『美女と野獣』はオタク婚活映画の傑作!実に重い意外な裏テーマとは?
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公開前から既に話題沸騰!注目度満点の映画、それがこの実写版『美女と野獣』だ。
自分も劇場で何回も予告編は目にしていたのだが、その印象からは「うーん、アニメ版そのままの世界観で、実写版を作って果たして面白いのか?」としか感じていなかった本作。
自分みたいな大人の男が一人で見に行っても、果たして楽しめるのだろうか?そんな期待と不安を胸に、今回は公開2日目の土曜日夜の回で鑑賞して来た。場内はさすがにほぼ満席、しかも女性や男女カップル率が多い中で鑑賞に望んだその結果は、果たしてどうだったのか?
予告編
ストーリー
進歩的な考え方が原因で、閉鎖的な村人たちとなじめないことに悩む美女ベル(エマ・ワトソン)。
ある日、彼女は野獣(ダン・スティーヴンス)と遭遇する。彼は魔女の呪いによって変身させられた王子で、魔女が置いていったバラの花びらが散ってしまう前に誰かを愛し、愛されなければ元の姿に戻ることができない身であった。その恐ろしい外見にたじろぎながらも、野獣に心惹(ひ)かれていくベル。一方の野獣は……。
大の男が一人で見に行っても感動出来た!その理由とは?
冒頭でも述べた通り、あまりにアニメ版に似たビジュアルの予告編に、これはディズニーアニメのファンに向けて作られた作品に違いない、そう思い込んでいた。しかし後述する様に、アニメでは描けない部分をきっちり描くための実写化という、その志の高さにまず驚かされた!
個人的に『美女と野獣』のアニメ版で一番納得出来なかった点、それは「野獣に惚れる女性って、どんな性格の女性だよ?」ということ。
性格が良くて人を外見で判断しない、女神の様な完璧なヒロイン。それってアニメでは描けても、実写版で生身の女優が演じて観客に納得させられるのか?そんな疑問と不安で鑑賞に臨んだわけだが、予想に反して本作のヒロインであるベルは、村の住人とは違う一種の「変わり者」として描かれていた。
年頃の女性でありながら、自分の外見を飾ることに興味が無く、本の虫であるベル。彼女は決して理想のヒロインとしては描かれてはいない。閉鎖的で退屈な村から飛び出したいと願う行動的な女性像は、むしろ現代の女性像に近いものがあり、見ている内に「これでどうやって野獣を好きになるのだろう?」と心配になって来るほど。
ところが、そんな不安は全く不要だった。
ベルが野獣に心惹かれるきっかけが、野獣の城にある膨大な蔵書の山だったからだ!お互いに読んだ本の話から始まり、そこから野獣の思いがけない教養に触れ、次第に二人が心を開いて惹かれ合って行く様は、まさに現代に生きるオタクの婚活映画ではないか。アニメ版の様な王子との夢のラブストーリー的な側面だけでなく、現代に通じる結構リアルに共感出来るような、今回の二人の設定。実はこの部分こそが、今回の実写化における新たな発見と挑戦であり、ぼっち鑑賞の男までも感動・共感させる原因となったわけだ。
その他にもアニメ版では描かれなかった点。例えば父親だけでなく、ベル共々精神病院に送ろうとするガストンの狂気や、彼に先導されて野獣の城に押し寄せる村人たちの迫力と恐怖。そして何よりこの実写版で素晴らしかったのは、アニメ版では突然野獣が生き返って、全てが元に戻った様に描かれていた部分が、実は王子を野獣に変える原因となった魔女が、その後も姿を変えて彼の人生をちゃんと見守っていた!という設定になっていたこと。
これによって、死を遂げた野獣を魔女が復活させるという展開に観客が納得出来るし、同時に、王子の死んだ母親が魔女の姿となって現れていたのでは?とも取ることが出来る。
野獣となった王子が実は孤独な存在では無く、家来や魔女など、周囲から見守られていたのだということが判る展開に、恥ずかしながら自分は感動してしまったというわけだ。
ただ、バラの花びらが散る具体的な時間制約と、その度に野獣や家来たちが人間で無い存在に近づいて行き、人間としての記憶や心を失って行く、という部分がちょっと説明不足で判りにくい?と感じたのも確かなので、ここの部分は鑑賞する際に注意された方が良いかも?
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アニメから実写化する理由はここにあった!今回の実写版が真に伝えたかったテーマとは?
