映画コラム
【決定版】アクション映画(戦闘・軍事描写が熱い)18選!
【決定版】アクション映画(戦闘・軍事描写が熱い)18選!
(c)2016 TOHO CO.,LTD.
“アクション映画”と一口に言っても、その内容は様々。格闘技を扱ったものもあればポリティカルサスペンス、さらには流行りのアメコミヒーローといったように、その種類は多岐にわたる。総称してアクション映画はいちジャンルとして熱狂的なファンを生み出しやすいが、気分を高揚させる描写として軍事作戦が展開する作品も多い。戦争映画に枠組みを広げると膨大な有名タイトルが挙がることになるので、今回は趣向を凝らしつつ現代の戦争・軍事衝突の危機を描いたアクション映画を紹介していこう。
『レッド・オクトーバーを追え!』
“潜水艦映画に外れなし”の王道を行く、トム・クランシー原作「ジャック・ライアン」シリーズの記念すべき映画化第1作目。CIA情報分析官のジャック・ライアンをアレック・ボールドウィンが演じ、キーマンとなるソ連の原子力潜水艦艦長をショーン・コネリーが演じている。
本作の核たる部分はコネリー演じるマルコ・ラミウス艦長が、演習に見せかけて潜水艦「レッド・オクトーバー」ごとアメリカに亡命するという無謀すぎる“賭け”にある。ラミウス艦長の真意を読み解くべくボールドウィン扮するジャック・ライアンが分析を進めていくが、亡命を何としてでも阻止したいソ連側の武力行使が刻一刻と迫っていく。なにより舞台が地上と潜水艦内とはっきり二分化されていることで意思疎通が困難な状況が続くという緊迫感も手伝い、映画全体に張り詰めた息詰まる空気感の表現は見事というほかない。
ちなみに本作の監督は『プレデター』や『ダイ・ハード』といったアクション作品で知られているジョン・マクティアナン。さらに『ダイ・ハード』でもマクティアナンと組んでいる撮影監督のヤン・デ・ボンが、潜水艦内の圧迫感と陰影を巧みなまでに映し出している。『ロボコップ』の作曲家ベイジル・ポールドゥリスの音楽も熱く、まさに“職人気質”なスタッフが集結して硬派に作り上げた1本だ。
『クリムゾン・タイド』
こちらも“潜水艦映画に外れなし”を証明してみせた、トニー・スコット監督×ドン・シンプソン&ジェリー・ブラッカイマープロデュース作品。『トップガン』でエアバトルを描いたタッグが今度は海中へと舞台を移し、核ミサイル発射の是非をめぐり対立する男たちの苦悩が潜水艦という密室の中で描き出されていく。
主演を務めたのはデンゼル・ワシントンとジーン・ハックマンの演技派コンビで、ワシントンはエリート海軍のハンター副官、ハックマンは歴戦の艦長ラムジーを演じている。ロシア国内で起きた反乱によって核戦争の脅威が迫る中、途切れてしまった国防総省からの交信は核ミサイル発射の指令なのか、それとも発射中止なのか。事態を冷静に判断しようとするハンターと、開戦に待ったをかけることはできないラムジーが真っ向から対立し、その影響は艦内の乗組員たちにも及んでしまう。
ちなみに本作では『トゥルー・ロマンス』でスコットと組んだクエンティン・タランティーノが、ノンクレジットで脚本に参加。どのパートを担当したのか明らかにはなっていないが、いかにもタランティーノが好みそうな軽妙なやり取りが挿入されているのでチェックしてみてはいかがだろう。
『ブロークン・アロー』
ハリウッドに招かれた香港アクションの雄ジョン・ウーの渡米後2作品目となる本作。核弾頭強奪による脅威を描いた作品で、ジョン・トラヴォルタが強奪首謀者の米空軍ディーキンス少佐を清々しいほどの悪役ぶりで演じている。ディーキンスとバディを組み、事件後はディーキンスを追うパイロットのヘイル大尉をクリスチャン・スレーター、事件に巻き込まれながらもヘイルと行動を共にするパークレンジャーのテリーにはサマンサ・マシス。
本作はディーキンスら核弾頭強奪グループとヘイル&テリーの追撃、後半は米空軍も追いついての熾烈な核弾頭奪還作戦が展開するが、作品の基軸になっているのはディーキンスとヘイルの関係性だと言える。核弾頭を搭載したステルス爆撃機の飛行訓練中に突如本性を現すディーキンスと、彼に対抗意識を燃やしつつも一目置いていたヘイル。歪に絡み合う男2人の姿がジョン・ウー独自の“美学”によって昇華されており、オープニングのスパークリングシーンがラストバトルの伏線になっているのも心にくい演出だ。
