俳優・映画人コラム

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2018年04月21日

映画評論家が映画を撮ることの意義~『青春夜話』切通理作監督に訊く~

映画評論家が映画を撮ることの意義~『青春夜話』切通理作監督に訊く~



 セルDVD(5月2日発売/税別3800円/提供:シネ★マみれ 発売・販売:アルバトロス)


映画評論家が映画を監督すること自体は洋の東西を問わず古くから実践されてきていることではあり、その中にはフランソワ・トリュフォーやピーター・ボグダノヴィッチなど優れた作品を連打した名匠も存在しますが、やはり批評することと創作することの相違の壁にぶち当たり、玉砕していく人のほうが多いかなとも思われます。

そんな中、昨年(2017年)12月に公開された切通理作監督の『青春夜話―Amazing Place―』は、映画評論家ならではの姿勢が真摯なまでに映像に定着し得た意欲作として、非常に好感の持てる快作でした。

青春時代に特筆することも何もないまま社会人になり、どこかしらいびつな日々を送っている男女が、ふとしたことで知り合い、同じ高校出身ということで意気投合し、深夜の母校に忍び込み、制服や水着などのコスプレに興じつつ、次第に淫靡で過激な、そして男と女のエゴをむき出しにしながら一夜を過ごすという奇抜な設定から、今の日本映画が失って久しいアナーキズムや、ぶつかりあう男女の心の軋みや痛みなどが見る者の心をえぐるかように捉えて離しません。

切通監督は、長年「キネマ旬報」誌上で「ピンク映画時評」を連載し、一方ではTV&映画の特撮作品を斬新な視点で見据えた論考の数々で映画ファンの支持を得続けている存在ですが、『青春夜話』には、そんな彼の映画評論家としてのキャリアが見事に反映されており、同業者として羨望の念に堪えないほどです。

本作は現在4月4日にDVDレンタルが開始され、5月2日にはセルDVDが発売されます。
(5月12日~13日には、広島県シネマ尾道にて上映。両日とも監督&キャストのアフター・トークあり)

また4月28日(土)24時から、東京・阿佐ヶ谷ロフトAにて、DVD発売記念オールナイト・イベントも催されます。
(詳細はhttp://seishunyawa.com/まで)

というわけで……

《キネマニア共和国~レインボー通りの映画街vol.302》

今回は『青春夜話―Amazing Place―』ソフト化&イベント記念として、切通理作監督に作品の制作意図や想いなどをうかがってみたいと思います!



 切通理作監督.



映画批評をやるにあたっての
還元としての映画制作


──まずお聞きしたかったのが、切通さんはもともと映画監督志向がおありだったのか、それとも評論活動をやっていくうちに、そういった想いが芽生えていったのかということです。

切通:後者ですね。もともと自分は集団作業が向かないのではないかと思ってましたし、現場派というよりは書生派。ですから脚本ということは仮にあり得ても、監督するということまでは、ちょっとあり得ない話ではないかと思っていました。ただ、映画制作という作業を通して、映画批評をやるにあたっての還元にもなるのではないかと思うようになり、最初は短編を考えていたのですが、次第に欲が出てきていつのまにか長編映画の構想に行きついていました。

──なぜこういったことをお聞きしたかといいますと、映画を見ていて、いわゆる「僕は映画を撮りたかったんだ!」「こんなに映画が好きなんだ!」的な、あからさまにはしゃいだ映画ヲタク的情緒が微塵も感じられなかったんです。

切通:そうだったんですか。

──もっとも劇場パンフレットの監督インタビューを読みましたら、実は往年の30分もののTV特撮ドラマなどからかなり換骨奪胎させた描写がふんだんにあったことを知らされて、驚いてしまった次第でもあるのですが(笑)。

切通:いやはや(笑)。

──でも、そういった知識などが既に血肉となっていて、特に意図するでもなく、ごく自然と創作に反映されている。映画評論家が撮る映画として、それは理想的ではないかとも思えますね。また、それゆえに元ネタを知っていようがいまいが、何ら鑑賞の妨げにならない。これはもう本当にやられた! と、羨望の念にかられるほどでした。

