【2018映画総括】振り返ると、ニコラス・ケイジが居た
本コラムを書いているのは2018年12月20日であるが、ありがたいことにシネマズPLUSの年内最終コラムに選んで頂けた。
年の瀬は酒の席で「今年観た映画でいちばん面白かったのは?」「トップ10は?」などという話題がよくあがる。
「アレは面白かった!」
「アレは駄目だった!」
「いや、アレこそいいんじゃないか!」
と、その年に観た映画をつまみにしつつ酒を飲むのは楽しいもので、作品を振り返ってみると新たな発見や解釈や感想が生まれることもある。
筆者は映画の話を書いて原稿料を稼ぎ、その金で映画を観に行くという永久機関的ビジネスモデルを採用しているので、今回は2018年に観た映画を振り返り、来年一発目の映画代と、パンフレット代と、ポップコーンとドリンク代と、鑑賞後の飲代を稼ごうという算段である。
2018年に初めて観た役者の顔は、ニコラス・ケイジだった
メモ帳に貼り付けたレシートによれば、今年最初に観た映画は『オレの獲物はビンラディン』である。
場所はシネマート新宿。客は筆者を含めて5人。全員男だった。新春からニコラス・ケイジの顔を拝みに来館した男たちが集う狭いロビーには、妙な連帯感のようなものが満ちていたのを覚えている。
『オレの獲物はビンラディン』は、人工透析中に神から「ビンラディンを捕まえよ」とお告げをうけた主人公、ゲイリー・フォークナー(当然ニコラス・ケイジ)が、資金集めのためにラスベガスへ行き、移動手段としてヨットを調達し、日本刀を武器に世紀のテロリストを捕縛せんと彼の地に旅立つといった、魅力溢れる設定とパワーワードを盛り込んでいる。ちなみにゲイリー・フォークナーは実在の人物であるからして、実録モノの側面すら備えている。監督も『ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習』や『ブルーノ』のラリー・チャールズである。こんなの面白くならないわけがない。
なのだが、映画はニコラス・ケイジの出オチを頂点として、緩やかに下降線を辿る。ニコラス・ケイジは悪くない。むしろ演技はキレッキレであり、瞳を輝かせながら機関銃のように喋りまくる。愛らしさや哀しさ、愚かさが同居したゲイリー・フォークナーは、ハイスキルな演技のせいで「狂人」から「気の毒なオッサン」にクラスチェンジしてしまい、「このくらい狂った人なんて、現実に結構いますよね」と素直に笑うことができなくなってしまった。こうして2018年は、ニコラス・ケイジ主演の微妙な映画からはじまった。
実録モノといえば、みんな忘れてませんか? あの映画
翌月には『オレの獲物はビンラディン』と同じく、実録モノである『デトロイト』が公開された。
素晴らしい映画なのになぜか賞レースには引っかからなかった不遇の作品である。
本作は、1967年の7月23日-27日にかけてデトロイトで勃発した暴動の最中に起こった「アルジェ・モーテル事件」を描く。監督であるキャスリン・ビグローは『ハート・ロッカー』や『ゼロ・ダーク・サーティー』よろしく、今回も人間の「嫌な」部分を全面的に剥き出しにしていく。
目玉である40分にも渡る尋問・暴行シーンは、眉毛すら極悪に見える白人警官クラウス(ウィル・ポールター)を筆頭に、やる側もやられる側もまさに迫真の演技で、とくにクラウスは複数の人格を合成させて役作りをおこなった結果、まるで米国のような人格になっており「場を支配できる権力をもった悪気の無いバカがどれだけ面倒くさいか」を見せつけてくれる。
だが、本作の最も素晴らしいシーンは上述した40分間ではなく、冒頭である。白人警官たちの理不尽な取締に住民たちのフラストレーションが溜まり続け、ついに発火し暴動に至るシーンは、バリー・アクロイドの強烈な手ブレカメラワークも相まって、まさに圧巻である。
さらに劇伴・選曲ともに素晴らしく、音楽映画としての側面すら備えており、とくにエンドロールの『It Ain’t Fair (feat. Bilal)』は1967年と2018年をガッツリと繋げる。
