上を向いて歩き続ける、柏木由紀子
写真家『早田雄二』が撮影した銀幕のスターたちvol.41
現在、昭和を代表する名カメラマン早田雄二氏(16~95)が撮り続けてきた銀幕スターたちの写真の数々が、本サイトに『特集 写真家・早田雄二』として掲載されています。
日々、国内外のスターなどを撮影し、特に女優陣から絶大な信頼を得ていた早田氏の素晴らしきフォト・ワールドとリンクしながら、ここでは彼が撮り続けたスターたちの経歴や魅力などを振り返ってみたいと思います。
1985年8月の日本航空123便の墜落事故は、当時の日本人に大きな衝撃と哀しみを与えましたが、その乗客の中には、日本が誇るエンターテイナー坂本九も含まれていました……。
女優・歌手の柏木由紀子は、坂本九夫人でもあります。
女優、歌手、
そして坂本九夫人として
柏木由紀子は1947年12月24日、東京都世田谷区の生まれ。小学校時代からカナリア児童劇団や劇団若草に属し、少女雑誌『女学生の友』などのモデルとしても活躍していました。
64年、番匠義彰監督の松竹映画『明日の夢があふれてる』で映画デビュー。
翌65年、ビクターから『若い真珠』で歌手デビューを果たします。
66年のテレビドラマ『東京の人』でヒロインに抜擢されて以降は、主にテレビの世界で活躍。
69年は『コント55号・俺は忍者の孫の孫』『喜劇・新宿広場』、70年『ブラボー!若大将』『喜劇・負けてたまるか!』『喜劇・おめでたい奴』と映画出演。
この時期、つぶらな瞳のさわやかな個性が映画ファンにも注目されていきます。
70年のドラマ『細うで繁盛記』では新珠三千代の妹を演じてお茶の間でも人気を得、71年には『舞妓さん』で主演、また『芸者山に登る』では初舞台を踏みました。
71年12月8日、坂本九と結婚し、その後は仕事を減らし、77年以降は完全に家庭に入りますが、80年のテレビドラマ『赤い魂』で芸能界に復帰しました。
悲劇を乗り越えての
家族“4人”の絆
85年8月、日航機事故が勃発した際は、マスコミでも大きくクローズアップされ、亡くなった者の悲劇と遺された者の悲劇、双方を痛感させることになりましたが、しばらくの沈黙の後、86年より夫・坂本の後を引き継いでテレビ番組『クイズクロス5』の司会を担当。
同時期に夫との思い出や家族愛などをつづった『上を向いて歩こう』を出版し、20万部を超えるベストセラーとなり、その著書に基づいた講演活動も行うようになっていきます。
まもなくして、女優としての活動も復活。『必殺!主水死す』(96)や『CUTE』(97)、『はりまや橋』(09)といった映画や、2時間ドラマなど多数出演しています。
また2004年からは、愛娘ふたり(大島花子&舞坂ゆき子)と家族ユニット「ママエセフィーユ」を結成し、坂本九のカバー曲を中心に、在りし日の彼の映像や音声なども用いた家族“4人”のコンサートを開催。クリスマスの定例コンサートは毎年すぐにチケットが完売する人気です。
きっと天国の坂本九に見守られていることを実感しながら、柏木由紀子とその家族は常に「上を向いて歩いて」いるのでしょう。
■「キネマニア共和国」の連載をもっと読みたい方は、こちら
(文:増當竜也)
無料メールマガジン会員に登録すると、
続きをお読みいただけます。
無料のメールマガジン会員に登録すると、
すべての記事が制限なく閲覧でき、記事の保存機能などがご利用いただけます。