映画コラム

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2015年05月02日

リクスーはバブル崩壊後?寅さんにみる当時の言葉の興味深い世界vol.6

リクスーはバブル崩壊後?寅さんにみる当時の言葉の興味深い世界vol.6

寅の巻 寅さん 男はつらいよ



どうも。スズキです。

好評を頂いている、映画『寅さん』の時代背景がわかるデータベース『男はつらいよ 寅の巻』から平成生まれの記者が興味深いものを紹介するシリーズ。今回は記者の生まれた年代の雑学を中心に扱っていきます。

当時もスポーツシューズが流行!ニューバランスは1周回った流行か?


第40作(1988年)からは、当時のファッションを取り上げます。スポーツシューズが若者の間で人気だったようです。
スポーツ・シューズ
寅さんが長野県小諸市の大浅間火煙太鼓の縁日で啖呵売しているスポーツ・シューズ。ロス五輪で活躍した陸上選手・フローレンス・ジョイナー愛用と大げさなコピーが寅さんらしい。もともと、陸上用のスポーツシューズが、都会の若者たちに定着、テニスシューズやバスケットシューズなど、競技用のブランド品が、80年代に若者たちのファッションとなった。
参照:第40作 男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日|寅の巻全作品データベース

最近も、ニューバランスのスポーツシューズがファッションに取り入れられていますから、当時の流行が回帰しているということでしょうね。いつの時代もファッションには周期があるんですね。

ウィンナシュニッツエル???


続いて、第41作(1989年)から。不思議な名前の料理が登場しています。ちなみに、1989年は記者が生まれた年です。ようやく追いつけました(笑)
ウィンナシュニッツエル
ウィンナ・コーヒー、ザッハトルテ、と共にウィーン名物として、世界的に親しまれているウィンナシュニッツエル。ビーフやポークのカツレツに、レモンの絞り汁をかけて食べる。ウィーン風カツと呼ばれるが、油で揚げるのではなく、ラードで焼くのがレシピ。もとは、イタリアに遠征したオーストリア軍がミラノ風カツレツを持ち込んだもの。
参照:第41作 男はつらいよ 寅次郎心の旅路|寅の巻全作品データベース

今まで聞いたことのなかった料理名。ボリューム満点の肉料理のようですね。ぜひとも食べてみたいです。

あえて「どぜう鍋」と記載する理由は?


第42作(1989年)からは、ある料理の名称に対する雑学です。
どぜう鍋
寅さんが満男に、酒の飲み方を伝授するのが、浅草のどぜう屋。下町の名物「どぜう鍋」は庶民の味。泥鰌を丸のママ、鉄の小鍋で煮て、甘辛い割り下を入れて、ネギをのせ、薬味を入れて食べる。「どぜう」と表記するのは、「どじょう」の四文字では演技が悪いと、江戸時代に浅草の老舗どぜう屋の初代主人が考案。
参照:第42作 男はつらいよ ぼくの伯父さん|寅の巻全作品データベース

あえて「どぜう」と表記しているのには、こうした理由があったんですね。







それにしても、美味しそうです(笑)

当時は不慣れな人もいた新幹線


第43作(1990年)から。当時の乗り物について。
博多行の乗車券
名古屋へ帰る筈の泉が、東京駅のホームで満男に見せたのは、博多行きの新幹線の乗車券。東海道・山陽新幹線の東京〜博多間が開業したのは、1975年のこと。二人が乗るのは、1985年に製造開始された新幹線100系電車で、東海道・山陽新幹線では二代目にあたる。寅さんは、あまりのスピードに「眼が回るから」という理由で乗車しない新幹線だが、遠距離恋愛の満男と泉にとっては、二人を結ぶ路線でもある。今回、新幹線の場面に流れるのは、徳永英明の「JUSTICE」。
参照:第43作 男はつらいよ 寅次郎の休日|寅の巻全作品データベース

新幹線が開通して、10年ほどでも寅さんは恐怖を抱いていたようです。確かに、驚異的なスピードで走る乗り物は、当時に人からしたら、怖かったのかもしれません。

徳永英明さんの名曲が流れているのも感慨深いですね。

『ゆうパック』の名称が決まったのはこの頃


第44作(1991年)から。今やお馴染みとなった『ゆうパック』の命名について。
ゆうパック
寅さんが鳥取から、季節の便りとともに送ったのが葡萄。くるまやでは評判が悪く、結局社長が「葡萄酒」を造ろうと引き取るが、寅さんが送ってきたのはゆうパック。第5作『望郷篇』では、浦安から油揚げを郵便小包で送ってきたが、この頃は、宅配便が普及し、郵便局派の寅さんもゆうパックを利用している。小包包装物の名称だった「ゆうパック」が、1987年郵便小包の愛称として制定された。
参照:第44作 男はつらいよ 寅次郎の告白|寅の巻全作品データベース

荷物を受け取るのに便利な『ゆうパック』。この頃から名称がついていたんですね。その呼びやすさから、現在も愛されている呼び名です。

リクルートスーツの定着はバブル崩壊後


第46作(1993年)から。今や就活の必須アイテムとなっているリクルートスーツについて。
リクルートスーツ
大学四年生にとって、最大の試練が就職活動。満男が大学四年だった1993年は、バブル経済崩壊後で、就活は至難を極めただろう。リクルートスーツという言葉が定着したのも、この頃。学生が着用するため、安価で没個性的なものが多く、地味なものが好まれる。今や、学生服のような「制服」的な扱いとして、就活の学生をマーケットとして、紳士服メーカーがしのぎを削っている。
参照:第46作 男はつらいよ 寅次郎の縁談|寅の巻全作品データベース

就活では、制服になっているリクルートスーツ。暑い夏でも着用しながら、奮闘している就活生を見ていると、胸が打たれます。その服装はこの当時、根付いたんですね。

記者も就活の時にリクルートスーツを買いました。入社した会社では、私服勤務だったので、しばらくスーツを着ていません。なんだか、懐かしい響きですね(笑)

ゆとり世代が生まれた時代背景をもっと知ろう!


今回もリクルートスーツのように、時代を反映したアイテムやその雑学を紹介してきました。今回は、記者が生まれた年代の雑学とあって、今まで以上に親しみが持てました。

ですので、記者と同世代の皆様もぜひサイトを訪れて、情報に当たってみてください。意外な情報に興味を惹かれるはずですので。

ではまた!

(文・タクスズキ)

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