さらにはジョン・ウーお得意のアクションが全編に渡って繰り広げられ、ステルスの墜落からは怒涛の如きチェイスシーンが展開。ハンヴィー車両によるカーチェイス、坑道内における銃撃戦(2丁拳銃シーン有り)、貨物列車上のファイトが目まぐるしく繰り広げられていく。中盤には核弾頭のひとつが地下坑道内で爆発して地上に衝撃波が伝播するスペクタクルシーンも用意されるなど、とにかく冴えわたるジョン・ウー美学とそれに呼応するトラヴォルタとスレイターの魅力がぎっしりと詰め込まれている。
『ザ・ロック』
『バッドボーイズ』に続くマイケル・ベイの長編監督2作目。観光地となったサンフランシスコ沖のアルカトラズ島をテロリストが占拠し、VXガスを搭載したロケットが街へ向けられることに。米海軍特殊部隊のネイビーシールズを中心としたチームがアルカトラズ島奪還のため島内への潜入を試みる。名優ショーン・コネリーがかつてアルカトラズ島から脱獄した“元英国諜報員”という007ファンにはたまらない役柄で登場し、往年の輝きと変わらないアクションがふんだんに盛り込まれている。
軍事作戦が展開するとはいえ、そこはベイ&製作のジェリー・ブラッカイマー印のエンタメ作品。冒頭ではテロ首謀者の元海兵隊ハメル准将(演じるのはエド・ハリス)の胸に迫る独白から一転、VXガス強奪からアルカトラズ島占拠までが一気に描かれ、さらにはアルカトラズ島の案内人となるはずのメイスンが逃走してのサンフランシスコ市内でのド迫力カーチェイスも用意されて息つく暇もない。ニコラス・ケイジ演じる化学捜査官グッドスピードとメイスンのコンビ感も魅力的で、島内潜入後に生き残った2人がサバイブする様をベイらしいエモーショナルなカットの連続で描き上げ、今なお根強い人気を誇っている。
『インデペンデンス・デイ』
破壊王ローランド・エメリッヒの名を世に知らしめたSF侵略映画の大ヒット作。ひっそり人知れず地球侵略が進むのではなく「真っ昼間に巨大な円盤が襲撃してきたら」というコンセプトから生まれた本作はとにかく規格外の描写が連続し、摩天楼を覆う巨大な宇宙船が観客の度肝を抜いただけでなく、一斉攻撃によって街が爆炎に包まれ破壊されていくスペクタクルシーンも目を見張るものがあった。
本作はビル・プルマン演じるホイットモア大統領にジェフ・ゴールドブラム演じるエンジニアのデイヴィッド、ウィル・スミス演じる海兵隊戦闘機パイロットのヒラー大尉ら複数の視点によって物語が展開。人類滅亡の危機に瀕して反撃の狼煙を上げ、地位も役職も関係なく招集されたパイロットによる戦闘機部隊と、エイリアンが操縦するアタッカーとの壮絶な空中戦が描かれている。ちなみに本作ではF/A-18ホーネットを主力とした戦闘機の大編隊が活躍を見せるが、飛行シーンは当初協力予定だった米軍側が翻意したためワイヤーフレームによるCG合成で描写。米軍が協力を撤回した理由は、本編でエリア51がUFO研究の拠点として描かれていることを知り難色を示したため、と言われている。
『ガメラ3 邪神<イリス>覚醒』
金子修介監督×樋口真嗣特技監督タッグによる、“平成ガメラ”シリーズの第3弾。もちろん作品の見どころとしてはガメラVS敵怪獣による壮絶な戦いにあるが、自衛隊による武力介入という意味ではライバルの“平成ゴジラ”シリーズよりも色濃い。平成ガメラシリーズは怪獣映画であると同時に災害映画としての視点も備えており、第1作目の対ギャオス戦から自衛隊協力のもと物語が練り込まれている。
『邪神覚醒』では映画序盤で突如飛来したガメラとギャオスの交戦に巻き込まれた渋谷が壊滅状態に陥るが、あまりに突然の出来事に自衛隊は災害派遣という形で武力行使には至っていない。しかし奈良の山中でイリスが成体へと変貌を遂げた際には陸上自衛隊が交戦、通常の銃火器で巨大怪獣に太刀打ちなどできるはずもなく、部隊は全滅してしまう。