切通:僕自身、影響を受けた作品の要素を入れ込んでみたかったというよりも、気がついたら入っていたという感じだったんですよ。

──もともとは原作ものを予定していたのが、諸事情でそれが叶わず、今のオリジナル・ストーリーに落ち着いたと聞いております。

切通:原作もののほうも 出会ったばかりでヤる男女の一晩の話 だったので、そこだけを使わせていただき、あとはオリジナルで脚本を進めていきました。

──脚本も読ませていただきましたが、いくら文筆業のプロとはいえ、評論と脚本は全く異なるものなのに、とても初めての人が書いたとは思えないクオリティです。

切通:実は若い頃にピンク映画の脚本を数本書いたことがあったのですが、同時に手掛けていた評論などの執筆活動のほうがいつのまにか定着して今に至るというか、正直脚本に対しては挫折した感も少しあったので、今回は逆にとことん弱点を克服しようと思い、制作総指揮の友松直之さんにそのつどチェックしてもらっては直し、ときには背骨の弱さを指摘されてプロットに戻してみたりといった作業を繰り返しながら、ようやく今の形に落ち着きました。

──キャスティングに関しては、さすが特撮ものに精通した評論家ならではの卓抜したセンスを感じました。深琴役の深琴さんのエロティシズムの発露からは、往年の特撮ヒロイン特有の大人のエロ可愛らしさが滲み出ていますし、喬役の須森隆文さんは、もう彼を魔人・加藤保憲に据えて『帝都物語』(88)をリメイクしてもらいたいと思えるほどの際立った存在感です。

切通:深琴さんは、今回の制作総指揮でもある友松直之さんと撮影監督の黒木歩さんが共同監督した『いちは(仮)』(15)の小悪魔的な彼女が素晴らしくて、絶対にこの企画は彼女主演でいきたいと思ってました。須森さんは、映画監督の大木萠さんと相談しながら今回の映画のラストを思いついたとき、ふっと彼のイメージが浮かび上がったんです。佐野史郎さんや土屋嘉男さんのような、いい男ではあるけど、ちょっと頼りなかったり病的な役もできる人。

──佐野さんも土屋さんも、特撮ものに欠かせない存在ですね(笑)。

切通:(笑)小さくて可愛い深琴さんと、ひょろっとして手足も長い須森さんとのコントラストも面白いと思いました。



演出中の切通監督と黒木歩撮影監督 



「切通さん、
スク水に裸はありえません!」


──通常この手の低予算作品の場合、長回し撮影というのは常套手段ではありますが、比較的カットを割って、切り返しショットも撮られてますね。

切通:今よりはゆとりがあった時代のVシネマの撮影期間が3、4日と聞いてまして、今回は7日間とその倍ほどかけさせてもらって、切り返しもちゃんと撮っておいて、編集で足りないカットがないようにと、黒木さんとも相談しながらやっていきました。

──映像そのものも深夜の校舎内のブルーの色調が功を奏しています。

切通:黒木さんと撮影・照明の田宮健彦さんには本当に助けられました。また今回は監督でもある貝原クリス亮さんに美術をお願いしたのですが、単に飾り物だけではないこだわりを全編示してくれましたね。

──室内プールのシーンなんて、どこかしら海の底の竜宮城を彷彿させ、ファンタジックに映えています。

切通:ちなみに劇中で深琴が口ずさむ『浦島太郎の歌』の歌詞「♪太郎はたちまちおじいさん~」 の本当の歌詞は「♪たちまち太郎はおじいさん~」なのですが、僕は『ウルトラQ』(66)第6話「育てよ!カメ」ヴァージョンが刷り込まれていたので、間違って記憶していたんです。これは後で気付きました(笑)。

──少し脱線しますが、今回見直しまして、深琴さんが意外に脱ぎまくっていることに今更ながらに気づかされて驚きました。初見の際、スク水のシーンで一切見せることなく執拗に行為するあたりのインパクトで、そのようにインプットされてしまったのかもしれません。

切通:黒木さんにまずはジャブのつもりで「おっぱいポロリとかやりますか?」と何気に聞いたら「切通さん、スク水に裸はありえません!」と言われて「この人は何てわかってるんだ!」と(笑)。だからあそこでは一切出してないんです。

──お互いがお互いの裸をキャンバスに見立てて色を塗りたくるボディ・ペインティングのシーンでは、演じるふたりに任せたりしたのですか。

切通:あそこは身体全体塗りたくってサイケになるのではなく、肌色が綺麗に残って、絵の具が飛沫のように彩っているペインティングにしたかったんです。 サトウトシキ監督の『LUNATIC』(96)でイメージに近いシーンがあったのを思い出して、セカンド助監督さんにも見てもらってイメージを共有し、本番前にある程度ふたりの身体にペイントしておいて、お互いの悪口を書くくだりのやりとりは彼らに委ねました。

