全編140分1カットの『ヴィクトリア』と過去の長廻し撮影映画

■「キネマニア共和国」

ベルリン国際映画祭で銀熊賞(最優秀芸術貢献賞)など3賞、」ドイツ映画賞では作品・監督・主演女優・撮影・作曲賞の6部門を制覇、昨年の東京国際映画祭ワールドフォーカス部門での上映も大反響を呼んだ『ヴィクトリア』が5月7日より公開されます。

この作品、何がすごいかといいますと……

キネマニア共和国~レインボー通りの映画街~vol.130

ヴィクトリア 20160506


(C)MONKEYBOY GMBH 2015


上映時間およそ140分を、何と1カット長廻し撮影していることなのです!

映画の歴史100年強における
長廻し撮影の系譜


『ヴィクトリア』の話を始める前に、映画における長廻し撮影について、少し記しておきたいと思います。

そもそも今から百十数年前、リュミエールやエジソンに始まる映画草創期は、まだ映画でドラマを語るという感覚に乏しく、キャメラを据えてフィルムを廻しっぱなしにしながら情景や舞台などを撮影するというスタイルでした。

しかし、やがて撮影時のミスやトラブルなどによって、たとえばキャメラの位置がずれると画のアングルも変わる、いったんキャメラを止めてしばらくしてまた廻すと、先ほど写っていた人が消えているなど、さまざまな映像的サプライズが見出されていき、ひいてはそれらを基にしたモンタージュ理論がロシアのエイゼンシュタインによって確率され、映画でストーリーを効果的に見せる技法がどんどん発展していきました。

その中で、逆にキャメラを縦横無尽に動かしながら、ひとつのシーンや長いショットを1回の撮影で回し切る長廻しの手法も発達していきます。

この長廻し、俳優の芝居を止めずにすむというメリットはありますが、キャスト&スタッフを問わず、誰かがミスを冒すと最初からやり直しを強いられるという、恐ろしいリスクも伴います。

20世紀の時代、通常の劇場用映画に用いられた35ミリ・フィルムは、1回の撮影でせいぜい10分強しか持ちませんでしたし、当然フィルム代もバカになりません。たとえば、撮影の9分すぎたあたりでNGを出してしまったら現場の空気がどうなるか、想像するだけでぞっとするものがあります。

長廻し撮影を得意とした
先達の監督たち


しかし、その緊張感をもって生まれた作品も多数あり、日本では溝口健二監督作品の長廻し撮影が特に有名です。

黒澤明監督の場合、ひとつのシーンを3台のキャメラで撮影するので、実質1シーン1カット撮影といってもいいでしょう。

日活ロマンポルノのような低予算作品の場合、フィルムを無駄にできないからと、カットを極力割らずに撮影する作品も多く見られます。

また、そこで助監督としての修業を積み、『翔んだカップル』(80)で監督デビューして以降、『セーラー服と機関銃』(81)『台風クラブ』(85)など1シーン1カットの技法でアヴァンギャルドな作品を発表し続けたのが、相米慎二監督でした。

通常、演技になれてないアイドルやキッズが主演する映画の場合、カットを割ってリスクを抑えるのが撮影の常ですが、相米監督の場合、逆に彼らを長廻しで追いこんで追い込んで、その中から本人の生の動きを絞り出すという、ある意味サディスティックともいえる強引なやり方で、薬師丸ひろ子、永瀬正敏、斉藤由貴など当時のアイドルや子どもたちを俳優へと飛躍させていきました。中でも『ションベン・ライダー』(83)冒頭の気も狂わんばかり超長回し撮影は、映画的魅惑にあふれた画期的なものとして屹立しています。

海外で長廻し撮影が有名な監督の中に、先ごろ惜しくも亡くなったギリシャ映画界の名匠テオ・アンゲロプロス監督がいます。『旅芸人の記録』(75)や『アレクサンダー大王』(80)、遺作となった『エレニの帰郷』(09)などなぢ、悠々たる時間の経過を長廻しで捉え続ける姿勢は、他の追従を許さないものがありました。

もっともそのためにアンゲロプロス作品は長尺になりがちで、それを一例に長廻し撮影はどうしてもテンポが遅くなりがちではあるので、ハリウッドではあまり好まれない傾向がありますが、そんな中で全編を1カットで撮ったハリウッド映画がかつてありました。

アルフレッド・ヒッチコック監督の『ロープ』(48)です。

ここでは天才学者の完全犯罪が崩れ去っていく様を現実の時間進行通りに1カットで魅せていきますが、撮影用フィルムのマガジンはせいぜい10分が限度なので、そろそろフィルムを廻し切るというところで、たとえば登場人物の黒の背広の背中にキャメラを向け、そこで一旦フィルムを止めてマガジン・チェンジをし、撮影を続行するというやりかたが採られました。

またオーソン・ウェルズは『黒い罠』(58)の冒頭で、爆弾が仕掛けられた車を延々追っていく3分20秒の長廻し撮影を行い、後のヌーヴェル・ヴァーグの担い手に多大な影響を与えることになりました。

いずれにせよフィルムの時代に全編1カットで長編映画を撮影するというのは、事実上不可能だったのです。

しかし、フィルムからデジタルの時代になり、ついに全編1カット・フル撮影が可能になりました。

それを果敢に実行したのが『ヴィクトリア』なのです。

ヴィクトリア 20160506 場面


(C)MONKEYBOY GMBH 2015



映画の自由度をサスペンスフルに
促進させる『ヴィクトリア』


『ヴィクトリア』はドイツのベルリンでの生活を始めてまもないスペインの女性ヴィクトリアが、街の若者たちと知り合い、意気投合していくうち、次第に悪夢のような一夜へ突入していくさまをサスペンスフルに描いたものです。

ここでの1カット撮影は、ヴィクトリアが体験する悪夢のような出来事を臨場感をもって描出するためのものですが、そこには何の違和感もなく、さほど映画の前知識のない人がふらりとこの作品を見ても、全編1カットの気負いは感じられないことでしょう。

それほどまでに自然な撮影がなされているのは賞賛に値します。

ただし、よくよく見据えていくとキャメラがキャラクターの後方から追いかけていくアングルが目立ったり、ロングとアップのバランスなどもいまひとつ気配りされてないなど、技法としての不満も全くないわけではありません。

また、こういった若手クリエイターたちならではの実験精神は大いに買いますが、フィルムの時代を知る世代としては、全体のオーラとしてNGを出す恐怖と緊張感(要はそれで大金がすっ飛んでしまう!)がフィルムとデジタルとで大きくテイストが異なっていることの、良くも悪くもの感慨を抱かざるをえませんでした。

(もちろんスタッフもキャストも幾度もリハーサルを重ねて、緊張感に満ち溢れた140分の本番に臨んだことでしょうが)

最近では『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』(14)でも、実に高度なVFXを駆使して、あたかも全編1カットで撮影されたかのような疑似的手法が導入されていますが、こうした傾向は技術の発展とともにどんどん促進されていくことでしょう。

ヒッチコックだって、もし彼が現役だった時代にデジタルがあれば、背広の背中でごまかすことなく、全編1カットの『ロープ』を作ろうとしたはずです。

今の若い映像作家は、先達がやりたくてもできなかったことをいとも簡単にやれてしまう時代に生きている。

作る側も見る側もそのことを自覚した上で、この『ヴィクトリア』という140分のサスペンスフルな悪夢を大いに堪能していただきたいと思います。

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(文:増當竜也

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