イリス飛翔後の上空では航空自衛隊の戦闘機とイリス、さらにはガメラ、陸自からの対空ミサイルという徹底抗戦を描写。当時の邦画としては大規模な空中戦が展開している。最終的に政府は陸・海・空全戦力をもってギャオス掃討作戦へと打って出ることになり、ガメラに負けじと日本における防衛戦の底力を見せようとする様がなんとも熱い。
『ブラックホーク・ダウン』
リドリー・スコット監督が弟のトニーに続き、初めてジェリー・ブラッカイマーとタッグを組んだ戦争アクション。物語は1993年にソマリアで実際に起きた、米軍を筆頭とした多国籍軍と武装民兵による「モガディシュの戦闘」を克明に描き出している。米軍の「ブラックホーク」が相次いで民兵に撃墜され、双方に多くの死傷者を生むことになった米国の“敗戦”を描いた作品でもある。
とにかく本作で圧巻なのは、混迷を極めたモガディシュの市街地戦が延々と映し出されるところだ。物語の導入部は会話劇となっているものの、レンジャーとデルタフォースが市街地へと到達し、1機目のブラックホークが撃墜されてから観客はまさに混沌とした世界を見せつけられることになる。至る所から銃弾が撃ち込まれ、精鋭部隊から1人また1人と死者が出ていく様が容赦なく描写されており、ロケット砲によって下半身がちぎれ飛んだ兵士の姿は“悲惨”という言葉ですら生易しいほど。ちなみにリドリー・スコット監督は「観客への問いかけであって答えが用意されている映画ではない」と語っている。
『トータル・フィアーズ』
トム・クランシー原作のジャック・ライアンシリーズ『恐怖の総和』を映画化。チェチェン紛争を織り込みながら、アメリカとロシアの一触即発の事態を描いたサスペンス大作へと仕上がっている。『レッド・オクトーバーを追え』でアレック・ボールドウィン、『パトリオット・ゲーム』『今そこにある危機』でハリソン・フォードが演じたCIA情報分析官ジャック・ライアンをベン・アフレックが演じ、モーガン・フリーマン、ジェームズ・クロムウェルらが共演した。
クランシーのジャック・ライアンシリーズは軍事衝突の危機感が高まるなかでの情報戦が魅力だが、本作ではアクション映画でありがちな“大規模なテロ行為を主人公が未然に防ぐ”という主題を削っていることが特徴だろう。なんせ敵の思惑通り、アメリカ・ボルチモアで核爆発が起きるという未曾有の災厄が盛り込まれているのだ。ボルチモアを訪問していた米大統領を脱出させることに成功したライアンは衝撃波に呑まれるも命からがらに助かり、テロ首謀者は一体誰なのか情報網を駆使して核心に迫っていく。
一方で敵はライアンの一枚上手をいき、米空母を爆撃。アメリカも報復措置としてロシア空軍基地を空爆するという、もはや一触即発どころではなく米露戦争のカウントダウンに突入した緊迫状況が後半は続く。ここまで危機的な軍事衝突が描かれるのも珍しいが、“起こりかねない戦争”の裏側でどのような事態が推移しているのか垣間見るだけで見応えはある。
『ティアーズ・オブ・ザ・サン』
のちに『マグニフィセント・セブン』や『イコライザー』をヒットさせた、アントワン・フークア監督作品。ナイジェリアを舞台にして内戦と石油利権に絡んだ民族虐殺が描かれており、村内に残るアメリカ人女性医師を救うネイビーシールズの隊長をブルース・ウィリスが演じている。本作の脚本はもともとウィリスの『ダイ・ハード』シリーズ第4弾として用意されていたのは有名な話。テーマ性を考慮して独立した企画に切り替えられ、シリアスな戦争ドラマへ舵が取られた。
シリアス路線へと変更され、さらに硬派なストーリーテリングを得意とするフークア監督だけに、物語は史実であるかのようなリアリティーをもって描かれている。モニカ・ベルッチ演じる医師リーナと難民の救助後は非武装地帯である国境を目指しての逃避行が描かれるが、着実に背後へと迫りくる反乱軍兵士とのフットチェイスは息詰まるものがあり、交戦状態に突入するとシールズ側にも犠牲者が相次ぐなど妥協は一切ない。確かにこの作品が『ダイ・ハード4』として世に出ていれば、不死身の男マクレーンばかりがクローズアップされて悪い意味でケレン味に満ちた作品になったはず(もちろん相応の脚本になっていたとは思うが)。精鋭部隊を率いる隊長としてのウィリスの存在感はさすがだが、それでも今回ばかりは窮地へと陥っていく様子から、結末の読めない緊張感がありありと伝わってくるはずだ。
