伝説的女優・原節子さん死去―小津安二郎映画の象徴的存在
伝説的大スターであり、小津安二郎作品を象徴する女優としても知られた原節子(はら・せつこ、本名:会田昌江)さんが、2015年9月5日に、肺炎のため神奈川県内の病院で死去していたことが、昨日11月25日に判明しました。享年95歳。
小津安二郎映画を象徴する伝説的大スター・原節子
原節子さんは1920年6月17日、神奈川県横浜市保土ヶ谷区に生まれました。日活大将軍で女優をやっていた次姉・光代さんの夫で映画監督の熊谷久虎さんから女優になるよう勧められ、35年4月に日活多摩川撮影所に正式入社、田口哲監督の思春期映画『ためらふ勿れ若人よ』で銀幕デビューを飾ります。
デビュー作での役名が「節子」であったことから「原節子」の芸名となり、その後は複数の作品を経て、日独合作映画『新しき土』で初のヒロインに抜擢されます。数々の作品に出演したのちに1949年に出演した『晩春』で、小津安二郎監督作品に初出演を果たし、そこから小津安二郎監督作において象徴的存在となりました。
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