映画コラム

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2020年07月04日

『海辺の映画館』レビュー:大林宣彦監督が最期に遺した映画と戦争のメッセージ

『海辺の映画館』レビュー:大林宣彦監督が最期に遺した映画と戦争のメッセージ



(C)2020「海辺の映画館 キネマの玉手箱」製作委員会/PSC



大林宣彦監督の遺作となった『海辺の映画館 キネマの玉手箱』の公開が7月31日に決まりました。今度こそは無事に上映できますよう、強く祈りたいものです。

奇しくも本来公開予定だった4月10日に82歳でこの世を去った大林監督は、まさに4・10という数字を象徴的に捉えながら社会混乱と映画の関係性を改めて訴えるジャーナリズム精神を発動させてくれていたようにも思えてなりません。

大林監督は生前、特に晩年になってからは幾度も「映画作家はジャーナリストであるべきだ」と発言していました。

そこには常に社会と向き合いながら映画を作り続けていこうという反骨精神もなさがら、そうしていかなければ再び自由が奪われる世の中が到来してしまうという危惧感を、特に昨今のきな臭い国内外の状況などを鑑みながら抱いていたに相違ないと思われてなりません。

前作『花筐/HANAGATAMI』(17)クランクイン直前にガンを宣告された大林監督は、病気に打ち勝つというよりも共闘していくといった感覚で、作品を執念で完成させ、それこそ「これからも120歳まで映画を作り続ける!」といった勢いで本作『海辺の映画館』の制作に入っていきました……

《キネマニア共和国~レインボー通りの映画街482》

しかし、もしかしたら大林監督は、本当はこれから取り組んでいく1本1本が遺作になることを一方では覚悟しながら撮り続けようとしていたのではないか? 私にはそう感じられてならない節もあるのでした。


戦争“映画”の中に入り込んだ
若者たちの驚異の体験!


『海辺の映画館 キネマの玉手箱』は、大林監督の故郷、広島県尾道の映画館から始まります。

海辺にたたずむ映画館“瀬戸内キネマ”は本日をもって閉館となります。

その最終日は「日本の戦争映画大特集」としてのオールナイト興行でした。

上映が始まって間もなく、映画を見に来ていた青年・毬男、鳳助、茂は、突然劇場を襲った稲妻の閃光に包まれ、気がつくとスクリーンの中に入り込んでいました。

それは江戸時代から始まって幕末の動乱、日中戦争、さらには沖縄戦、広島の原爆投下による移動演劇団「桜隊」の悲劇……といった日本の戦争の歴史の変遷を追随していくかのような悪夢のような体験でした。

しかし、これは映画です。

映画にはサイレントもあればトーキーもある、白黒もあれば総天然色もあるといった、ある意味豪華絢爛たるエンタテインメントの世界でもあります。

かくして本作は映画の中の虚構、即ちウソの中から真実(マコト)を3人の若者が、ひいてはこの映画を見ている観客ひとりひとりが見出していけるか否か?を問いかけていくエンタテインメントの極みとして発動していくのでした!

ジャーナリストとしての
映画作家・大林宣彦




(C)2020「海辺の映画館 キネマの玉手箱」製作委員会/PSC




映画の銀幕の世界に観客が入り込んでいくといった設定自体は、ウディ・アレン監督の名作『カイロの紫のバラ』をはじめ好例作品がいくつもあります。

しかし本作は徹底して戦争をモチーフにした作品に的を絞っているところがミソで、またそこに幕末時代劇まで入っているあたり、昭和20年8月15日に至る日本の軍国主義は幕末から始まっていた、という思想論を踏襲しているかのようです(個人的にはかつて岡本喜八監督が、この信念で『吶喊』を撮ったことまで彷彿させられました)。

思えば大林監督作品はデビュー作のダーク・ファンタジー『HOUSE ハウス』(77)からして、かの戦争の惨劇がもたらした女性の愛あるがゆえの怨念が「家が少女たちを食べてしまう」ホラー劇へ至るという秀逸な設定が成されていました。

その後も大林監督は大胆奇抜な技巧の数々によって“映像の魔術師”と呼ばれるユニークな作品群を連打していきますが、その中には戦争の惨禍を裏テーマにしたものも実は多数含まれていたのです。

そして21世紀に入り、国内外のさまざまな諍いや、それに伴う誹謗中傷や差別と偏見の意識が世界中でエスカレートしている事実を目の当たりにしながら、大林監督は『この空の花―長岡花火物語』(11)『野のなななのか』(14)『花筐/HANAGATAMI』の大林的戦争3部作を発表します。