そして、とてつもない傑作登場
『デトロイト』と時を同じくして、公開された傑作が『スリー・ビルボード』である。
個人的には本作が2018年ナンバーワンで「こりゃ完全に脚本賞取るでしょ」と思っていたら『ゲット・アウト』がかっさらっていった。『ゲット・アウト』も良作だったので別に恨みはないが、どう考えても『スリー・ビルボード』でしょう。
監督のマーティン・マクドナーは『セブン・サイコパス』で爆発させたヴァイオレンスとユーモアを自身が得意とする劇作に引き寄せて見事なアップデートを果たした。相変わらず放火の手際も見事で、主演のフランシス・マクドーマンドはもとより、ウディ・ハレルソン、サム・ロックウェルも凄まじいハイスキルを見せつけた。
話は目まぐるしく展開していくが、ハイスピードというわけではなく、焦らさず緩めず堂々たる歩みで進んでいく。そこにはっきりとした「重さ」と風格があり、テンプレ化したハリウッド脚本術や映画自体に対して火炎瓶を投げつける。まさに名作。
ところで、アカデミーといえば作品賞を受賞した『シェイプ・オブ・ウォーター』の話に触れないわけにはいかない。
筆者は公開時に入院していたため劇場では未見だったが、レンタルで観たところ「映画館で観ればよかった」と後悔した。アレクサンドル・デスプラの劇伴が素晴らしすぎたからである。
話は三度、実録すぎる実録モノへ。
傑作があれば駄作もある。そして問題作もあるのが映画だが、クリント・イーストウッド御大が撮った『15時17分、パリ行き』は、問題作の筆頭だろう。
2015年の夏に起きた「タリス銃乱射事件」を基にしてというか、実際に事件に居合わせ、テロリストを制圧した3人の若者本人を起用するという「いや、ハドソン川の奇跡でもそんなんあったけど、マジですか? 大丈夫なんすか?」と突っ込みたくもなる決断は、銃口に向かっていったスペンサー・ストーンよりもヤバい。
そして、何よりヤバいのが観光名所を周り自撮りをしまくり、インスタにアップしまくる野郎3人のほのぼの観光旅行にかなりの尺が割かれている点であり、イーストウッドはついに悟りの境地に達してしまったのかと勘ぐってしまうほどの「普通さ」「何も起きなさ」は、実録モノだとしてもハンパではない。しかし、もうムカつくほどの編集技術や、ちょっとした小技が巧いので、映画として成立してしまう。何これ。個人的には大好きな作品だが、やはり『グラン・トリノ』以降の御大は解脱したままであると思う。
あと、実録モノといえば『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』もかなりの良作。
予告編を観るだに「差別する男性VS差別される女性」みたいな雑なマッチメイクだと想像する方もいるかもしれないが、そんなことはない。映画は男女を平等に扱い、女子テニス世界チャンピオン、ビリー・ジーン・キング(エマ・ストーン)と伝説的テニスプレーヤーボビー・リッグス(スティーブ・カレル)には、これまた平等にスポットライトが当たる。
で、ちょっとデル・トロの話に戻りますと
デル・トロといえば、今年は『パシフィック・リム: アップライジング』も公開された。
しかし、監督はデル・トロではない。スティーヴン・S・デナイトである。そのためかどうかは知らないが、影響は確実にある。本作は賛否がブレイン・ハンドシェイクし「俺にも一言言わせろ」と、プリカーサーみたいな奴らを量産した。
筆者の感想としては「まあ面白いけど、これ文句言われるだろうな。でもしょうがねえよな」であり、いいところもある。悪いところもあるといった、どっちつかずの評価である。ただ一点、メンテナンス担当のジュールス(アドリア・アルホナ)が可愛すぎたので、これはもっと出番を増やすべきだったとは、声を大にして言いたい。
そして、『パシフィック・リム: アップライジング』に続いての超大作といえば、アレである。
『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』みなさんはどうでしたか?
