11月も終盤に差し掛かり、空気がきりりと澄んでくるこの時期――日本各地の浄土真宗寺院では、「報恩講(ほうおんこう)」と呼ばれる特別な法要が営まれます。
報恩講は、浄土真宗の宗祖・親鸞聖人のご命日(旧暦11月28日/新暦換算でおおむね1月16日)にちなむ法要で、親鸞聖人の遺徳を偲び、その教えに「報恩(恩に報いる)」の思いをあらためる、真宗門徒にとって一年でもっとも大切な仏事とされています。
ただし、その営みの時期は宗派によって少し異なります。
たとえば真宗大谷派(東本願寺)では、毎年11月21日から28日までが「御正忌報恩講」の期間。本願寺派(西本願寺)では、親鸞聖人のご命日にあたる新暦1月16日を結願日とし、1月9日から16日にかけて御正忌報恩講が営まれます。
各地の寺院や門徒の家庭では、本山とは別の日程で「お取り越し」と呼ばれる報恩講を秋口から年末、年始にかけて勤めることも多く、地域ごとの暮らしのリズムのなかで受け継がれてきました。
そんな“親鸞を思う季節”にこそ、静かに観ておきたい一本があります。
それが、1987年に公開された映画『親鸞 白い道』。

(C)1987 SHOCHIKU/KINEMATOKYO/NICHIEI
主演・森山潤久、そして企画・原作・脚本・監督を手がけたのは名優・三國連太郎。
松竹配給で公開された本作は、構想からおよそ15年の歳月をかけて三國が形にした、文字通り“渾身の一作”です。
三國連太郎、念願の企画──「人間・親鸞」を描く旅 『親鸞 白い道』という作品の背景には、三國連太郎自身の長い「親鸞との対話」があります。
若い頃の三國は、東映作品として企画された映画『親鸞』に主演として起用されながら、親鸞像の描き方をめぐり制作側と意見が対立し、最終的に降板するという経験をしています。
自分が納得できるかたちで親鸞聖人を描けなかったその「心残り」が、やがて長い年月を経て一つの決意に変わっていきます。 ――ならば、自分自身の手で「親鸞の物語」をつくろう。
そうして三國は、親鸞や鎌倉仏教の研究を重ねながら、自ら長編小説『白い道』を書き上げます。
その後、その小説をもとに脚本を練り、ついには監督としてメガホンを取る決断をします。
構想開始から完成まで、およそ15年。
『親鸞 白い道』は、俳優として数々の作品に出演してきた三國連太郎が、「一人の表現者」として親鸞聖人に捧げたオマージュであり、自身の自己表現の到達点と言ってもいい作品なのです。
厳しい時代に咲いた、静かな信仰の光 物語の舞台は、平安末から鎌倉初期にかけての日本。
武士の台頭と内乱、飢饉や疫病に人々が苦しんだ激動の時代です。
比叡山延暦寺で20年にわたり修行を続けてきた若き僧・範宴(はんねん/のちの親鸞)は、自分の修行が本当に人々の救いにつながっているのか、深い疑問と虚しさを抱くようになります。
いくら戒律を守り、難しい経典を読みこなしても、目の前の民衆は飢えと不安に苦しんだまま――その現実への痛みが、彼を山から下ろします。
やがて親鸞は、法然上人の説く専修念仏の教えに出会います。
「どんな身分の人も、どんな過去を持つ人も、南無阿弥陀仏と念仏を称えることで救われる」。

(C)1987 SHOCHIKU/KINEMATOKYO/NICHIEI
厳しい修行を積んだ僧侶だけが救われるのではなく、煩悩を抱えたままの「普通の人」がこそ救われる――その徹底した平等性に、親鸞は深く打たれ、法然の門下に身を投じていくのです。
しかし、こうした新しい信仰は、やがて既成の宗教勢力の激しい反発を呼びます。
承元の法難によって法然は土佐へ、親鸞は越後へと流罪に処され、僧籍を奪われてしまう。
映画はこの「越後流罪」の場面から、親鸞の人生の新たな局面を丹念に追いかけていきます。
雪深い越後の地で、親鸞は後に妻となる恵信尼と出会い、家族を持ちます。
僧侶でありながら妻帯し、子どもをもうける――当時としては異例の選択です。
しかしそこには、「聖職者としてではなく、庶民と同じ地平に立って生きたい」という親鸞の強い意思が見え隠れします。