『トランスフォーマー』
マイケル・ベイのドル箱シリーズにして記念すべき第1弾の『トランスフォーマー』は、ベイ作品にしては珍しく興収とともに批評面でも成功した作品。日本発の玩具を最新のVFX技術を駆使して映像化して、革命的とも呼べるほどの視覚効果を生み出した。ジェリー・ブラッカイマーと袂を分けたベイがスティーブン・スピルバーグと初めて本格的なタッグを組んだ作品でもあり、映画界の寵児の名をさらに強固なものにした。
本作では地球外金属生命体のオートボットとシャイア・ラブーフ演じるサムとの異種間交流が主題のひとつになっているが、対照的に好戦派のディセプティコンにいきなり襲撃を受けてしまうのがアメリカ軍だ。まずはカタール空軍基地がブラックアウトによって壊滅され、退避したレノックス陸軍大尉(ジョシュ・デュアメル)らをスコルポノックが襲撃。窮地に立たされるも無人爆撃機による空爆によってこれを撃破する。のちに政府機関のセクター7を接点としてサムとレノックスら陸軍チームは合流し、終盤での市街地戦へとなだれ込む。
非武装のサムに対しレノックスら米軍側は火力でディセプティコンに応戦するわけだが、登場する俳優以外の兵士や車両・銃火器はほとんどが米軍による協力のもと撮影されている。リアルでカッコいいものを撮りたいベイと、米軍の勇ましさをPRしたいという国側のウィンウィンな関係はその後のシリーズでも活かされている。
『バトルシップ』
ゴリゴリのSFアクション大作にして、ここまで説明不要な作品というのも珍しいのではないか。ピーター・バーグ監督によるユニバーサル・ピクチャーズ100周年記念作品として世に放たれて以降、興収・批評面とも今一つの結果に終わったものの一部映画ファンには熱狂的に受け入れられ、いわゆる多くの“バトルシッパー”を生み出すことになった。テレビ初放送が決まっただけなのにツイッターでトレンド入りするお祭り騒ぎを見せ、放送延期になった際には当初の放送予定日に関連タグがトレンド1位を獲得するという快挙(?)まで成し遂げている。
それだけの活気を生み出す魅力を作品が備えていることは言うまでもなく、もとはボードゲームだったものを映画化でよくぞここまで膨らませたという驚きも大きい。ストーリーは至ってシンプルで、世界各国の海軍が集結しての合同演習「リムパック」の海域にドンピシャで複数の攻撃型宇宙船が飛来。他艦が沈められていく中、米海軍駆逐艦の乗員ホッパー大尉(テイラー・キッチュ)と海上自衛隊ナガタ(浅野忠信)との共闘で立ち向かっていく。全編キメカットの連続で、ILMによるド迫力の海戦が展開されるだけでなく“津波ブイ”を利用したボードゲーム準拠の作戦も描かれるなど知力を駆使した場面も多い。終盤に戦艦ミズーリまで駆り出すほどエネルギーに満ち溢れた作品で、人類賛歌を謳うにはもってこいの作品だ。
『ローン・サバイバー』
『バトルシップ』で映画ファンを熱狂させたピーター・バーグだが、本作では一転してアフガニスタンでネイビーシールズの精鋭部隊に起きた悲劇をフィーチャー。2005年に展開したアフガニスタン山岳部における“レッド・ウィング作戦”を映画化したものであり、米軍側に19名もの死者を出した状況を作戦生還者のラトレル一兵曹による『アフガン、たった1人の生還者』が原作となっている。
ネイビーシールズ史上最悪の被害を出した作戦の映像化とあって、作品全体には常に緊張感が漂い、いついかなる場所から敵兵が現れるかわからない緊迫した状況が続く本作。死地に飛び込んだラトレル(マーク・ウォールバーグ)ら精鋭部隊4名が徐々に包囲されていき、救出チームまで全滅してしまうという絶望感が色濃く映し出されていく。その悲劇性はドキュメンタリータッチのカメラワークによって際立ち、目を覆いたくなるような惨状を正面から描くことで当時の知られざる状況が、映画という手法を通して浮き彫りになった。
