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2020-04-25

コラム

『Fukushima 50』と『太陽の蓋』を続けて鑑賞することで見えてくるものとは?

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(C)2020「Fukushima 50」製作委員会 


現在公開中(といっても、ほとんどの映画館は閉業中ですけど)の『Fukushima 50』が、4月17日より期間限定でデジタル配信されています。

本作を配給(松竹と共同)しているKADOKAWAでは、3月より『ロマンスドール』も劇場公開と同時にデジタル配信を敢行していますが、『Fukushima 50』のような全国公開規模のメジャー大作を配信するとはかなり異例といえる事象ではあります。もっとも見方を変えると、それは異例といえる今の社会状況の表れであるともいえるでしょう。
(ちなみにこれ以外にも、現在『白い暴動』や『ホドロフスキーのサイコマジック』がオンライン上映中。5月2日からは想田和弘監督の『精神0』の“仮設の映画館”デジタル配信も始まります。この傾向は今後も続いていくのではないかと予想されます)

そういえば1982年の角川映画『汚れた英雄』『伊賀忍法帖』2本立ての劇場公開初日にビデオソフトも同時販売されて、当時は問題になったものでしたが(値段が2万円弱の高価格だったので、買えた人は限られてはいましたけど……)、新しいメディアをいち早く採り入れる映像戦略は、角川グループの遺伝子なのかもしれません……

《キネマニア共和国~レインボー通りの映画街460》

さて、そんな『Fukushima 50』ですが、3月に劇場公開されるや、賛否両論真っ二つに激しく割れました。

ちょっとした象徴となっているのが、映画雑誌「キネマ旬報」の新作レビューでは評論家3名が全員星1個というかつてない低評価で、一方Yahoo!映画レビューでは平均4.26点、Filmarksでは4.0点の高評価。

これを「評論家が酷評して、観客が絶賛した」という捉え方をする人もいますが、実際はSNSなどを眺めていると観客同士の間でも「感動で泣きっぱなし」という賛辞の声もあれば「不愉快極まりない」などの批判も多く見受けられ、激しく二分しているのがわかります。

一方では、やはり東日本大震災に伴う福島第一原子力発電所事故という非常にデリケートな題材を扱っているがゆえに、賛否の意見どちらも感情的なものが多数を占めているように思われます。

私自身の結論から先に申しておきますと、『Fukushima 50』は長所も短所もある映画であり(もちろんすべての映画には大なり小なり長短があるわけですが……)、全面的な肯定も否定もしたくはないものの、その描出の長短を冷静に見極めた上で、福島原発事故という今なお解決されない未曽有の大事件に目を向けていただければ、この映画の存在価値も見出せるのではないかと思っています。

またそのためにも、もう1本福島原発事故を題材にした2016年の映画『太陽の蓋』との比較も必須ではあるでしょう。
(“評論家が酷評”といった理由の中には、公開年の関係もあって『Fukushima 50』より先に『太陽の蓋』を見ていた映画マスコミの数が多い、というのも挙げられる気がしています)

現場を描いた『Fukushima 50』
官邸を描いた『太陽の蓋』


改めて『Fukushima 50』とは、2011年3月11日に勃発した東日本大震災に伴う福島第一原発事故に際して、東日本壊滅という最悪の事態を命がけで阻止した原発職員らの決死の行動を描いた超大作です。



この作品、単にパニック映画として見るとなかなかスリリングな展開で、津波などの特撮も秀逸な出来ばえ(三池敏夫特撮監督の功績は大いに讃えたいものです)、原発内のセットもリアリティあふれる仕上がり。またオールスター・キャストということもあって実に華やかに映画映えしています。

これがどこかよその星の架空の世界のお話であれば、何も考えずに心底楽しめたことでしょう。

しかしこれは実際に起きた、しかも現在も複雑怪奇な問題を山積させた状況下にある事件を基にした映画であり、そうなると作り手はどのような視線で、どういったテクニックでこれを映画化したのかというところも見逃すわけにはいきません。

福島原発事故そのものを描いた映画に関しては、今のところは事故現場と東京電力本店、官邸、さらに民間のドラマを組み合わせながら構成されていくことが常のようです。

『Fukushima 50』では現場を中心に本店や官邸との確執やら、現場の人間の家族ら民間のドラマが繰り広げられていきます。

『太陽の蓋』では官邸とマスコミの関係性をメインにしながら、それに伴う民間のドラマが構成されています(本店と現場そのものの描写は皆無ではありませんが、併せて5分もあるかどうか)。



 (C)「太陽の蓋」プロジェクト/Tachibana Tamiyoshi


役名に関しては共に虚実双方用いられていますが、『Fukushima 50』の官邸側は“内閣総理大臣”“官房長官”といった役職のみが明記され、名前そのものは一切出てきません。

対して『太陽の蓋』の官邸側は事故当時の総理大臣・菅直人をはじめとする民主党政権の面々が実名で登場します。

東京電力の表記に関しては、『Fukushima 50』は東都電力、『太陽の蓋』は東日電力と変えられていますが(このあたりが今の日本映画界の限界か……)、劇中ではどちらも略して“東電”と呼ばれることが往々にしてあります。

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