『十二人の死にたい子どもたち』密室劇サスペンス、押さえておきたい「12」のポイント!
(C)2019「十二人の死にたい子どもたち」製作委員会
先週末(1月26日~27日)の国内映画興行ランキングは、1位『マスカレード・ホテル』、2位『十二人の死にたい子どもたち』と、見事にミステリー小説を原作とした映画がワンツーフィニッシュを決めた。多くのジャンル映画が乱立する中で、現在の状況は“ミステリー好き”の筆者にとって実に喜ばしいものがある。
惜しくも首位は逃したが、堤幸彦監督の密室劇『十二人の死にたい子どもたち』は早い段階から奇をてらったプロモーションを展開して、映画ファンやミステリー好きにアピールしてきた。その手法はこれまで『ケイゾク』や『SPEC』などで観る者を翻弄してきた、“堤マジック”のひとつにも挙げられるのではないか。結果として筆者はミステリー映画というジャンル作品として楽しむことができたので、今回はタイトルに倣って『十二人の死にたい子どもたち』について“12のポイント”を挙げたい。
1.『十二人の死にたい子どもたち』の原作は?
本作は冲方丁の同名小説が原作で、「第156回直木賞」候補作品としても知られている。冲方といえば岡田准一主演で映画化もされた『天地明察』が吉川英治文学新人賞や本屋大賞を受賞し、その後発表した『光圀伝』も山田風太郎賞を受賞するなど時代小説に定評がある。また劇場アニメ三部作として公開に至った『マルドゥック・スクランブル』ではSF大賞を受賞しており、確かな筆致と豊穣な世界観で読者を虜にしてきた。
そんな冲方にとって本作は現代を舞台にした自身初のミステリー作品であり、推理劇を主体にした社会的な物語へと仕上がっている。冲方はいわゆる“推理作家”には当てはまらないが、だからこそ従来のミステリー観をあえて砕く野心も垣間見せている。推理劇とはいえ予想外の構成・設定によって物語を構築し、それでいてしっかりと結末に向けて加速していくミステリー作品の醍醐味も、しっかりと味わうことができるのだ。
2.ミステリー作品と相性が良い堤幸彦監督
前回紹介した『マスカレード・ホテル』でも触れたが、単純に「ミステリー小説の映画化」といっても、2時間の枠のなかで長編推理小説を完璧に映像化することはほぼ不可能に近いだろう。ではその過程においてどの物語を抽出しどの情報を取り込むか、その時点で映画化の成否が決まるといっても過言ではない。
堤幸彦監督といえばオールラウンダー的に多彩なジャンルを手掛けているが、実はその根底には群像劇における的確なキャラクターの配置と情報の整理力が共通しているように思える。そうした視点こそまさにミステリー作品を構成する上で重要視される部分であり、東野圭吾原作の『人魚の眠る家』や、映像化不可能と言われた乾くるみ原作の『イニシエーション・ラブ』といった作品が成功に繋がった理由ではないだろうか。本作においても12人=12通りもの物語が必要であり、推理劇を全体から俯瞰する持ち前のビジョンが発揮されている。
3.宣伝段階で始まった“ゲーム”
本作のプロモーションにおける大きな遊び心といえば、12人のメインキャラクター中“4”の数字を割り当てられた「秋川莉胡」をめぐるキャスティングだ。ポスタービジュアルは目深に被った帽子とマスクでその正体は全く見えず、予告編でもリョウコにはモザイクがかけられる手の込みよう。結局公開を前にその正体は橋本環奈だと明かされたわけだが、なかには公開まで伏せておけばよかったのに、と思われた人がいたかもしれない。確かにその通りだが、作品を観てみればリョウコ(=橋本)の姿が思いのほか早く映し出されていたことから、莉胡のキャスト当てクイズは公開前の“一興”だったと捉えるべきだろう。
4.廃病院に集まった“13人”の若者
本作は全編を通して廃病院が舞台になっており、文字通りワンシチュエーションで展開されている。廃病院に集う理由は「安楽死を迎えるため」であり、参加者である彼ら彼女らにとっては一致した行動目的だ。ところがそこに“13番目”の少年が横たわっていたことから、12人の参加者たちは混沌の渦へと巻き込まれていく。幾層にも物語が重なる本作だが、鍵となる人物こそ13番目の少年であり、その謎をめぐる推理劇が展開されていく。
(C)2019「十二人の死にたい子どもたち」製作委員会
5.間違えてはいけない“密室劇”の意味
ミステリー作品には“クローズドサークル”という密室型推理劇が一ジャンルとして存在する。その内容は鍵がかけられ脱出不能な状況を表す文字通りの“密室”モノから、屋外に出ることが困難な“吹雪の山荘”モノ、あるいは物理的に下界から孤立した“嵐の孤島”モノまで様々だ。では本作はというと、舞台となる廃病院は隔絶的な場所にある建造物ではなく、それどころか街中にどしんと構えている。施錠による限定空間はなく出入りも自由。はて、そのような環境で密室と呼べるのか?
