映画コラム

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2020年04月25日

『Fukushima 50』と『太陽の蓋』を続けて鑑賞することで見えてくるものとは?

『Fukushima 50』と『太陽の蓋』を続けて鑑賞することで見えてくるものとは?


『Fukushima 50』が描いていない
いくつかの事実


事件当時のおおまかな全貌は、やはり現場から事故そのものを見据えた『Fukushima 50』がわかりやすいものがあるでしょう。

ただし『Fukushima 50』が事件の全貌を実話通りに描き得ているかと問われると、答えはノーです。

もちろん映画とはクリエイティヴなものであり、必ずしも事実通りに描かれなくても構わないわけですが、逆に事実のどこをどのように改変していったかで作る側の製作意図もおのずと見えてきます。

『Fukushima 50』で問題になっているのは、総理大臣が直接現地に視察に行ったことで、“ベント”(格納容器内の水蒸気を外に逃がして容器内の圧力を下げる)なる事態の収束を図るための重要な作業が遅れてしまったかのような描写がなされていることです。

実は私自身、最初に劇場で拝見したときは、佐野史郎扮する総理大臣のエキセントリックな演技(菅直人は周囲から“イラカン”のあだ名がつけられるほど怒りっぽい人とのこと)なども含めて、これはかなり民主党政権を揶揄しているなと思わされたのですが、今回の原稿を書くために配信にて2度目の鑑賞を試みたところ、佐野史郎自身は一見エキエントリックな中にも人間味を感じさせようと腐心していることに気づかされました。

たとえば渡辺謙演じる吉田昌郎所長の口から「決死隊」という言葉が出たときの驚きの表情であるとか、またところどころ事態の悪化に苦悩するショットなど(単なる悪役にしたければ、こういった画を挿む必要もないでしょう)、よくよく見るとかなり勇み足で時にお邪魔虫ではあるものの、国難に真摯に対峙しようとしていたことは理解できるキャラクターには成り得ています。

また劇中の吉田所長も「ベントが遅れるから総理には来てほしくない」とは言っておらず、ただし「このくそ忙しいときに面倒くさい!」とでもいった風情で対処し、むしろ本店に「現場のマスクが足りないので、せめて総理にはマスクを持たせてくれ」と懇願するも本店に拒絶され、そちらのほうに激昂します。

実はこの作品、総理も怒りまくっていますが、吉田所長も負けず劣らず周りに怒鳴り散らしていて、意外にどっこいどっこいなのでした。

実際、吉田所長は菅直人に対してあまり良い感情を持ってなかったことが後々の発言で明らかになっていますが、「総理の訪問でベントが遅れたという事実はなかった」とも明言しています。

一方で菅直人は直接吉田所長と面会できたことで彼の人間性にほれ込み、信頼することができたと認識していて、それは『太陽の蓋』でも他者を通じて語られています(ただし吉田所長は出てきません)。

そもそもなぜ菅直人が現場に赴いたか、それは本店が現場の状況を何ひとつ官邸に報告してくれないことに対する憤りが昂じての行動であり、それも『太陽の蓋』では描かれていて、そのことに対する批判(総理が官邸を離れてよいのか? といった)がかなりあったことも隠していません。



 (C)「太陽の蓋」プロジェクト/Tachibana Tamiyoshi


何せ1号機が水蒸気爆発したことを官邸は1時間後のテレビのニュースで国民とともに初めて知らされるというありさま。

また菅直人が本店に乗り込んだところ、そこで初めて本店が現場とTVモニターで直接交信していて全ての情報を把握していたことを知り、愕然となるのでした。

正直こういった事実の数々が『Fukushima 50』では省略されていることもあって、一度見ただけだと本作が官邸を、ひいては時の民主党政権を揶揄しているかのように映えてしまっているのです。

また『Fukushima 50』では官邸から海水注入中止の指示がなされたように描かれていますが、実際は本店がでっちあげたもので、官邸は何も知らされていませんでした(それゆえに『太陽の蓋』ではこの事象に関する描出はありません)。

もっとも、それが本当か嘘かを見分ける術など当時の現場にはなかったわけで、そうなると「官邸のバカヤロー」的態度が露になるのも当然ではあるわけですが、それに対する事実のエクスキューズもどこかに入れるべきであったのではないでしょうか。

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