『ボーダーライン』
ドゥニ・ヴィルヌーブ監督の手腕が高く評価された、麻薬カルテルをめぐる犯罪スリラー。FBI捜査官のケイト役でエミリー・ブラントが主演を務め、陣頭指揮を執る国防総省のマットにジョシュ・ブローリン、謎を秘めた傭兵アレハンドロにベネチオ・デル・トロという渋いキャストが揃っている。
本作を支配する得体の知れない不穏な空気感は、もちろん麻薬戦争に絡む血生臭い抗争が要因になっていることは間違いないが、同時にケイトが直面するマットとアレハンドロの法を無視した捜査方法による対立も影響しているといえる。いわば観客はケイトと視点をともにしながら、マットとアレハンドロの“本当の目的”をめぐって疑心暗鬼に陥っていくのだ。敵なのか味方なのか、ルールを逸した死の世界のボーダーラインに文字通り立たされることになり、異常ともいえる状況は本編が終わる最後の最後まで途切れることはない。いまは亡き作曲家ヨハン・ヨハンソンによる音楽も不安感を掻き立てる重低音が実に効果的で、それらの世界観は製作陣がバトンタッチした続編『ボーダーライン ソルジャーズ・デイ』にも継承されている。
『13時間/ベンガジ秘密の兵士』
「あのマイケル・ベイが」と書くのも失礼な話だが、2012年にリビア・ベンガジで実際に起きたアメリカ領事館襲撃事件をベイが徹底的にシリアスな視点から映画化。残念ながら日本では劇場未公開・ソフトススルーという、興収・知名度ともに安定したバランスのベイにしては珍しい扱いを受けている。主演はのちに『クワイエット・プレイス』で監督と出演を兼ねてスマッシュヒットに導いたジョン・クラシンスキー。
襲撃事件は9.11から11年後の夜に発生したもので、映画では事件前に現地へ到着した元ネイビーシールズのジャック・シルバの視点から、極秘裏にCIA職員を警護する特殊チームに焦点を当てて事件を描き出している。ジャックを含め精鋭チーム6人は元軍人で構成されているとはいえ、事件発生後は武装集団の圧倒的な数と武力の前に後退・防戦を余儀なくされてしまう。ベイの流れるようなカメラアングルやスピーディーなカット割りなど随所にベイらしさも垣間見えるが、やはり武力衝突を描いた銃撃戦はリアリティーと緊張感をもってこれでもかと描かれている。
なお映画はジャックの視点を通して真実を目の当たりにしていくことになるが、実際にはあくまで極秘作戦のためCIA職員の警護にあたったチームは“存在していない”ことになっている。彼らの素性が明らかになったのは事件後のことだった。
『アメリカン・スナイパー』
ネイビーシールズの“伝説のスナイパー”、クリス・カイルに焦点を当てたクリント・イーストウッド監督の伝記的戦争映画。敵国からは「悪魔」と呼ばれ懸賞金を懸けられるなど、米軍史上最も敵を射殺したとされるカイルをブラッドリー・クーパーが好演。カイルの幼少期から入隊、スナイパーとしての活躍、戦場で徐々に精神が蝕まれていく様子がイーストウッドの冷静な視点から描き出されている。
映画は大半の場面で惨たらしい戦地の様子が映し出され、クライマックスでは砂嵐が迫る中での敵側スナイパーとの対決も用意されているが、決して戦争を肯定しカイルの戦績が称賛されているわけではない。それはあくまでカイルという人生の中の一部であり、戦争という経験が兵士をどのように変えていってしまうのか、ひとりの人間にフォーカスした結果だといえる。また原作はカイル自身による手記が元になっているものの、イーストウッドの手腕によってドキュメント性とエンターテインメント性を絶妙なバランスでキープ。エンドロールは音楽が一切かからない無音状態であることも、観る者の余韻を深める効果としての役割を果たした。
『シン・ゴジラ』
総監督・庵野秀明×監督&特技監督・樋口真嗣という特撮好きにはたまらないタッグで復活を果たしたゴジラ。これまでにないアプローチで“ゴジラ”という生物そのものを描き、未知の巨大生物が上陸すればそれはすなわち“災害”となる様を、特撮技術と視覚効果技術、リアルな人物描写を絡めながら描いた。