──男性の立場としては、両者の一晩の学校内でのやりとりの中、喬の言動のひとつひとつが容易に理解できるのですが、対する深琴がイチャイチャしていたかと思ったら、いきなり逆ギレされたりするところなども、すこぶるリアルに思えました。理屈ではなく「どうしてそこで怒る?」みたいなことって、男女間ではありがちというか、特に男は経験あるのではないかと。

切通:そうなんですよ。この作品を横浜で上映したときの井口昇監督と佐藤佐吉監督とのトークで改めて痛感させられたんですけど、井口さんはレズの関係がお好きで、それが自作の男女関係にも投影されているんです。一方、佐吉さんの作品は不思議と男に興味が行くような作りになっている。つまり監督の特異な資質みたいなものって、写っているのは男女でもその本質に反映されるんですよね。ただ、僕の場合は監督するのが初めてでしたので、もうそのまま男女というか、僕が若い頃の視点を喬に投影させながら、深琴を見据えていくしかなかった。ですから「どうしてこの女性はそこで怒るのかわからない」とか「共感してたと思ったら、いきなり反発された」みたいな、男から見た女に対する謎というか、自分の男女観がそのままストレートに出てしまってるんだと思います。

──その意味では須森さんもさながら、深琴さんとの現場でのコミュニケーションも重要だったでしょうね。

切通:そうですね。役そのものに関しては深琴さん自身にもこういうときはどうするかとか、どう言うか聞きながら、お互いに作り上げていったのですが、一夜が明けてのラスト、彼女の選択に対して「自分だったら相手に未練が残るはずだ」と。ただ、作品を見ていただいた女性たちの多くから「あれが女性らしい」といった感想をいただくんですね。これは映画評論家の三留まゆみさんがおっしゃってたのですが、過去の男性経験を後々思い出すことがあったとして、女性は「あのときの私は輝いていた」ことを思い出す。でも男性は「あのときのあの子は可愛かった」みたいなことを思い出すのだと。それは割と僕の意図に近いものでもありましたね。

──私自身も見終えて、男女の断線とでも言いますか、男と女には決して理解しあえない部分があり、ではどうしたらいいのかをそれぞれ考えるべき、といったことを改めて痛感させられるのですが、男女がさんざん罵り合っていた後、いきなり両者のラブ・シーンが繰り広げられていくクライマックスの唐突感もまた男女の関係ならではというか、その飛ばし方に映画的な感銘を受けました。

切通:あそこに関しては「そこに至るまでのプロセスを見たかった」という意見もあるのですが、タイトルは失念しましたけど団鬼六さん原作のストーリーものAVがありまして、そこでひとりの男をめぐってふたりの女が牢屋の中で裸になって取っ組み合いの喧嘩を始めるんですけど、時間が経過するとレズり始めてるんですよ。 それがすごく印象に残ってまして(笑)。こんなことがあるのか!? でも極限状況下ではあるかもしれないなというのが心にずっと引っかかってたのかもしれません。あと現実に自分が女性と付き合っているときとか、一晩のうちに喧嘩してたと思ってたら、いつのまにか仲直りしてるんだけど、どうしてそうなったのか全然覚えていない(笑)。そういった記憶なども反映されてるのだと思います。



こだわったスク水シーン 



こだわりにこだわった
便所メシの幻想シーン


──ピンク映画の場合、今は65分前後の作品が多いですが、出来の良い作品だとそれよりも長い印象をもたらしてくれます。本作の上映時間も74分ですが、私は90分以上の濃密なボリューム感を感じていました。それはあえて説明せずに省略することでの映画的昂揚感が見る者を驚かせるとともに、想像を膨らませてくれるからとも思えますね。

切通:そう解釈していただけると嬉しいですね。何せ一晩の話で74分ですから、長編映画と思ってもらえるかなという不安がずっとありましたので。

──いろいろな解釈が成り立つ作品ではありますが、やはり私自身は男女の分かり合えなさの面白さを追求した映画だと思います。対して、当直の山崎先生(安部智凛)と老用務員・猪俣(飯島大介)との人情味ある恋物語も並行して綴られていきますが、直接的には一切混ざり合うことはないものの、巧みに双方の関係性が対比されていて面白い。

