『君の名は。』の深すぎる「15」の盲点


4.月の形が示すものとは?


(C)2016「君の名は。」製作委員会


実は、作中では“月の形”が変化していっています。

(1)オープニングの一番初め:“真下に向いている三日月”

(2)三葉との入れ替わりがなくなったとき:“十字に交わった電線に重なる満月”

(3)瀧がスケッチを描いていたとき(クレーンの右に月がある):“左上向きの半月”

(4)飛騨の旅館での夜空:“右下向きの半月”

(5)瀧と三葉が“カタワレ時”に再会したとき:“右下向きの三日月”(彗星の進行方向と同じ向き)

(6)糸守町が救われた後、瀧の就職活動中:“十字に交わった電線に重なる満月”

結論から言えば、この月は “入れ替わりの現象が起きるか起こらないか”、“完全な世界になっているか”、“片方がいなくなった世界か”を示しているのではないでしょうか。

(2)の満月のとき、入れ替わりの現象は起きなくっているだけでなく、 三葉側の視点で“彗星が落ちて三葉たちや糸守町の人たちが亡くなった”という“結果”が提示されます。三葉が死んだことにより、3年前の瀧が彗星を見ていた世界と、三葉がいた世界が完全に“つながった”と考えられるのです。満月はそのような“完全”の象徴、電線が十字に交わっているのはそのまま2人の世界が交差していることを示しているのでしょう。

(3)と(4)では月は“半月”になっています。しかも、ラーメン店にいる瀧のシャツには“HALF MOON(半月)の文字”と“左上向きの半月の絵”が書かれていました。これは瀧が“もう片方(三葉)がいない世界”にいるということでしょう。

(5)では月は“三日月”へと変わっています。ここで連想したのは、かつて夏目漱石が「I love you」を「月が綺麗ですね」と訳したことです。瀧は三葉の手のひらに“すきだ”と書いていたのですが、そのときに漱石が遠回しに“好き”を表現するために用いた“月”が出ているうえ、“三日月”と“三葉”という“名前”がシンクロしているのです!三葉が手を開いて“すきだ”を見る前にも、ちゃんと瀧が三葉に告白したことがわかるんですね。

そして、(6)では(2)と同じ“十字に交わった電線に重なる満月”が再登場しています。これも入れ替わりの現象が起こらなくなったこと、辻褄の合う完全な世界になったことを示していますが、(2)とは“三葉が生きている世界になった”ということにおいて、はっきりとした違いがあります。

そして2人は巡り会います。入れ替わりの不思議な力がなくても、偶然であるが、運命的でもある“魂が名前を覚えていた”という形で……。

5.空を飛ぶトンビにも注目!

君の名は。 神木隆之介 立花瀧

(C)2016「君の名は。」製作委員会


劇中には、“トンビ”が以下のように登場しています。

(1)瀧と司と奥寺先輩がラーメン屋で糸守町のことを聞いた後:上空に2匹のトンビが飛んでいる(とても高い位置に1匹、低い位置に1匹)

(2)そのすぐ後、瀧が壊滅した糸守町を見たとき:瓦礫を見下ろした画で、トンビが“低い位置”で飛んでいる

(3)瀧がご神体に向かうとき:曇り空にトンビが“高い位置”で飛んでいる

(4)大人になった瀧と三葉が出会う直前:入道雲をバックに、2匹のトンビ(黒い小さなシルエット)が“ほぼ同じ、ものすごく高い位置”で飛んでいる

このトンビは瀧の気持ちそのものでしょう。(1)は“三葉のいる場所には届かない”ということ、(2)は絶望的な気持ち、(3)は曇り空でも“三葉とまた会える希望”、(4)はまた三葉と巡り合うということ……“トンビが飛ぶ高さ”が感情の浮き沈み、希望の大きさを示していたのです。

ちなみに、入道雲はオープニングでも登場しており、瀧と三葉はそれぞれ入道雲に手を伸ばそうとしていました。入道雲は(2人が会うことができるという)“夢”や“希望”の象徴なのでしょう。なお、『時をかける少女』や『おおかみこどもの雨と雪』などの細田守監督作品にも、同じような形で入道雲が登場しています。

6.瀧と三葉は時間のズレに気づいていた?