平成ゴジラシリーズやミレニアムシリーズでは、ゴジラ戦の対抗策として火力兵器を備えた“スーパーX”や、メカゴジラの“機龍”が登場。あくまで自衛隊が有するスーパーマシンだが、『シン・ゴジラ』に関してはそのような特殊装甲による対抗ではなく、あくまで現実的に自衛隊が従来の火力でもって対処している。最初のエンカウントは第三形態の“品川さん”だが、この場面では火器の使用が認められず、結果的にゴジラの変態を許してしまうことになる。二度目は第四形態の“鎌倉さん”で、武蔵小杉駅周辺が戦場と化し多摩川が防衛ラインとなる。その際は「タバ作戦」が展開され、ゴジラに敗れはするものの第1波攻撃でヘリからの機関砲攻撃、第2波攻撃で戦車から集中砲火を浴びせるなど、迫真の戦闘シーンが繰り広げられた。
『アメリカン・アサシン』
『メイズ・ランナー』シリーズのディラン・オブライエンを主演に起用した、アクションスリラー。映画冒頭におけるビーチでの無差別銃撃テロで恋人を失い、復讐に駆り立てられるミッチをオブライエンが演じ、彼を一流のエージェントにすべく鍛え上げる元CIA局員のハーリー役でマイケル・キートンが共演している。また『バトルシップ』や『ローン・サバイバー』で頼れるアニキ感を出していたテイラー・キッチュが、中東でテロを企てる“ゴースト”として悪役を演じているのも意表を突いたキャスティングだ。
映画は冒頭の凄惨な無差別テロに始まり、ミッチがエージェントとして成長していく様を軸足にして展開していく。ゴーストの正体が判明して以降はハーリーを巻き込んでのバトルへと切り替わっていくが、なんと言っても物語の雰囲気を一気に変えてしまうほどの核爆発シーンが見どころ。爆発自体は海中で発生するが、爆発からの海上の変化がVFXで視覚化され、発生した大波が海上の艦隊に迫りくるスペクタクルシーンには目を見開いてしまう。映画は格闘術や銃撃戦をコンパクトにまとめて各所に配しているが、突如としてビッグスケールで描かれる展開に筆者は驚きを隠せなかったのだ。
『ハンターキラー 潜航せよ』
© 2018 Hunter Killer Productions, Inc.
“潜水艦映画に外れなし”の真打登場、『エンド・オブ・ホワイトハウス』『エンド・オブ・キングダム』で頼れる大統領護衛官を演じているジェラルド・バトラーが、今度は潜水艦艦長になった! バトラー自身がプロデュースも請け負い、ある海域で発生したロシア原潜とそれを追っていた米原潜の遭難に端を発し、アメリカとロシアの緊張が高まっていく様を描く。潜水艦同士の攻防や地雷原の海域を進む息詰まるような海中戦に加え、地上ではネイビーシールズの精鋭部隊4名がロシア国内で状況打破に向けたミッションを展開。海と陸双方のアクションをバランスよく配した、至高のエンタメ作品に仕上げている。
本作の魅力はアクションだけでなく、国防省内の人間関係や米原潜「ハンターキラー」内で展開される、敵国間同士の関係性にも重点を置いていることにある。一辺倒な物語にするのではなく様々な要素を絡めつつ設定を膨らませているので、物語に飽きがこない。むしろボルテージはぐんぐんと増すばかりで、男くさい潜水艦映画にして魅力的なキャラクターが万人に愛されるよう描かれているのも熱い。一歩間違えれば史実のようにシリアスな作品になりそうなところを、ド派手なアクションと魅力的な人物描写でそれ以上に“誰もが楽しめる”作品となったのだ。
まとめ
『ハンターキラー 潜航せよ』は上映終了が目前に迫っているので1人でも多くの人に観てほしいのだが、その他の作品は既にソフト化されたもの。戦争にせよ軍事衝突の危機にせよ、本来なら“起きないこと”が相応しい。史実を含めそういった危機的状況が映画化されることは、すなわちそれが許される時代ということもあるわけで映画だからこそ知ることができる部分も多い。もちろん悲劇的で凄惨な描写が多くの作品に含まれているが、映画という手法を通して「世界ではどういったことが起きているのか(あるいは起こりえるのか)」を“見る”のは良い機会と言えるのではないだろうか。
(文:葦見川和哉)
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