切通:喬は若かりし頃の僕の投影ですが、あの用務員さんは今の僕の気持ちに近いのかもしれません(笑)。

──喬も猪俣さんも大人の風情でいながらどこか青臭く、そして猪俣さんのほうはどことなく可愛らしい(笑)。もしかしたら喬が年老いたら、猪俣さんみたいになっているのかなとも。

切通:喬&深琴に対して、こちらのカップルは割とプラトニックですしね(笑)。安部さんはモデル出身で、美しいのにどこか少年っぽい透明感があり、SEXの匂いがしない。だから今の日本の現実にいないような女先生 を魅力的に演じてくれるのではないかと。飯島さんは石井隆作品や『あぶない刑事』でも知られてますが、平成ウルトラマン・シリーズで知られる故・原田昌樹監督作品の常連で、自著『少年宇宙人 平成ウルトラマン監督・原田昌樹と映像の職人たち』(二見書房)の取材でお会いしたのが最初のご縁です。ちなみに猪俣という役名は、原田監督の『魔弾戦記リュウケンドー』(06)での飯島さんの役名と同じなんですよ。

──全体的にほぼ脚本通りに撮影されていますが、ラストの前、深琴が会社のトイレの中でパンを食べている夢のシーンが追加されていますね。

切通:便所メシのシーンですね。あそこはクランクアップして編集していく中、尺が短くなりそうだったので追撮していた夢の食事シーンに、“もうひとつの『青春夜話』”といったコンセプトでスチル・カメラマンのSHINさんに撮ってもらっていた写真をコラージュさせてみたんです。そして本作の編集は西村絵美さんが担当しているのですが、僕がこだわりすぎちゃって、その夢のシーンが9分になっちゃったんですよ。

──さすがに9分だと長すぎますね。

切通:ええ、そこで東映ヒーローものの編集で知られる長田直樹さんに、夢ならではということでそこだけ雰囲気が変わってもいいだろうという思いもあって、その部分だけ2分強に再編集してもらいました。ただ、最終的にそれを入れるか入れないかで3か月ほど悩んでしまいまして、その分完成が遅れてゆうばり映画祭に応募することができなくなりました(苦笑)。 個人的には『怪奇大作戦』(68~69)で実相寺昭雄監督が演出した第25話「京都買います」の中で、SRIの牧(岸田森)がゲストキャラの女性・美弥子(斎藤チヤ子)に想いを馳せる回想ショットが「チリン」という鈴の音でスパッと断ち切られるのがすごくかっこよくて好きだったので、やっぱり回想は短ければ短いほどいいな、あんまり長いと胸やけするのではないかという葛藤が出てきてしまったんです。

──結果として、あれが入ることで深琴の日常を改めて観客に知らしめることになり、“深夜の校舎”という名の竜宮城から現実世界に彼女を引き戻すフックにもなっているように思えます。

切通:実は迷いに迷って夢のシーンがあるなしの2ヴァージョン作ろうかと思ったほどでした。でも色調整の作業中にスタッフから「絶対にあったほうがいい!」と強く訴えられまして、残すことに決めたのですが、結果としては「自分も便所メシしてました!」って何人かの女性のお客さんから言ってくださって、入れてよかったと思いました。

──そしてラスト・シーンの衝撃。ネタバレになるので深くは申せませんが、私は往年の日活ロマンポルノやピンク映画のアナーキズムを彷彿させられて、鳥肌が立ちました。

切通:これはタイトルも監督の名前も思い出せないのですが、下元史朗さん演じるクラい男が女子高生を誘拐する80年代前半のピンク映画のラストで見た、現実の女子校の前に下元さんが佇んでいるイメージが鮮烈だったんです。それと『宇宙猿人ゴリ(後の『宇宙猿人ゴリ対スペクトルマン』『スペクトルマン』)』(71~72)第16話「怪獣モグネチュードンの反撃!!」のラスト、人々から地震の記憶が消されてしまい、新宿の副都心でスペクトルマンこと主人公の蒲生譲二(成川哲夫)が道行く人々に地震について尋ねると「何言ってるの?」みたいに拒絶されるくだりが、ドキュメンタリー・タッチで実験的に撮られています。制作総指揮の友松直之さんも特撮オタクなので、話は通じましたね。 どうも僕はお話の中の価値観のまま、登場人物が現実にまろび出てくる展開が好きなのかもしれません。