呼べる。ミステリーにおける“密室”とは、なにも物理的に閉ざされた空間だけを指したものとは限らない。本作の場合、12人の少年少女は「安楽死」を迎えるにあたって様々な理由から事を遂行するまで、決して外部にその行動を知られてはならない制限が発生している。つまり彼らは“自由の身”でありながら精神的な鎖によって下界とは隔絶されざるをえず、廃病院の外に出ることは選択肢にないのだ。本来のミステリー作品なら「生き残り」を懸けて密室劇が展開するが、本作の場合は「死ぬこと」を懸けて密室劇が展開する逆転の構図になっている。この点を踏まえた上で本作を観れば、密室劇という意味がより深みを増すことになるのではないだろうか。
(C)2019「十二人の死にたい子どもたち」製作委員会
6.“13番目の少年”をめぐる謎
ミステリー作品において魅力的(?)な単語のひとつに「招かれざる客」というものがある。招待されたはずのない第三者、入れ替わりによって紛れ込んだ滞在者、人知れず紛れ込んでいた殺人鬼……。そのシチュエーションは様々だが、本作では「参加リストにはない存在」として13番目の少年が誰よりも先にベッドに横たえられていた。枕元には大量の睡眠薬や車椅子といったアイテムが配置され、素性も分からないことが一層の謎を引き立てる。自殺なのか他殺なのかも分からず疑心暗鬼になっていく12人の参加者たち。「死にたいけど殺されたくはない」というストレートな不条理感は、13番目の“彼”の存在なくしては有り得ない。ちなみにそんな“彼”をただひたすらじっと演じ続けたのは俳優・モデルのとまん。
7.ワトソン役が不在の推理劇
ミステリー作品で欠かせない存在といえば“探偵役”であり、本作ではその探偵役を新田真剣佑演じる5番・シンジロウが担っている。予告編でも13番目の少年をめぐって「偽装工作、自殺に見せかけた他殺だよ」というセリフを聞くことができ、以降もシンジロウがほぼ1人で推理を組み立てていく。本来なら探偵役には助手が必要になるが、本作では“推理好き”というシンジロウを除いて論理的思考を持ち得るキャラクターは登場しない。この点も冲方による既存のミステリー観を取り壊したアプローチであり、時としてじっと考え込むシンジロウの姿が必要以上に意味深なこともある。探偵だからと言って本当に彼の言動は果たして正しいのか。探偵が犯人となるミステリー作品も実は多いが、解決編における新田の静かなる熱演にぜひ注目してほしいところ。
(C)2019「十二人の死にたい子どもたち」製作委員会
8.高杉真宙の役割は?