本作で描かれる裏テーマとは、実は「差別と偏見」に他ならない。内容的には、以前この記事でも書いた「映画クレヨンしんちゃん」に通じる作品だと言える。
しかも、本作で描かれる「差別と偏見」とは、非常にデリケートな問題、「LGBT」に対するものだ。
今回の実写化の最大の理由とは、アニメ版では描けなかったこの部分を、より深く掘り下げて描くためではないか?
前述した様に、本作のヒロインのベルは、村人たちから変わり者として、偏見と好奇の目で見られている。
ここで大事なのは、ベル自身もまた外見や思い込みで他人を判断しているということだ。一見村人たちから好奇の目で見られて孤立しているかのように見えるベルだが、実はベルの方も外見を飾ることが大事な村の女性や本を読まない人々を、自分とは違う者として見下しているのだ。
恐らく村で唯一の図書館、その管理人が黒人という点も、実は本作に潜む裏テーマを象徴していると言える。
映画のラスト、野獣の城に村人たちがリンチに向かうシーンでも、黒人の村人がこの襲撃に加わらないで逃げる、というカットがあったり、城の扉を叩き壊そうと村人達が押し寄せるシーンなどは、サイレント映画時代に描かれていた様な黒人に対するリンチを想像させて、非常に恐怖を感じるほど。
ただ城の中での戦いに移ると、家具に姿を変えられた家来たちのコミカルな活躍や、あくまでも決して人は死なない様に描かれているので、そこはアニメ版の観客に対しても充分な配慮がなされていると感じた。
ガストンの友人であるル・フウのキャラクターに加えて、この城への襲撃シーンでも「LGBT」に関する描写は出て来るのだが、それもギャグの衣にくるまれているので、ちょっと見ただけでは気が付かないかも?
特に、衣装戸棚から巻きついてくる女性物のドレスにより、女装させられてしまった3人の男の内、一人だけが何故かウットリした顔でいる!という描写。これは自分がゲイだとカミングアウトすることを、英語で「アウト・オブ・クローゼット」=戸棚から出て来る、と言うことに引っ掛けたギャグだと思われる。
自身もゲイをカミングアウトしているビル・コンドン監督だけに、気をつけて良く見れば、前述した様な「LGBT」要素だけでなく、社会の差別や偏見という高いメッセージ性にも、きっと気付かれるはずだ。
監督デビュー作が「地獄のシスター」、2作目が「キャンディマン2」という、ホラー映画出身のビル・コンドン監督だけに、美女と野獣の世界観に巧みに忍び込ませた様々な現実問題と悪意の描き方は、非常に巧妙で実に上手い!
大体、普段は凶悪な役や殺人鬼、ドラキュラを演じているルーク・エヴァンスを、わざわざ二枚目の悪役ガストンに起用するという辺りの「この監督、確信犯!」としか思えない趣味の良さが凄い!(ルーク・エヴァンス自身も、実はゲイであることを公言している。)
ここで断言しよう。本作はラブストーリーやミュージカルといった、単一のジャンルに収まる内容の映画では無いと。
どうか大人の男性陣も、先入観や偏見を捨てて是非劇場へ足を運んで頂ければと思う。
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最後に
予想外に、現代に通じるデリケートな問題を扱う大人向け?の内容だった、この実写版「美女と野獣」。
特に前述した、姿を変えて村に留まり王子やベルたちを見守っていた魔女の境遇は、まさに今回の実写化における重要ポイントと言える。
個人的には、今回のこの設定や描写を見て、あの「帰って来たウルトラマン」の中の名エピソード、「怪獣使いと少年」を思い出してしまった。
集団の中に溶け込めない存在や、貧しい者や身分の低い者に対しての容赦ない差別や偏見を描きながら、被差別の存在が実は・・・、というこの部分。実はアニメ版には無かったこの部分こそが、ビル・コンドン監督が描きたかった部分だったのではないだろうか?
自分が見たところ、ネットの感想の中には、「何もミュージカルにしなくても良かったのでは?」との意見も多かったようだが、往年の名作ミュージカル映画にオマージュを捧げた、本作の素晴らしいミュージカルシーンのお蔭で、実はダークな内容という、本作のもう一つの側面がかなり中和されているのも事実。
公開当時、アニメ版「美女と野獣」を見た子供達が成長して、大人になった目で見ても楽しめるのが、今回の実写版「美女と野獣」だと言えるだろう。
大人だけでも子供連れでも、様々な楽しみ方が出来る本作こそ、エンタメの王者であるディズニーの新たな挑戦の第一歩となるのかも知れない。
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(文:滝口アキラ)
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