今年はMCUがひとつの大きな転換点を迎えた。『ブラック・パンサー』ももちろんだが、やはり『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』におけるサノス無双。
そして大いなる喪失は、多くの方が「え? マジで?」と感じたはずだ。
「まあそうなるだろうな」と思ってはいたけれども、あれだけアッサリとやられてしまうと「お、おおう」としかならず、前半のヒーロー登場シーンをルッソ兄弟が捌きまくるお祭り騒ぎ感はどこへやら、祭ばやしを残響させながらサノスは一人黄昏る。
で、今回MCUが積み上げてきたものを自ら破壊するといった、MCUでなければできない一大事をやり遂げ、拡張され続けた宇宙はついに収束をはじめた。「来年まで死ねない」と思わせるにはじゅうぶんなデキで、来年公開予定の『アベンジャーズ/エンドゲーム』で、本作の評価もまた大きく変化していくだろう。
小品も結構よかったっすよね。今年
去年もかなりよかったのだが、小〜中規模作品も割と豊作であったと思う。このままだらだら書いていくと軽く1万文字を超えそうだし、すでにネット上では長文の域に達しているので、本項に関してはサラッといくが、『レディ・バード』はお気楽な映画かなと臨んだところ、とことん「名前」と「幸せ」を巡るウェルメイドな作品だった。
ポジティブ心理学者のマーティン・セリグマンによれば、幸福には快楽の人生・夢中を追求する人生・意味のある人生の3つのタイプがあるそうだが、本作はこの幸福の段階を丁寧に踏んでいく。
『レディ・バード』と併映で観て欲しい作品としては、『君が君で君だ』を挙げたい。
10年ほど前に超名作『息もできない』でヤン・イクチュンに対してカマしまくっていたキム・コッピが再びキュートを振りまく。可愛すぎて仕方がない。確定的に「時代」を現すガジェットがほとんど出てこない『君が君で君だ』と、時代設定をわかりやすいほどに確定させる『レディ・バード』はともに「名前」を巡る話である。
キム・コッピの話が出たので韓国映画方面に話を振るが、今年は昨年の『お嬢さん』や『哭声/コクソン』などのとてつもない名作に比較すると、どうしても傑作であるとは言い難い作品ばかりだった。しかし、これは比較対象がとんでもない怪物だからで、韓国映画の枠を外して単純に映画として捉えるならば最高である。
『犯罪都市』ではマ・ドンソクが『新感染 ファイナル・エクスプレス』でゾンビたちに対して放っていた「あ、これくらったらほぼ死にますよね」レベルの大砲のようなビンタをヤクザやチンピラに対して張りまくっていた。擬闘のクオリティもさすがで、刑事モノ・アクションモノとして非常にレベルが高い。また、韓国お得意の知的犯罪系としては『操作された都市』もなかなかよかった。
そして、これまた実録モノだが『タクシー運転手 約束は海を越えて』も、いつも通りのソン・ガンホ、いつも通りの韓国「泣かせ」クオリティで、平均レベルを軽々と超えながらも「タクシーによる地味なカーチェイス」によって新境地を開いた。
ちょっと話長くなったんで項を切りますが、『ブリグズビーベア』観ました?
