閲覧注意!『リアル鬼ごっこ』のパンチラ(?)がこちらになります!
「この世の仕組み」を超えて行け!
先ほど、名画へのオマージュ的なシーンの解説が掲載されていると書きましたが、作品全体のテーマは『マトリックス』シリーズに近いものがあると感じました。映画『マトリックス』は、この世はバーチャル(かりそめ)という視点で描かれていますよね。
劇中で主人公はアンダーソンと呼ばれていますが、本当の自分は「ネオ」なのです。でも、ネオであることを忘れて、自分を「アンダーソン」だと思い込んで生活しています。そしてこの現象が、地球上のあらゆる人間に起こっていると『マトリックス』シリーズは映画を通して訴えています。
そして園監督も「“(思考の)自分”と“(本当の)自分”の関係性を見失わないよう、自分の頭では考えも付かないことをやる」と、様々なメディアで発言しています。…あ、この発言は、『リアル鬼ごっこ』の結末の重要な鍵になりそうですので、これ以上は言及せずにそっとしておきましょう(笑)。
『マトリックス』でも『リアル鬼ごっこ』でも、本当の自分(真我)を思い出させないよう、多くの敵キャラ(自我・エゴ)が狡猾に邪魔をしてきます。どこまでも追ってくる敵キャラ。その様子は、まさに私達の脳内世界そのものです。そんな『リアル鬼ごっこ』のパンフレットも、どこかシュールで、別次元に迷い込んでしまったような危うさというか、美しさみたいなものが感じられるアートな一冊となっています。
とことんやると、見える世界が変わる
記事の冒頭でも触れましたが、今回の『リアル鬼ごっこ』では、ビックリするくらいの血糊と、死体の人形が使われています。適量の血糊と数体の死体だったら、相当リアルに感じるものを、おびただしい量を魅せることで、怖さや気持ち悪さを通り越して滑稽さが顔を出してくるから不思議です。
そう言えば、筆者がシナリオ学校に通っていた時、授業でこんなことを学びました。
「懸命な姿に、人は心を動かされる。しかし度が過ぎると、たちまち喜劇に変わる」
例えば窮地に立たされた政治家が、懸命に弁明する場面があったとします。程よい匙加減で聴衆を感動させる事もできますが、必死さが度を超えると、そのシーンは立ちどころにコメディと化したりします。つまり、何事も行き過ぎると、意図した事とまったく別の効果が得られるということです。
『リアル鬼ごっこ』のパンフレットでは、死体などの特殊造形物を作っている西村喜廣さんが、流血シーンの裏話や、園監督の血糊への凄まじいこだわりと美学についてお話されています。劇場でたっぷりの血と死体を観たあとにパンフレットを読んでいただくと、面白い発見や気づきがあるはずです。ぜひ手に取ってみてくださいね。
血液というより、洗練されたポップアートのようです
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