「すこーし愛して、ながーく愛して」あげたい大原麗子



映画女優として
栄光の80年代




83年には主演映画『セカンド・ラブ』や、久々に高倉健と共演を果たした『居酒屋兆治』を経て、84年、市川崑監督の『おはん』では甲斐性なしの男を世話する勝気な芸者役で、主演の吉永小百合と堂々渡り合い、映画女優としての凄みと貫録を披露し、従来のファンの度肝を抜かせ、その直後には『男はつらいよ 寅次郎真実一路』で二度目のマドンナを務めています。

こうした勢いは86年の木下惠介監督による松竹大船撮影所50周年記念作品『新・喜びも悲しみも幾歳月』へと連なり、日本各地を転々とする灯台守の夫や子供たちを支える妻を好演し、山路ふみ子賞女優賞を受賞しました。

もっとも、その後はアニメーション映画『源氏物語』(87)でその独特の声を披露した以外、またテレビや舞台のほうへと活動の拠点を移し、89年にはNHK大河ドラマ『春日局』で堂々主演。92年には『チロルの挽歌』で高倉健と久々に共演します。
そして94年には三國連太郎らベテラン男優陣勢揃いのゲートボール映画『勝利者たち』で久々に映画出演を果たしますが、これが彼女の映画の遺作となってしまいました。

もともと体が強いほうではなかった彼女は、75年に神経疾患のギランバレー症候群を発症し、93年には乳がんの手術を受け、99年にはギランバレー症候群が再発して芸能活動を休止(もっとも、この病は滅多に再発しないとのことで、もしかしたら彼女の思い込みだったのではないかという説もあります)。

2004年にはかつての夫・渡瀬恒彦とTV『十津川警部シリーズ/東北新幹線「はやて」殺人事件』で共演しますが、これが彼女の最後の作品となり、2009年8月3日、不整脈による脳内出血で自宅で死去。発見されたのは8月6日でした。

今となってはどこか暗い影を背負ったかのようなイメージで彼女を捉えたマスコミの記事やワイドショーの特集などをよく見かけますが、一ファンの立場から言わせてもらうと、映画やドラマといった虚構の世界の中で、勝気な子猫のように可愛く振舞いつつ、やがてはきゃしゃでしっとりとした和の存在感を世に示し続けた“女優”としての大原麗子こそを、「すこーし愛して、ながーく愛して」あげたいという気持ちでいっぱいです。

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(文:増當竜也)

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