映画コラム

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2023年07月22日

『君たちはどう生きるか』がわかりやすくなる「8つ」の考察|宮﨑駿が“アニメ”または“創作物”に込めたメッセージとは

『君たちはどう生きるか』がわかりやすくなる「8つ」の考察|宮﨑駿が“アニメ”または“創作物”に込めたメッセージとは



5:慌てて積み木を組むインコ大王=鈴木敏夫……ではなくダメなプロデューサー全般?


インコ大王は、眞人に「とにかく石を積むんだ」などと訴える大叔父に対し、「閣下はこんな石ころに世界の今後を委ねるつもりか!」などと憤ったあげく、積み木を慌ててデタラメに積んだら崩れかけ、あまつさえ自身の剣で真っ二つに壊してしまう。

これは、ほとんど「作品についてあれこれと口出しするばかりか、自分の手で作品を壊してしまう」世にいるダメなプロデューサーのメタファーにさえ思えた。

そのダメなプロデューサーのようなインコ大王を、二人三脚で作品を作り上げてきたはずの鈴木敏夫の投影……と思うのはさすがに意地が悪いような気もするが、いずれにせよ「作品に横槍で余計なことをするやつ」ではあるだろう。ナツコのいる“産屋”に訪れた禁忌について口うるさいのは、既存のルールに縛られて融通の効かないダメさを表現していたのかもしれない。


また、老いたペリカンの「海には魚がほとんどいなくなり、わらわらを食べるしかなくなった」「中には飛ばない者もいる」「どこまで飛んでも島にしか辿り着かない」などの遺言は、スタジオジブリでの過酷な作業でボロボロになり飛べなく(アニメを描けなく)なったスタッフたちを憂いていたからこそのセリフとも解釈できる。

インコたちの姿形が現実と下の世界とで変わったり、自分たちのご先祖さまたちがいる場所を「天国のようだ」「美しい」などと言って涙を浮かべるのも「アニメ業界にいると人が変わる」ことのメタファーかもしれない。

(※2023年12月16日追記:NHK総合で放送された『プロフェッショナル 仕事の流儀』“ジブリと宮崎駿の2399日”にて、大伯父=高畑勲、サギ男=鈴木敏夫、キリコ=ジブリ作品で色彩設計を担当した保田道代であるとされた。これは雑誌『SWITCH Vol.41 No.9 特集 ジブリをめぐる冒険』でも鈴木敏夫から語られていたことだが、同番組では宮崎駿監督本人が「大叔父のモデルはパクさん(高畑勲)だ」とはっきりと答えている。ナレーションでは「宮崎は映画の中で高畑と完全に決別した」などと解釈が語られている)

6:少女の姿をしたヒミ=元気でいてくれる母という願望?


宮﨑駿作品では、母親が印象的なキャラクターとしてよく登場する。『となりのトトロ』のお母さんは宮﨑駿の母が幼少期から寝たきりだったことも少なからず投影されているのだろうし、『崖の上のポニョ』ではその反対に快活なママを描いたこともある。

今回の少女の姿をしていて「母さんが焼いてくれたみたい」なパンを食べさせてくれたヒミは、宮﨑駿からの「元気でいる母の姿を見たい」という“願望”なのではないか。

ヒミとキリコは“時の回廊”で眞人とは違う扉を通り、それぞれの本来の年齢の姿の時間へと帰って行ったのだろう。その際に、眞人は後の火事で死んでしまうヒミに行かないことを望んでいたが、ヒミは「炎は平気だ!素敵じゃないか!お前のお母さんになれるなんて!」と言ってのけた。


これは、実際は焼け死んでしまう母の強がりではなく、下の世界でヒミが“炎を我がものとしていた”ような、やはり母の精神的な強さを見たいという、やはり宮﨑駿の願望だと思えたのだ。

さらに、眞人は(現実の世界に帰すための方便なのだろうが)「あなたなんか大嫌い」とまで言った母の妹のナツコを、「ナツコ母さん」と呼び、もうひとりのお母さんだと認めていた。

下の世界は夢であると同時にアニメ映画などの創作物であり、それは“現実逃避先”にもなり得るのだが、眞人はそこに耽溺するだけでなく、それぞれの母の姿を見て現実へと向き合えるようになったのだ。

宮﨑駿は、まさにアニメを現実逃避先にしてほしくない、後述するように“現実で生きるための力”にしてほしいという願いがあったのだろう。

7:創作物の本質と『ゲド戦記』との対比


大叔父は「美しいものも醜いものもある下の世界を、眞人が悪意に染まっていない積み木を足すことで、穏やかで平和で自由な場所にすることもできる」と言っていた。

しかし、眞人は自分の中に悪意があることを認め、現実の世界に帰ることを決める。そこには、創作物の本質は、穏やかでやさしいだけでない、善意や悪意など、良いも悪いも含めた物事や人物を描くことにもある、という提言も含んでいるのだろう

この大叔父と眞人の対話は、漫画版「風の谷のナウシカ」の終盤のナウシカと墓所の主とのやり取りをほうふつとさせる。主人公の内面や世界そのものに「光と闇」の両面があると示すことは、宮崎吾朗監督の『ゲド戦記』(またはアーシュラ・K・ル=グウィンによる原作)も連想させた。

関連記事:『ゲド戦記』を深く読み解く「3つ」のポイント|なぜ父殺しをしたのか?宮崎吾朗が監督を務めた理由は?

ちなみに、この映画『君たちはどう生きるか』の主題歌「地球儀」を提供した米津玄師は、その漫画版のナウシカと墓所の主とのやり取りが好きで、「音楽を作る時の指針になっている」と2018年7月のラジオ番組「鈴木敏夫のジブリ汗まみれ」で語っていたこともある。

関連記事:<考察>『君たちはどう生きるか』主題歌「地球儀」に込められた、米津玄師から宮﨑駿への想いとは



また、映画『ゲド戦記』監督である宮崎吾郎は主人公アレンが父を刺したことについて、「自分を取り巻いている隙間のない存在の象徴が父親だと思った」などとと考えていた。

一方、『君たちはどう生きるか』でも父の存在が明らかに眞人を苦しめていたが、父ではなく自分を傷つけたと、というのも興味深い。

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