映画『淪落の人』レビュー:人生のどん底にいると絶望する弱者を優しく前に誘う人間ドラマの秀作
『淪落の人』(原題“淪落人”)
が持つ本当の意味
本作は障がい者と介護者、中年男性と若い女性、香港とフィリピンなどなど「対」の関係性をさりげなくも際立たせながら、人生の機微を優しく描出していく人間ドラマの秀作です。
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主人公ふたりが男女の仲になるといったメロドラマ的な展開に陥ることはなく、あくまでも互いの理解者として関係を深めていくあたりも、リアルであると同時に好感が持てるところでもあります。
環境や文化、思想の相違などを無理やり乗り越えようとするのではなく、互いを認め合い、寄り添っていこうとする作品そのもののメッセージ性も大いに共感できるところで、また香港の四季折々の風景が美しく捉えられていくことで、ふたりの人生をささやかながらも応援していこうという姿勢も感動的に映えわたっています。
監督のオリヴァー・チャンは幼い頃に母が事故で車椅子生活を余儀なくされ、姉は進学をあきらめて介護に専念し、その分自身が家族を養えるように猛勉強していったとのことで、その間の生活はかなり困窮しつつ、しかしながら今振りかえると一番幸せな時期でもあったと回想しています。
そんな彼女があるとき、フィリピン人女性が中年男性が座る車椅子の後ろに乗りながら、お互い楽し気に路上を走り去っていく光景を偶然目の当たりにしたことが、本作を作るきっかけになったとのこと。
障がい者と介護者、国籍の違い、男と女、そして車椅子という正に小さな人力でも駆け抜けていける人生という、まさに彼女自身のキャリアを物語る映画としても『淪落の人』は屹立しているのでした。
ちなみに原題“淪落人”にもある「淪落」には「落ちぶれる」とか「身を持ち崩す」といった意味がありますが、本作では白居易の『琵琶行』の一節「同じく是、天涯淪落の人。何ぞ必ずしも、曾て相職らんや」から採ったとのこと。つまりは……
「この映画の主人公ふたりも人生のどん底にあるけれど、縁あって出会った以上はその縁を大切にすべきではないか」
といったチャン監督の想いが込められているのです。
人生に底なし沼というものは本来存在せず、もし今、自分が人生のどん底にいると嘆いているのならば、それ以上沈むことはないのだから、後はそこから上るか上らないかを決めるのも自分次第。今、上れなくても、いずれはチャンスはめぐってくる……。
おそらくは自分が強者の側であるとうぬぼれている人ではなく、弱者であることに忸怩たる想いをしている人にこそ、この映画は訴えかけてくれることと思われます。
映画には勝利や正義を鼓舞するイケイケなものも多数ありますが、実はこうした底辺にたたずむ人々を厳しくも優しく見据えることにこそ、実はもっとも力を発揮するのではないか。
少なくとも、この『淪落の人』にはそういった真の勇気ある力がみなぎっていると確信しています。
それは「必見!」などと、実は案外拳を振りかざしているような強気の言葉を使うことすらためらわせるほどの、ささやかで心優しい未来へ誘う秀作でもあるのでした。
(文:増當竜也)
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