戦後70年の今、戦争を改めて考える―半藤一利&原田眞人監督フォーラム全文
監督:
今、半藤先生がおっしゃったことは映画の中でほとんどカバーしているんですが「顔を直せ」っていうことだけはちょっと入れていません。僕も半藤先生の本を読んでて「顔を直せ」っていうのはすごく気に入ってたんですが、これ僕らが撮影の時に役者に言うことに似ているので、敢えて入れることもないかなと思って外しちゃったんです。ですが、戦戦下手であったという点では、この作品の中では、決起する将校の1人井田中佐の口を借りて「あれだけ部下の将兵を殺して尊敬されているというか、褒められているのは阿南さんと乃木大将ぐらいだ」という台詞があります。これやっぱり考えてみればみるほどすごく重要な台詞だと思います。
乃木大将は、昭和天皇にとっても本当に理想の軍人です。乃木大将が、校長ですか教育長みたいな形で、昭和天皇の10歳になる頃に全てのことを教えているということで昭和天皇がすごく尊敬していた。明治天皇が亡くなられた時に乃木大将が殉死されて、その時にはじめて大きな悲嘆の心に触れたという、そういうようなエピソードもあります。
その乃木さんと並ぶくらい阿南さんというのは、昭和天皇にとって重要なってくる。それで、今回役所広司さんにやってもらったわけですけども、僕は半藤先生の原作を読んだ時から、阿南さんは役所さんしかいないなと。それと同時に“家庭人”としての阿南さんを強調したかったんですね。
岡本作品では三船敏郎さんがやって、切腹まで豪快にやっていたのですが、これは阿南さんじゃないんですね。阿南さんのご遺族の方も本作を観てくれて「はじめて自分の父親を描いてくれたと」すごく感動してくださったんですね。
本作は1945年4月から8月までの話ですけど、この映画のリアルタイムで登場する時には、まず阿南さんは家庭人として描こう、家庭人として登場させよう、それが軍服を着た時にこの映画の終戦への歯車がじわりじわりと回ってくると。そのことと、それからやはり阿南さんの最後の最後まで今半藤先生がおっしゃったように教育者として優れていたと。
規律背反の心『アンビバレンス(Ambivalence)』
監督:
そして、彼がつくりあげた軍人たちがクーデターを起こすんですね。彼の子どもたちと同じです。それから阿南さんの次男というもの戦死されている。この中の映画の中で唯一の幻想シーンとして、阿南さんが道場で自分の息子の真剣を奮っている様を見ますけれど、それを抑えて飲み込んで戦うことよりも和平のほうを選ぶという、これがひとつの阿南さんの心情の象徴シーンとして描いているんです。
ですから、阿南さんのことを他のいろんな資料を読んでいると、素晴らしいノンフィクションブックで『一死、大罪を謝す』という角田房子さんの本がありますが、この本だと肯定的に“腹芸”だという人と、否定的に“気の迷いだ”とみる人といます。
否定する人が言うには、阿南陸将の秘書官をやった林三郎大佐。この人も「あの人は最後の気の迷いだ」みたいなことを言ってるんですね。で、僕はこれどちらも正しくて、どちらも違うと思っているんです。
歐米映画の主人公が抱えているような規律背反の心“アンビバレンス(Ambivalence)”というものです。
例えば『アラビアのロレンス』もそうだし『波止場』の主人公マーロン・ブランドもそうだし『ゴッドファーザー』のマイケル・コルレオーネ(アル・パチーノ)もそう。極端に言うと『戦場にかける橋』のアレック・ギネス。橋を建設して泰緬鉄道の橋を、最後に自分が壊さないといけないという、この究極なアンビバレンスを与えられた名作の主人公たち。そういうものに匹敵するものを、阿南さんは持っていると感じてこの映画を作りました。
鈴木貫太郎首相、そして迫水内閣書記官長について
天日:
続きまして、さきほどお話にも出ました鈴木貫太郎首相、それから鈴木首相を助けました迫水内閣書記官長、この2人が終戦の時にどのような役割を果たしたのかお願いします。
半藤:
その前に、今日家を出てくるときに私の家内が「せっかくだから私の本を宣伝してこい」と言うので、文春文庫で『漱石の長襦袢』という本があるんですが、これを持ってまいりまして、これ私の女房の本なんです。
なんでこれを持ってきたかといいますと、実は私の女房は夏目漱石の孫にあたるんです。みなさんは全然知らないと思いますが、夏目漱石の奥さんの鏡子という夫人は実は元の名前は中根と申しまして、この鏡子夫人のいとこが岡田啓介という海軍大将の奥さんなんです。ということは、夏目漱石は義理のいとこが岡田啓介ということになるんですね。
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