に『十五人の黒澤明』(ぴあ刊)、『特撮映画美術監督・井上泰幸』(キネマ旬報社刊)など。 編集書に『40/300 その画、音、人』(佐藤勝・著)『神(ゴジラ)を放った男/映画製作者・田中友幸』(田中文雄・著)『日記』(中井貴一・著)『日記2』(中井貴一・著)『キネ旬ムック/竹中直人の小宇宙』『同/忠臣蔵映画の世界』『同/戦争映画大作戦』(以上、キネマ旬報社刊) その他、パンフレットやBD&DVDライナーノートへの寄稿、取材など多数。 ノヴェライズ執筆に『狐怪談』『君に捧げる初恋』『4400』サードシーズン(以上、竹書房刊) 現在『キネマ旬報』誌に国産アニメーション映画新作すべてのレビューをめざす『戯画日誌』、『衛星劇場プログラムガイド』誌に、毎月オンエアされる松竹映画名作群の見どころなどを紹介する『シネマde温故知新』を連載中。

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