(C)1987 SHOCHIKU/KINEMATOKYO/NICHIEI
作品は、貧しさや疫病、差別といった現実の厳しさから目をそらしません。
人買いに身を任せて越後を出ようとする人々、希望を求めて関東へ向かう集団、そしてその中で揺れ動く親鸞一家。
ときに、最愛の子どもを病で失うという耐え難い悲しみさえも、映画は真正面から描き切ります。
そこに映し出されるのは、「完璧な聖人」ではなく、迷い、怒り、嘆きながらも、それでもなお他者の苦しみに寄り添おうとするひとりの人間・親鸞の姿です。
森山潤久の親鸞像と、重厚なアンサンブル そんな難しい役どころに挑んだのが、主演の森山潤久です。
公開当時はほとんど無名に近い若手でしたが、その素朴で真っすぐな存在感は、観る者の心に強く残ります。
ひとたび信じた道を貫こうとする強さと、弱さを隠しきれない人間臭さ。
その両方を抱えた親鸞像を、森山は体当たりで演じました。
その結果、彼は本作で第11回日本アカデミー賞・新人俳優賞に選ばれ、一躍注目を集めることになります。
恵信尼を演じる大楠道代も、印象深い存在です。
夫である親鸞と共に貧しさや差別に耐え、時に支え、時にぶつかりながら生きていく姿を、芯の通った眼差しと繊細な表情で表現しています。
ガッツ石松が演じる人買いの男は、ただの悪役ではなく、暴力と人情のあいだを揺れ動く複雑な人物として描かれ、物語にもう一つの「弱者のドラマ」を与えています。
さらに若山富三郎、フランキー堺、丹波哲郎といった名優たちが脇を固め、それぞれが決して出しゃばらず、しかし確かな重みを作品に付け加えています。
映像は、冬の日本海や雪原の光景を中心に、冷たい空気の中にわずかな温もりが立ち上がるようなトーンで撮影されており、モノクロと錯覚するほど陰影の深いカラーパレットが印象的です。
YAS-KAZによる音楽は、和太鼓や民族的な響きを取り入れつつ、静寂と高まりを巧みに行き来し、画面に漂う緊張感を高めています。
宗教映画であり、骨太の人間ドラマでもある 『親鸞 白い道』は、宗教者の生涯を描いた作品でありながら、説教くささを感じさせません。
むしろ、時代劇としての骨太さと、人間ドラマの普遍性が前面に出ています。
画面に描かれるのは、「どんな状況でも生きていかなければならない」人々の姿です。
飢え、寒さ、身分差別、流罪という理不尽――そうした現実の中でなお、人は人に寄り添えるのか。
誰かを信じ、何かを信じるとはどういうことなのか。
映画は、宗教という枠を超えて、根源的な問いを観客に突きつけてきます。
その中心にあるのが、親鸞の言葉としてよく知られる、 「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」 という思想です。
これは「善人でさえ救われるのだから、ましてや悪人はなおさらに救われる」という意味の一節ですが、その背景には、「人間はそもそも弱く、不完全な存在である」という冷徹な自己認識があります。
そのうえで、「そんな自分たちをまるごと受け入れてくれる仏がいる」という、徹底した他力への信頼がある。
映画の中の親鸞もまた、自らの弱さや迷いから目をそらさず、だからこそ他者の痛みを抱きしめようとする人物として描かれています。
そこにこそ、この作品がいまも観る者の心に響く理由があるのでしょう。
信仰と現代の私たちをつなぐ橋として 現代に生きる私たちにとって、「宗教」はどうしても遠い存在に感じられがちです。
お寺に行くのは法事のときだけ、仏教の教えはなんとなく「難しそう」――そんな距離感を持つ人も多いはずです。
けれど、『親鸞 白い道』を通して見る親鸞聖人の姿は、決して雲の上の存在ではありません。
迷い、怒り、悲しみ、諦め。
私たちが日々の生活の中で抱える感情と、ほとんど変わらない痛みを抱えた一人の人間が、さ
さやかな光を信じながら歩き続ける姿がそこにあります。
報恩講とは、本来そうした親鸞聖人の生き方と教えに「ありがとう」と手を合わせる場です。
映画を観終えたあと、もし近くの浄土真宗のお寺で報恩講が営まれていたら、ふらりと門をくぐってみるのもよいかもしれません。
読経の声やお焼香の香り、集まった人々の気配の中に、800年を超えて受け継がれてきた祈りの時間が流れているはずです。
松竹がこうした作品を世に送り出したことにも、大きな意味があります。
時代劇や宗教映画が決して“ヒットの王道”ではなくなった時代に、あえて親鸞聖人の人生を真正面から描いた一本を送り出す――そこには、「映画にはまだ、こういう物語を描く力が残っている」という静かな自負を感じます。

(C)1987 SHOCHIKU/KINEMATOKYO/NICHIEI
最後に
この報恩講の季節、ぜひ『親鸞 白い道』を観てください。
静かな映像の奥に宿る、深い慈悲と情熱。重厚な人間ドラマとしても、精神の物語としても、多くの示唆を与えてくれる一本です。
そして、観終えたあと、ふと自分自身の「白い道」について考えてみる。
どこから来て、どこへ向かうのか。
誰と共に歩き、何を信じて生きていくのか。
そんな問いを、そっと胸に灯してくれる時間になれば――それこそが、この作品と報恩講の季節が私たちにもたらしてくれる、何よりの“ご縁”なのかもしれません。
(C)1987 SHOCHIKU/KINEMATOKYO/NICHIEI
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『親鸞 白い道』
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