無声映画の楽しさを知るための「7つ」のポイント
2:20世紀初頭の無声映画期に
確立された映画技術
開発されて間もない創成期の映画は1シーン1カットで情景を収めた短編記録映画的なものでしたが、やがてシーンを繋ぎ合わせたり、カットを割って構成する現在の映画の作り方が始まっていきます。
1902年にフランスのジョルジュ・メリエスが監督した『月世界旅行』(1秒16フレーム撮影の14分)は30のシーンで構成された劇映画であるとともに、アニメーションも含むトリック撮影を駆使した世界初のSF映画とされ、さらにはモノクロ・フィルムの1コマ1コマに直接色を塗った着色版も存在しています。
1903年にアメリカ・エジソン社のエドウィン・S・ポーターが監督した『大列車強盗』は1シーン1ショットの14シーンでドラマが構成されており、西部劇の元祖とも謳われています。
1906年にはジェームズ・スチュアート・ブラックトン監督によるアニメーション映画『愉快な百面相』が発表。これは黒板に絵を描いてそれをコマ撮りしていく手法のものでした。
1910年代に入るとアメリカのD・W・グリフィス監督が『國民の創生』(1915)でクローズアップやフラッシュバックなどの映像技法を用いて映像表現の発展に貢献(もっともこの作品、黒人虐待を実践したKKKを英雄視した作品として批難も受けています)。38万ドルという当時としては巨額の製作費を投じた『イントレランス』(1916)では4つの時代の不寛容(イントレランス)なエピソードを並列して描く手法も採り入れました。
一方、1925年にはソ連のセルゲイ・エイゼンシュタイン監督が『戦艦ポチョムキン』を発表し、独自の映像編集=モンタージュ理論を展開。特に体制が市民を虐殺するオデッサの階段シーンは世界映画史上に残るものとして今なお映画ファンの語り草とされています。
簡略に記すと、グリフィス・モンタージュは往々にして複数のキャメラで同時撮影したものを時間軸に沿って編集していくことで、基本的に1シーン内で描かれるドラマの時間の流れと時間尺は同一となりますが、エイゼンシュタイン・モンタージュは脚本の意図に沿った編集がリズミカルになされることで、たとえば1分の時間の流れを描いたシーンが30秒だったり3分だったりといった変幻自在の時間尺で描出されたりもする。そういった違いもあります。
かくして無声映画の時代、グリフィスとエイゼンシュタイン双方のモンタージュ理論によって、現在に至る映画文法が確立されました。
またドイツでは1920年代に客観的ではなく主観的に内面の表現を試みようとするドイツ表現主義と呼ばれる芸術運動が盛んになり、それに即してロベルト・ヴォーネ監督の『カリガリ博士』(1920)やF・W・ムルナウ監督の『吸血鬼ノスフェラトゥ』(1922年)、フリッツ・ラング監督の『メトロポリス』(1927年)などが製作されました。
現在これらの作品のいくつかは映画芸術保護の観点から修復作業やリマスター化、ソフト販売、イベント上映などがなされている一方、著作権が切れてパブリックドメインとなっているものも多いので、インターネットでサイト鑑賞することも比較的容易です。ぜひ検索してみてください。
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