(C)2016「君の名は。」製作委員会


『君の名は。』で多くの人がツッコむのは、“2人が時間のズレに気づかないのはおかしい”ということです。確かに3年のズレなので必然的に曜日は異なりますし、スマホで日記もつけているのですから、“気付けよ!”と思うことは当然です。

しかし、瀧と三葉はそれぞれ“時間のズレに気づいていたけど、それを無意識的に見ないようにしていた”と思わせるところがありました。

その1つが、三葉(中身は瀧)がご神体へ行く“休日”の朝に制服を着ていて、妹の四葉に「なんで制服着とんの?」と言われることです。瀧は曜日のズレに気づいておらず、平日だと思い込んでいたのでしょう。

また、三葉が東京に瀧に会いに行った日は明らかに平日であり、三葉は学校をサボっていました。しかし、高校生の瀧が平日の午前中からデートをすることなんて、ありえないでしょう。当然、2013年の中学生の瀧は、デートなんてしておらず、電車の中で単語帳を使って勉強していたようでした。

その日のうちに糸守町に帰ってきた三葉は一葉おばあちゃんに髪を切ってもらい、次の日(彗星が落ちる、秋祭りの当日)にも三葉は学校を休んでいます。彼女は“瀧が自分のことを覚えていなかった”ということに混乱しすぎてしまい、“失恋”の気持ちも手伝って深く悩んだため、“時間がズレていた”という真実からも目を背けていたのではないでしょうか。

なお、三葉は自分で瀧と奥寺先輩のデートプランを考えていたはずなのに、その場所には行かず、待ち合わせ場所の四ツ谷駅や、その周り(瀧が三葉に電話をかけていたときの歩道橋や、ラストシーンの階段にも行っている!)をウロウロしています。おそらく、三葉は瀧と奥寺先輩が一緒にいるところを見たくなかったのでしょう。そのときには、もう瀧に恋をしていたのですから。

7.オープニングでの2人の身長差に注目!

君の名は。メイン

(C)2016「君の名は。」製作委員会


オープニングは、前述の(1)の“真下に向いている三日月”が示された後、瀧と三葉が背中合わせで立っているシーンから始まります。この時点では瀧と三葉はほぼ同じ身長なのですが、すぐに三葉の髪紐が解けて、同時に瀧の身長だけがぐっと伸びて三葉よりも身長が高くなるのです。

つまり、“3年前の中学生の瀧”が、パッと“高校生の瀧”へと変わっているのです(瀧の制服も中学から高校のものへと変わっています)。しかし、“高校生の三葉”は髪を切っただけで、身長を含めてそのまま姿でした。これは、3年分の歳をとった瀧が、(死んで時間の止まってしまう)3年前の三葉と入れ替わるという、後の展開を暗示していたのでしょう。

オープニングでは瀧と三葉が大人の年齢になっていたり、憂いを帯びた表情で髪紐を見つめる三葉の姿もあります。ここから察するに、オープニングは“糸守町の人々が救われた後の世界”をも描いていると言ってもいいでしょう。

なお、ラストシーンで大人になった瀧と三葉が階段ですれ違ったとき、その身長はほぼ同じように見えました(瀧はちょっと猫背だったので、実際は瀧のほうが身長は高いかも)。こういうところでも、2人の時間の流れがわかるのです。

8.『言の葉の庭』の物語はなくなっていたかもしれない?



※以下の項目は、『言の葉の庭』の軽めのネタバレに触れています。核心的なネタバレではありませんが、未見の方はご注意ください。

序盤に登場した“ユキちゃん先生”は、新海誠監督の中編『言の葉の庭』の雪野百香里先生と同一人物とされています。

小説やパンフレットでは、なぜ東京にいたはずの雪野先生が糸守町に来ていたのか?ということは明言されていないのですが、雪野先生が授業をした2013年9月は『言の葉の庭』の劇中において、とある理由により休職していた雪野先生が、久しぶりに学校に訪れた時期と重なっていました。

おそらく、雪野先生は“復職するためのリハビリ”として糸守町で教鞭を取っていたのでしょう。『言の葉の庭』において、雪野先生は主人公の少年の孝雄に「みんなに知られていたと思ったけど、君は違う世界を見ていたのね」と言っており、それは“違う場所なら教師として受け入れられる”という自身の希望も示していたと解釈できます。

また、雪野先生の出演シーンはこれだけでありません。10月4日の秋祭り当日、避難の放送を流したさやちんが泣きながら連れて行かれるとき、雪野先生は後ろからさやちんを心配そうに見ていました。さらに、雪野先生は彗星が割れた光景も目撃していたのです。

『君の名は。』で糸守町のみんなが救われていなければ、『言の葉の庭』の物語はなかった(完結しなかった)、とも取れるのです。

※筆者の解釈であり、オフィシャルの見解ではございません。


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