──ずっとお話を聞いてますと、実はかなりマニアックなエッセンス満載な作品であった(笑)。ただ最初にも申しましたが、それらが一切これ見よがしにはしゃぐことなく、ちゃんと換骨奪胎されて作品のために貢献していることは大いに讃えられるべき事象とも思いますし、今後、映画好きが映画を作る上でのひとつのお手本として、本作はぜひとも提示したいですね。

切通:よほどの特撮オタクでも、言われないと気付かないだろうなとは思います(笑)。



深夜の母校でコスプレしながら興じる二人だが…… 



錯綜しながらも
次回作に向けて邁進中


──メイキングも拝見させていただきましたが、もう完全に堂々たる映画監督の顔になられていました。

切通:実は初日の居酒屋のシーンでちょっと後悔しつつ、スケジュールの問題でまるごと撮り直しは無理だと自分で勝手に諦めたショットがあったんですけど、あとで友松さんから「途中で切り返せば可能だった」と言われて、その瞬間、これからはどうしていいかわかんないことは素直に口に出して周りに相談しようと心に決めたんです。また、その直後の花屋のシーンで飯島大介さんから「絶対に妥協するなよ」と耳打ちされたことも、すごく勇気づけられましたね。

──だからですね。作品全体から「みんなで楽しくやりました」的な雰囲気ではなく、スタッフ&キャストが真剣にぶつかりあってることが画面から熱く醸し出されています。

切通:自分自身、演出が不慣れなのも事実ですから、後から冷や汗が出ることもありました。でも、そこをナアナアで済ませるのではなく、 常に優先順位を考えて、 最良の策へ持っていけるよう腐心したつもりですし、反省点も大いに踏まえた上で、ある程度それは実現できているのかなとは思っています。

──さて、こうやってデビュー作を発表されたわけですが、私自身、この監督の次回作をぜひ見てみたいと願っています。

切通:実は周りから「次は怪獣映画を!」なんてよく言われるのですが、たとえば怪獣映画を見ながら培ってきた感性っていうのは、怪獣が出てくるところだけではなく、実相寺監督の作品のように、宇宙人が潜んでいる街中で民家から野球中継が聞こえてくるみたいな、日常と非日常のあわいを描いていく面白さに目覚めてきた部分でもあるのではないかと思っているんです。僕自身特撮やアクションの場面も大好きなのですが、今回で言えば深琴がOLの格好に戻っても、足元が映ったら学校の上履きのままだったりするような、細かなところでの揺らぎを描く方向性にもやりがいを感じますね。あと先日、詩人で映画も監督されている福間健二さんから「次回作は前作よりお金をかけたものを! なんて思っていると、なかなか次を撮れなくなるよ」と言われまして、ならばもっと小さなものに挑戦してみようかなという気持ちも抱きつつ、逆にミニシアターを支えている地方の映画ファン層にも入りこみやすい作品を手掛けてみたいと思ってみたり、そこは錯綜しています(笑)。

──最後に、映画評論家が映画監督をやることの意義みたいなものを、今回見出すことができましたか?

切通:作る側になってみると、明らかな記憶違いに基づいた解釈や、こっちが考えてもみなかったことであっても、確信を持った感想が一番心に響くのだなと気付きました。作りながら、うまく言えないけれどたしかに感じていたことを、言葉にしてくれて気付くという感激を味わうことが何度かあったんです。ですから批評家としても、「答え合わせ」に陥らずに、勇気を持とうとあらためて思いましたね。



 青井深琴役の深琴



切通理作(きりどおし・りさく)


1964年東京都杉並区生まれ。和光大学人文学部卒業後、編集者を経て文筆業の道へ。映画、コミック、音楽、文学、社会問題をクロスオーバーした批評活動を行う。2001年『宮崎駿の〈世界〉』(筑摩書房)でサントリー学芸賞受賞。著書に『怪獣少年の〈復讐〉~70年代怪獣ブームの光と影』(洋泉社 、『本多猪四郎 無冠の巨匠』(洋泉社)、『山田洋次の〈世界〉」(筑摩書房)、『失恋論』(角川書店)など多数。映画雑誌「キネマ旬報」にて95年からピンク映画時評を連載中。

(取材・文:増當竜也)

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