映画コラム

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2017年03月08日

『彼らが本気で編むときは、』実は失くした男性器の供養の物語だった!

『彼らが本気で編むときは、』実は失くした男性器の供養の物語だった!



(C)2017「彼らが本気で編むときは、」製作委員会



生田斗真の女装が大きな話題となっている、現在公開中の映『彼らが本気で編むときは、』。

超話題作『ラ・ラ・ランド』と同時期公開となった本作を、今回は初日のTOHOシネマズ、夕方の回で鑑賞してきた。残念ながら、場内は6〜7割の入り。正直、前方には空席が目立ったのだが・・・。

さて、初日の上映に駆けつけたその結果は、果たしてどうだったのか?

ストーリー


母親であるヒロミ(ミムラ)が育児放棄して家を出てしまい、置き去りにされた11歳の少女トモ(柿原りんか)。彼女が叔父マキオ(桐谷健太)の家を訪ねると、彼は恋人リンコ(生田斗真)と生活していた。老人ホームで介護士として働いているトランスジェンダーのリンコは、トモにおいしい手料理をふるまい優しく接する。実の母以上に自分に愛情を注ぎ、家庭の温もりを与えてくれるリンコに困惑するトモだったが……。


これは、母娘3代に渡る、愛と憎しみの連鎖の物語だった!


テーブルに置かれたカップ味噌汁とコンビニのおにぎり、そしてゴミ箱に一杯になっているおにぎりの包装紙。更に、母親の下着を含めた洗濯物を一人畳む小学生の女の子トモ。

本作はこのように、冒頭1分で全体状況を無駄なく説明し、この女の子の置かれた環境を、瞬時に観客に理解させる。

夜遅く酒に酔って帰宅し、そのまま布団で眠ってしまう母親との間には会話も無く、もはや母親がトモに視線を向けることも無い・・・。
『めがね』や『かもめ食堂』、『レンタネコ』など、その独自の世界観・作風で知られる荻上直子監督の演出は今回実に上手く、この時点で我々観客の興味は、既にこの女の子から離れられなくなっているのだ。

公開前から、どうしてもトランスジェンダーや同性愛的な側面が注目されていたが、実は本作の重大なテーマは、「母親が自分の子を理解し十分な愛情を注ぐことで、その子もまた我が子に愛情を注げるのだ」、ということ。

主人公である女の子、小川トモとその母ヒロミ、そしてヒロミの母親であるトモのおばあちゃん。
かつて自分の母親の愛を拒絶した経験を持つヒロミ。その原因として叔父のマキオの口から語られるのは、子供の時に姉のヒロミだけが厳しく躾けられたということ。その結果が、わが娘であるトモへの冷たい態度の原因になっているという、正に「母娘三代に渡る負の連鎖」と呼ぶべき、厳しい現実が本作では描かれて行く。

一見、その関係性が完全に崩壊しているかの様に見える、小川家3代に渡る母娘の確執。しかし、共通の「ある歌」を通して、実は心が繋がっていることが分かって来る。

トモが時々口ずさんでいる歌が、実はおばあちゃんがトモの母親であるヒロミに、子供の頃聞かせていた歌であり、ラストではヒロミが病室の母親に、その歌を歌ってあげるというシーンがある。

長い年月を経て、ようやく少しお互いの距離が縮められたことが描かれるラストなのだが、以後の関係修復への長い道のりを予感させて、手放しのハッピーエンドとは言い難い。だが、それだけに安易な涙や感動に流されない、より現実的な視点から描かれているとも言えるだろう。
実は今回、前情報を出来る限り遮断しての鑑賞だったため、エンドクレジットを見て初めて「え、これ荻上監督が撮ったのか!」と知って、本気で驚いてしまった。

過去の荻上直子監督の作風とは、確実に一味違った印象を受ける作品なので、ファンの方もそうでない方も、安心して劇場に足を運んで頂きたい。

生田斗真の女装だけじゃない、実は切られた男性器を供養する?物語でもあった!


本作の見所、それは何といっても生田斗真の女装姿だろう。過去に差別や偏見に苦しんだ者だからこそが持つ、その佇まいの美しさと悟りにも似た包容力!桐谷健太が一目惚れするのも無理はない?そう観客に納得させるようなその姿は、スクリーンの上でも実に魅力的だ。

特にトモに対して、「悔しいことや、どうしても我慢出来ないことがあったら、私はこうするの」と、編み物のやり方を教えるシーンは、過去の一番辛い時期に、自身の母親から受けた大きな愛情が確実に彼の支えとなり、他者にもそれを分け与えられる程に成長したことを意味する、重要なシーンだと言える。

本編中で、リンコは常に編み物をしているのだが、手袋でもマフラーでもない、何か筒状の物体を次々にひたすら編み続けている。
実はそれこそ、性転換手術で失った自身の男性器の身代わりであり、この編み物が108個出来上がった時には一斉に燃やして供養をし、自身のある願いを実行に移そうと思っている。つまりは、一種の願掛けというわけだ。

この一見「?」な設定があってこそ、ラストでリンコがトモに贈る、手編みの「ある作品」が生きてくる。その作品こそ、リンコが母親から受けた愛情の象徴であり、トモに対するリンコの「母親」としての愛情、そして遠く離れても二人が親子として繋がっていることが、ラストで示されるのだ。

本編中に登場する、リンコたち3人が仲良く並んで編み物をしているシーン。その編んでる物が実は男性器だったとしても、非常に家族の繋がりと愛情を感じさせる名シーンとなっており、この辺の荻上直子監督の演出は、やはり彼女ならではの世界観を良く現していると言えるだろう。



最後に


タイトルになっている『彼らが本気で編むときは、』。この言葉の真意は、観客それぞれによって様々な捉え方が出来るようになっているのだが、そこに込められているのは、「他者への想いや愛情」そして「深い悲しみや怒りへの代償行為」なのでは無いだろうか?

荻上直子監督自身が、この映画は「荻上直子・第二章の始まり」と公言しているだけに、監督にとっても勝負を賭けた作品だということが、観客に確実に伝わって来る本作。

本作と同傾向の作品である、昨年の『湯を沸かすほどの熱い愛』に感動した方には、無条件でオススメ出来る作品なので、是非劇場で!

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(文:滝口アキラ)

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