探偵役である新田の次にフォーカスしたいのが、1番のサトシを演じる高杉真宙だ。彼こそ本作で描かれる「安楽死の集い」を主催する人物であり、廃病院内で安楽死に向けた全ての準備を整えた人物でもある。探偵役のお株はシンジロウに渡ったが、彼ほどの冷静沈着さがあればシンジロウの良きパートナー=ワトソン役になっていてもおかしくはなかったはず。それでも彼は積極的な推理や助手としての役割を果たそうとしているようには見えず、あくまでも主催者としての立ち位置を守り続けている。中立的な対応かつ偏見の目を持つことはない、彼の様々な言動や行動が何を意味するのかは作品を観てもらうほかないが、なるほど確かに高杉の人懐こそうな笑顔はサトシというキャラクターにぴったりなのである。
(C)2019「十二人の死にたい子どもたち」製作委員会
9.繋がっていくキャラクターたち
クローズドサークル作品においては一見接点のないキャラクターたちに共通した過去があり、それが殺人事件を呼び込む理由となるのがほとんど。本作の場合、各キャラクターがそういった“秘密の過去”で繋がるのかは言及を避けておくが、ただ物語が進むにつれて思わぬ糸で結ばれるキャラクターもいる。最たる例は3番のミツエと4番のリョウコだろう。ゴスロリキャラでバンギャでもある彼女は、本来なら華々しい経歴を持つリョウコとは交わるはずのない存在だろう。けれど彼女の“欲するもの”とリョウコが“求めるもの”が相反すると分かったとき、2人の関係性が一気に近づく構図は実に鮮やかだ。
今回橋本はコメディ色を一切排した演技に徹しており、むしろ時おりあからさまな怒りすら見せることがある。その相手こそミツエであり、演じる古川琴音も橋本に負けじと全力でぶつかりに行っているのがよく分かる。2人の相反する価値観だが、終盤でしっかりとシンクロする瞬間があり、偶然とはいえ彼女たちの出会いには何がしか見えない力が働いていたのではないかと愛着すら覚えるほどだ。
(C)2019「十二人の死にたい子どもたち」製作委員会
10.フレッシュなキャストが表現するキャラクター性
物語の設定上とはいえ本作は若手俳優・女優のみで構成された意欲作でもある。杉咲花や新田、高杉や北村匠海といった人気俳優から吉川愛や竹内愛紗といった注目株がキャスティングされており、ワンシチュエーションということもあって演劇的な雰囲気もあるが、12通りの演技法を楽しむことができる。彼ら彼女らにはそれぞれ「死にたい」理由があり、おそらく冲方もその点に現代性を見出してキャラクター造形に挑んだはず。
欲をいえばそうした個々人が抱える背景をもう少しクローズアップして観たいところではあるものの、むしろ2時間の枠組みのなかでよくぞ12通り(正確には13番目の少年を含め13通り)のバックボーンを描いたというべきか。さらに一人ひとりの背景が影響し合うことでまた別の側面を見せて新たな切り口が生み出され、ぶつかり合いながらも共鳴していく少年少女たちの姿は、実行しようとする目的はさておき廃病院という空間に集った意味は実に大きかったと思わせてくれる。
(C)2019「十二人の死にたい子どもたち」製作委員会
11.偶然の積み重ねによって成立するサスペンス?
本作は言ってしまえばオープニングから解決編まで、どのシーンにおいても見逃すことはできない情報が盛り込まれている。序盤の時点で物語の核は既に動き出しているので、真面目に真相当てに挑むのならどのカットも見逃すことはできない。本作は推理劇であると同時に堤監督によって周到にピース化されたパズラーでもあり、1度で観ただけでは把握しきれないほどのスピード感もある(エンドロールでとある救済措置が取られてはいるが)。
おそらく本作において、観客の誰もが「できすぎではないか」と思える部分もあるだろう。13番目の少年をめぐる核心部でもあるのだが、それにしてもあまりに偶発的な場面が多いのだ。これはもはや原作者の冲方が意図したところであるのは明白で、それはまるで子どもたちにはまだこの世界を支配するほどの力は持ち合わせていないことを暗示しているようでもある。そんななか12人の少年少女たちが安楽死に向けて議論を交わし、あるいは13番目の少年をめぐって右往左往する姿は、悲しいかな滑稽にも見えてしまうのは仕方ないところか。
12.解決編でも気を抜くな!
ミステリー作品で解決編について詳細に言及するのは野暮なので、簡単にまとめると解決編に突入したら改めてこれまでの映像を思い返してほしい。12人の少年少女が決断を下すとき、本当に全てのピースは出揃ったのだろうか? ミステリーとは出題者と受け取り手の明確な“対決”でもある。エンドロールが始まるまで土俵を降りてはならない。「真相を完全に見抜く」。それが、推理劇の醍醐味なのだから。
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13番目のポイントに代えて
本作は突きつめていけばツッコミどころがないわけではない。それこそ2時間という枠のなかに収めきろうとするあまり観客を置いてけぼりにしてしまったり、さすがに無理があるのではないかと思いたくなる部分も正直ある。もちろん「それは目をつむって」などと言えないが、推理劇という本質の裏側には13人の少年少女それぞれが抱えた物語がある。現代社会の渦に飲まれながら辿り着いた廃病院で、彼ら彼女らが迎える結末には“偶然”を超越した“必然”が作用していたことは間違いない。ならばその必然がいかにして起こったのかを、純粋な目で楽しんでみるのも良いのではないだろうか。
(文:葦見川和哉)
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