李香蘭、シャーリー山口 そして山口淑子
国際的な歌手&映画女優から
ジャーナリスト、政治家への転身
かくして日本人・山口淑子に戻ることができた彼女は、日本で歌手として、女優としての活動を再開しますが、さすがに最初の頃は好調とは言えませんでしたが、『わが生涯の輝ける日』(48)、『暁の脱走』(50)などの映画出演で当時としては大胆なラブシーンを披露するなど、再び注目されるようになっていきました。
51年からはハリウッドへ赴き、『東は東』にシャーリー山口の名前で主演し、以降は日本とアメリカを往復する日々となり、53年からは香港映画に、何と李香蘭の名で出演するようにもなります。
55年にはサミュエル・フラー監督による『東京暗黒街・竹の家』ヒロインを務めます。公開当時はキテレツな日本描写が国内では不評でしたが、海外での評価は高く、今ではカルト映画として再評価されています。
56年には日本と香港合作の『白夫人の妖恋』に主演。しますが、58年の日本映画『東京の休日』を最後に映画界から離れて、外交官の夫とともに海外を転々とし、帰国後の60年代末からテレビのワイドショーの司会や、中東に赴いてアラブゲリラの取材をしたり、日本赤軍の重信房子との会見を敢行するなどジャーナリストとしての活動が多くなり、73年には参議院議員選挙に当選し、92年まで政治家として活動しました。
以降は人権問題や中国との文化交流に勤しみ、2006年には日本チャップリン協会の名誉顧問にも就任しましたが、14年9月7日、心不全で死去。満94歳でした。
彼女の死は中国でも大きく取り上げられましたが、戦争における罪を問う声よりも、エンタテイナー(特に歌手としての評価)として人々の心を癒し励ましてくれたことへの賛辞のほうが多かったのは、やはり戦後の彼女のアジアに対する真摯な姿勢も大きく影響していたのかもしれません。
なお、彼女の激動の半生は89年のテレビドラマ『さよなら李香蘭』や劇団四季の舞台『ミュージカル李香蘭』(91年初演)などさまざまな形で描かれてきていますが、本来なら映画でもきちんと描いておくべきでしょう。今からでも映画『李香蘭』の企画を望みたいものです。
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(文:増當竜也)
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