と、見出しで疑問を投げかけてみたが、『ブリグズビーベア』はほんとうに素晴らしかった。
幼少の頃に誘拐されて、外界との接触を一切断たれて育ち、両親と親父が制作した連続TV番組『ブリグズビーベア』しか知らなかった男が、ある日警察の介入により真の両親のもとへ戻される。
といった筋だけ聞くと、そこまで明るい話ではなさそうだが、Hello Worldした男は誘拐犯の父親(補足するがマーク・ハミルだ。どう見てもジェダイにしか見えない導き方をしている)が『ブリグズビーベア』を制作していたことを知ると「マジかよ! 最高だぜ!」と興奮する。バカである。そして「映画って俺にも作れんの? じゃあブリグズビーベアの続き作れんじゃん!」と続編の制作をはじめる。愛すべきバカである。90分超、嫌な人間は一人も出てこない。大いに笑える。そして感動できる名作だ。
それとは反対に、すすめる人を選ぶ作品もある。その極北は『アンダー・ザ・シルバーレイク』で、本作に関しては筆者のなかでもまだ評価が固まっていない。というか、もう一度観ないとわからないし、おそらく観てもわからない。ウィリアム・バロウズもかくやといったカット・アップ/フォールドインをほどこし、いかようにも解釈できるスルメ的映画なので、B級カルト映画がお好きな方はぜひ。
そうそう、ウェス・アンダーソンの最新作『犬ヶ島』が公開されたのも今年だ。
2038年ごろの日本にある架空の都市、ウニ県メガ崎市を舞台として、とてつもない数の記号が画面を埋め尽くす。そして、そのすべてにウェス・アンダーソンの刻印が刻まれている。もちろん、いつものカメラワークは健在で、『ファンタスティック Mr.FOX』でミスター・フォクシー・フォックス(ジョージ・クルーニー)と、ミセス・フェリシティー・フォックス(メリル・ストリープ)が交わした言葉のように「反復」や「繰り返し」も頻出する。どのシーンを切り取っても1枚の写真として成立してしまう美しさは、劇場で観れてよかったと心底思う。
だんだん時系列がごっちゃになってきましたが
まだまだ小品の話は続く。今年、アイデアと設定がとくに光っていたのが『search/サーチ』である。
本作の凄みは「100%PCやスマホの画面で映画を作る」というアイデアを抜きにしたとしても、エンタメとしての脚本クオリティがあることで、話として普通に面白い。
で、知的に練られた脚本に上述したアイデアが乗ってくるのだから面白くないわけがない。さらに郷愁を誘うWindowsXPのデフォルト画面やGoogle、Instagram、Facebook、Twitter、Tumblrなど、ふだん私たちが使っているウェブサービスやアプリが次々と登場し、すべてを巧く使っている。無理な設定はひとつもない。とくに失踪した娘を探すくだりでは、実際にできること・やりそうなことだけをやり、サスペンスを成立させている。ここもまた凄い。
設定といえば「声を出したら即死」とのキャッチコピーで公開された『クワイエット・プレイス』もまた、アイデアが比較的成功した作品だと言えるだろう。
「音を立ててはいけない」というのは、ホラーやサスペンス映画のクリシェではあるが、本作は徹底的に音が出せない。なのでポスト・アポカリプスモノにありがちな「車のガソリンとかどうやって調達するんすか、劣化するんじゃないですか」問題や、「野犬をはじめとして、爆発的に増殖するであろう危険な野生生物はどこにいるんすか」問題が自然に解決される。
だが、一家のサバイバルスキルは高いものの、どいつもこいつも危機感が足りず、注意をしていれば防げたミスにより危険に晒される。しかし、これは愛すべき突っ込みどろこであり、ベタなホラー映画としてはむしろ必要な演出である。そして、爽快感を感じてしまうほどのラストシーンは、ぜひネタバレなしで観て欲しい。ちなみに、ほんとうにどうでもいい情報だが、愛知県豊田市には「クワイエットプレイス」という名の賃貸物件がある。
『レディ・プレイヤー1』と『カメラを止めるな!』はどうでしょう?
純粋に「映画として面白かった」作品としては『レディ・プレイヤー1』と『カメラを止めるな!』が最高だった。
『レディ・プレイヤー1』に関しては、もうヒロインのサマンサ(オリビア・クック)がブルーのカーディガン、チェリーレッドのドクターマーチン8ホール、ショートデニムに伝線したストッキングでジョイ・ディヴィジョンのタンクというスタイリングの時点で5億点を叩き出しているので、何も言うことはない。
ないのだが、あらゆるポップカルチャーの記号が散りばめられ、その記号がすべてガチであるのは凄まじく。とにかく「自分が観たいものしか観えない」タチの悪い作品でもある。この映画を人に紹介するときは「たまたまテレビをつけてやってた金曜ロードショーが、すんごい面白かった」ときの満足感に似ていると伝えることにしているのだが、我ながらいい例えだと思う。
そして、今なお話題の『カメラを止めるな!』である。ガンッガンにハードルが高くなった状態で鑑賞したのだが、なんのなんの、あ、こんなところに傑作が。と、完璧な映画だった。前半の37分ワンカットシーンも、巷間言われているほどだるくなく、違和感もない。なぜならば、意外にもゾンビマナーに忠実に作られているからで、まさに「質はそこそこ」である。
閉鎖的な空間で事件が起こり、噛まれた奴を殺そうとしたり、「やっぱり、人間がいちばん怖いっすよね」といったお約束が入ったりと、ゾンビ映画の常套句はこれでもかと挿入されている。だが、実はゾンビ映画のお約束をかなり削ぎ落としている面もある。これはゾンビリテラシーが低い層が想像するようなゾンビ映画を作り上げているということで、これまた凄い。
そして、後半の展開については言及するまでもないだろう。未だ観ていない人もいるだろうし割愛するが、何だあの映画は、ビンッッビンじゃねえか!
