『家族を想うとき』フランチャイズに翻弄される家族の絆を描く名匠ケン・ローチ
社会の闇を訴えつつ
観客に示唆される期待
正直、見ていていたたまれない気持ちに包まれていく映画ではあります。
日本でも昨今コンビニの就業時間であったり、宅配に従事る人々の過剰労働などさまざまな問題が表面化してはマスコミをにぎわしていますが、イギリスも状況は似たり寄ったりのようです。
本作はいつもアットホームでいたいと願いつつ、現実的には家族を犠牲にしてまで働かねばならないという現代社会の闇を糾弾しつつ、それでも家族の絆を信じようとする祈りが満ち溢れています。
前章ではシビアな物語の展開のみを記してしまいましたが、実際はシビアな状況の中にも家族が和やかに笑い合う瞬間も多分に用意されており、その伝では妻アビーと娘ライザの存在が大きく作用してくれているのが救いにもなっています。
ケン・ローチ監督作品の常として、ここでも声高に怒りを叫ぶような描写はなく、むしろ淡々と主人公や家族が追い詰められていく姿を見据えていく演出がなされています。
またそのことで、ひいては観客それぞれにこの問題と対峙してもらいたいという訴えによって、こちらの胸にズシンと響きつつ深く考えさせられるものに成り得ています。
「仕事と家族」という、おそらくはほとんどの人間にとって避けて通れない問題といかに向き合うか、見る側も試されているような、しかしながら期待されてもいるような、見終えてしばらくするとそんな想いに包まれていく作品です。
年末年始の慌ただしい中、逆にこういった熟考するタイプの作品こそ響くものがあるかもしれません。
いずれにしましても引退撤回したケン・ローチ監督、俄然健在ではあります!
(文:増當竜也)
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