最後の水戸黄門さまを見事に演じ切り、今は映画出演にも意欲的な里見浩太朗
写真家『早田雄二』が撮影した銀幕のスターたちvol.18
現在、昭和を代表する名カメラマン早田雄二氏(16~95)が撮り続けてきた銀幕スターたちの写真の数々が、本サイトに『特集 写真家・早田雄二』として掲載されています。
日々、国内外のスターなどを撮影し、特に女優陣から絶大な信頼を得ていた早田氏の素晴らしきフォト・ワールドとリンクしながら、ここでは彼が撮り続けたスターたちの経歴や魅力などを振り返ってみたいと思います。
最後の水戸黄門さまを見事に演じ切り、
今は映画出演にも意欲的な里見浩太朗
里見浩太朗と聞くと、『大江戸捜査網』(74~79)や『松平右近事件帳』(82)『長七郎江戸日記』(83~91)などの明朗快活なTV時代劇のヒーローや、何といっても『水戸黄門』シリーズで第3部(71)から第17部(88)まで助さんを、そして第31部(02)から第43部(11)まで黄門さまを演じたことでもおなじみですが、そもそもは東映映画の若手スター出身で、今また映画出演が多くなっているのは嬉しい限りです。
50年代後半から60年代にかけて
東映時代劇若手スターとしての活躍
里見浩太朗は1936年11月28日、静岡県の生まれ。生後8か月で父が中国戦線に出征して戦死し、当時は英雄として祀り上げられたとのことです。
高校時代は音楽部に属し、卒業間近にNHKのど自慢に出場して合格。これを機に卒業後は上京して歌手を目指しますが、56年、第3期東映ニューフェイスに合格して東映に入社し、57年『天狗街道』で俳優デビュー。58年の初主演作『金獅子紋ゆくところ・黄金蜘蛛』では主題歌『金獅子紋道中唄』を歌い、念願の歌手デビューも果たしています。
日本映画黄金時代のこの時期、東映は第2東映(後にニュー東映と改称)を発足しての量産体制に入っており、里見浩太朗(デビュー時は鏡小五郎、その後、富士川一夫、里見浩太郎と芸名を替えています)も毎年20本を超える時代劇映画に出演し続けていきます。また二枚目の甘いマスクを買われて、『ひばり捕物帳振り袖小判』(59)『ひばりの森の石松』(60)など美空ひばり映画にも多数出演しました。
また59年の『水戸黄門 天下の副将軍』で、彼は格さんを演じています。
60年代の代表作というところでは、何といっても『十三人の刺客』(63)や『大殺陣』(64)『十一人の侍』(67)といった集団抗争時代劇の名作群でしょう。東映が任侠路線に変更して以降は『日本侠客伝浪花篇』(65)『侠客列伝』(68)高倉健主演作品の助演なども印象的。
またこの時期に子どもだった世代としては、人気TV特撮時代劇シリーズ『仮面の忍者赤影』(67)の竹中半兵衛役も忘れられないところです。
その後、日本のテロリズムの歴史をオールスターキャストで追った異色オムニバス映画『日本暗殺秘録』(69/226事件のエピソードに出演)を最後に、彼は東映を辞めてフリーとなりました。
TVでの華々しいキャリアを経て
映画への復活
1970年に里見浩太朗と芸名を改めた彼は、これ以降活躍の場をTVと舞台に移行させ、特に冒頭にも記した『水戸黄門』シリーズの佐々木助三郎こと助さん役はお茶の間に定着しましたが、80年代に入ると数々の主演時代劇シリーズはもとより、85年年末の大型時代劇『忠臣蔵』が紅白歌合戦の裏で視聴率15パーセントを記録し、以後も『白虎隊』(86)『田原坂』(87)『五稜郭』(88)と連続主演し、年末の顔ともなりました。
2002年の第31部からは『水戸黄門』5代目黄門さまに抜擢されますが、シリーズ初期から参加してきたキャリアを活かし、貫録と大らかさを同居させた黄門さまを実に好演し続け、シリーズ完結の第43部までおよそ9年の長きにわたってお茶の間を楽しませてくれました。
そんな里見浩太朗ですが、2002年の『およう』を皮切りに映画出演を復活させていきます。
しかもそれは時代劇ではなく『スクールウォーズHERO』(12)や『北のカナリアたち』(12)『エイプリルフールズ』(15)といった現代劇であり、何ともユニークに映える役柄を毎回頼もしく演じてくれています。
ただ、ここらで長年のキャリアを活かした時代劇映画での主演をもう一度見たいというのも、ファンの本音ではないでしょうか。
老いた剣客の心意気を描いた作品など、ぜひとも見てみたいものです。
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(文:増當竜也)
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