と、『レディ・プレイヤー1』と『カメラを止めるな!』に関しては「映画を観ることの楽しさ」を思い出させてくれた作品でもあるので、ほんとうに感謝している。
2018年最後(現状)に観た役者の顔も、ニコラス・ケイジだった
ほかにも、『オーシャンズ8』がどれだけ粋で余裕な作品だとか、やっぱりダイヤモンドは女性が身につけてこそ美しい輝きを放つココ山岡的発見だとか、アン・ハサウェイお前だけ照明の当て具合違うだろ最高だぞとか。
『未来のミライ』はくんちゃん(超クソガキ)のハードコア幻覚体験がヤバ過ぎるとか、知らない家庭のホームビデオを90分以上に渡って見せ続けられるルドビコ療法的映画であるとか、山下達郎の新曲を映画館で聴く行為にそもそも1,800円以上の価値があるんだから映画は実質無料なのではないかとか。
『アントマン&ワスプ』はあの災厄の後に本作を「ほれ」と置いてみせるMCUの余裕はすっげえとか、完全にこれ、緊張と緩和ですよねとか、でもよく考えたらアントマンって戦いようによってはサノスとかすぐに倒せね強すぎるんじゃねとか、いろいろ書きたいことはあるのだが、この調子でいったら何万文字だろうが書けてしまうのでそろそろお開きにする。
ときに、2018年12月20日現在、最後に観た映画は『マンディ 地獄のロード・ウォリアー』である。
(C)2017 Mandy Films, LTD. All Rights Reserved
ニコラス・ケイジ主演作ながらもニコラス・ケイジの出演シーンをかなり抑え、台詞も少なめにするという贅沢なニコラス・ケイジ使いは素晴らしく、クリスチャン・ラッセンの絵に核爆弾を投下したような色使いも最高。派手なアクションはないが、そこがいい。カルト宗教に奥さんを焼き殺されたレッド(今更だがニコラス・ケイジ)は、教団員や、拉致を担当した地獄のチキチキ・ロックライダーたちに対して、まるでくすぶる炎のようにじりじりと復讐を果たしていく。復讐の果てには何が待ち受けているのか? ぜひご覧いただきたい。とは言わない。別に観なくてもいい。でも個人的には大好物な作品だった。もちろん、ヨハン・ヨハンソンの遺作となってしまった劇伴も秀逸。合掌。
2018年って、実録モノ多かったですよねという雑なまとめ
「そんなわけで」と書かれたコラムで「どんなわけ」だったのかがわかった試しはないのだが、とにかくそんなわけで、2018年の映画をかなりざっくりと振り返った。書くのを飛ばした作品も山程あるし、そもそも振り返られるほど今年は本数を観れていないのだが、それでも面白い映画体験がたくさんあった。とくに実録モノの充実は素晴らしく、2000年代くらいから次々と公開された音楽映画の傑作たちよろしく、時代考証もバッチリな作品が多かった。
時代も大昔ではなく数十年前なので、関係者も存命だったり、資料も潤沢にある場合が多く、あとは今の時代、ガッチリやらなかったらすぐさまSNS保安官が飛んでくるなど、さまざまな要因があるだろうが、このクオリティはしばらく下がらないだろう。というか、下がらないで欲しい。
と、「実録モノ、多かったですよね。面白いのも結構あったなあ」というバカみたいな結論で本コラムは終わりを迎えるわけだが、来年も映画を観て、誰かと感想を話し合い、バカみたいな文章を書いて過ごしていきたい。何よりもみなさまの2019年の映画体験が、より素晴らしいものになりますように。
(文:加藤広大)
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