しかし、その3部作でもまだ言い足りないことを、命の続く限り、映画というエンタテインメントを通して訴えていこうという決意表明が、この『海辺の映画館 キネマの玉手箱』なのです。

そのため本作は、前の3部作に比べてメッセージが厳しくなっている節も見受けられますが、それもまた「もはやそこまで訴えないといけない事態に突入している」という大林監督の危惧的決意の発露に他なりません。

実はこの作品、サブタイトルに偽りなく、例によってさまざまな映像技術をおもちゃ箱をひっくり返したかのように駆使した“映像の魔術師”ならではの遊び心がふんだんで、また劇中ミュージカル仕立てになったり、およそ3時間の上映時間、観客を飽きさせないための工夫にも怠りはありません。

しかし、それでもこの作品、いつもよりも“重さ”があります。

それはやはりどこまで続くかわからない限りある命の中「言いたいことは言えるうちに言わせていただく!」とでもいった大林監督の想いがストレートに発散されているからでしょう。

また、かつて大林監督は尾道三部作などを通して故郷・尾道を映画の聖地として深く認知させることに貢献してきましたが、ある時期から尾道での映画制作を意識的に避けるようになっていました。

それは、自分がやりたかったのは「町興し」ではなく「町守り」であり、にも拘わらず、どんどん発展して知らない風情を醸し出していく故郷に対する忸怩たる想いが「もう尾道では映画を撮らない」という心情の変化へ導かれていったのだと想像するに難くなりません。

しかし今回およそ20年ぶりに大林監督は故郷・尾道の映画を撮りました。それもまた、やはり「もう時間はない。撮れるときに今一度撮っておきたい」という意識の顕れだったのではないでしょうか。

もうひとつ、大林監督といえば大のアメリカ映画好きで特に西部劇ファンとしても知られていましたが、その大林監督の生まれ育った広島に原爆を落としたアメリカという国で作られた映画によって自分の映画的人生が形成されていたという複雑な想い、そしてそこからさらに映画と戦争というものが切っても切り離せない関係にあるという歴史的事実……。

たとえば、アメリカは戦争の記録を明確にスムーズに執り行うためにいち早くカラー・フィルムを開発したり、戦場で動き回れるように撮影機材を簡略化するなどの技術革新を成し続けてきています。

ヒトラーが映画を重用しながら国威昂揚のプロパガンダを促進させ、他国もそれに倣ったのも周知の事実。

日本も戦時中、戦意昂揚映画の戦場シーンをスペクタクルに描出するために特撮技術が発達し、それが戦後9年目の『ゴジラ』(54)などに結実していきます。

生前、大林監督が私に取材中語ってくれたことの中に「かつてアメリカのミサイルやレーザーなどの軍事衛星兵器を用いた戦略防衛構想が“スター・ウォーズ”計画と呼ばれていたのは象徴的だよね」というのがありました。

また、某好戦的アクション映画を見てきて「実にけしからん乱暴な映画なんだけど、困ったことに面白くできてるんだよね」とも……。

西部劇の勧善懲悪で育ち、しかしそれが歴史的にはまがいものであったことも知ってしまった大林監督は、もちろん、そうした往年の作品群を終始愛し続けては、ノスタルジックな想いを吐露し続けてもいましたが、一方ではこれからの映画は、そして映画ファンは「単に面白ければそれでいいのか?」といった域にまで意識を高めていかなければいけないのではないか? と思っていたのかもしれません。
(イジメも差別も偏見も、やってる連中はそれをどこかで面白いと思ってやってるわけでしょうしね)

また、そうしたジャーナリストとしての映画作りの新たな挑戦の第一歩が『海辺の映画館』であったことに、作品を見て異を唱える人もほとんどいないことでしょう。

映画としての面白さをふんだんに活かしながら、その中から何某かの啓蒙を見る側に与えていく。それが真のエンタテインメントであることを、大林監督がずっと実践してきたことを深く痛感させられる最後の大林映画が『海辺の映画館 キネマの玉手箱』です。

開けたら何が起こるかわからない“キネマの玉手箱”を、どうぞ奮って開けてみてください。

きっと自分が映画ファンで良かったというカタルシスと、これからの未来をどうしていけばいいのか熟考させてもらえる啓蒙が得られるはずですので。

(文:増當竜也)

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