俳優・映画人コラム

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2020年05月16日

永遠の青春スター、ジェームズ・ディーンが遺した3本の映画を再チェック!

永遠の青春スター、ジェームズ・ディーンが遺した3本の映画を再チェック!

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映画スターの中にはベテランとして長きにわたって君臨し続ける者もいれば、ほんの一瞬の流れ星のように消えゆく者もいます。

1955年から56年にかけて、たった3本の主演映画を発表して24歳でこの世を去ったジェームズ・ディーンは、ほんの一瞬の輝きが今なお保持し続けている稀有な存在ともいえるでしょう。

特に不良性感度の高い青春スターとしてのイメージは、彼こそがスタンダードであるようにも思えてなりません。

1931年2月8日生まれ、1955年9月30日死去。

もし彼が生きていれば現在89歳になります……

《キネマニア共和国~レインボー通りの映画街467》

映画の中で若き姿のまま永遠に生き続けるジミーことジェームズ・ディーンを、この機会に見直してみるというのも映画ファンとして素敵な行いではないでしょうか?

父親の愛を欲する
出世作『エデンの東』





『エデンの東』(54)はそれまでハリウッドでは無名の存在だったジェームズ・ディーンを堂々主演に抜擢し、一躍スターダムに押し上げた記念碑的作品です。

それまで彼は主に舞台で活動し、時折映画にエキストラよりちょっとランクが上といった役名もない役柄で出演していましたが、あるとき舞台でゲイの青年を演じ、その評判を聞いた名匠エリア・カザン監督が彼に会い、本作の主人公キャルにぴったりだと見抜いてキャスティングしたのです。

『エデンの東』は旧約聖書の“カインとアベル”をモチーフにしたジョン・スタインベックのベストセラー小説の映画化で(実質その一部のみの映画化で、後に全編を映像化したTVミニシリーズも1981年に製作されています)、舞台は1917年のカリフォルニア州サリナス、常にひねくれ気味の次男キャルは、厳格な父親(レイモンド・マッセイ)に愛されたいのになかなか理解してもらえないことに悩み続けています。

一方で兄のアーロン(リチャード・ダヴァロス)は真面目で父にも気に入られ、恋人アブラ(ジュリー・ハリス)との仲も良好。

もっともアブラは、彼女もかつて親との葛藤に苦しんでいた時期があり、その分キャルの心根を理解している節もあります。

キャルたちの母親(ジョー・ヴァン・フリート)は死んだと聞かされていましたが、実は意外に近いところで生きていました。

ただしその場所は売春宿で、彼女はそこの主人です。
(父と母の間に具体的に何があったのか、映画は詳しく説明しませんが、見ていくうちに何となく察しはつくことでしょう)

いずれにせよ、母が生きていることを知ったキャルは直接本人に会ったりもしますが、そのことを父にも兄にも伝えぬまま、やがてキャルは商売に失敗した父のために、アメリカの第1次世界大戦参入を機にひと稼ぎして喜んでもらおうとして……。

『エデンの東』では、ピュアなのに素直になれない青年の苦悩が、ジェームズ・ディーンの繊細な演技で見事に描出されています。

またキャメラを斜めに据えてのシネマスコープの居心地の悪いアングル画なども、主人公の心の不安定さを巧みに物語ってくれています。

新人俳優の魅力を引き出すことに秀でたエリア・カザン監督は、台詞を完璧に覚えるレイモンド・マッセイと対峙するときはわざとアドリブを積極的にやるようにジミーに要求し、そのことを知らないマッセイは大いに戸惑い、苛立ち、実際にジミーに怒りをぶつけたこともあったそうで、そういった緊迫感もまた両者の火花散る演技合戦に拍車をかけています。

一方でどこかしら聖母的なジュリー・ハリスと母性を捨てたかのようなジョー・ヴァン・フリート、二人の女性の対比がさりげなくも効果的で、女の存在を抜きに男を語ることはできないとでもいった、カザン監督のメッセージがうかがえるかのようです。

本作ではジョー・ヴァン・フリートがアカデミー賞助演女優賞を受賞していますが、ジュリー・ハリスも負けず劣らずの名演であることもまた讃えられてしかるべきでしょう。
(そしてジミーもまた本作で主演男優賞にノミネートされることになりますが、そのとき彼は既にこの世の人ではありませんでした)

甘い切なさの中に不安げな趣きを忍ばせたレナード・ローゼンマンの音楽、特に主題曲はビクター・ヤング楽団が演奏するヴァージョンのものが3年以上もヒットチャートをにぎわし、今なお映画音楽のスタンダード足り得ています。

父と子、母と子、兄と弟、男と女、そうした対の関係の連なりで成り立っていく人生の機微を、若く未熟な青年の視点で見据えた『エデンの東』は老若男女を問わず世界中の映画ファンから絶賛されました。

不良少年のイメージを
決定づけた『理由なき反抗』





『エデンの東』の撮影を終えたジェームズ・ディーンは続いてニコラス・レイ監督の『理由なき反抗』(55)に主演します。

これはエリア・カザンとニコラス・レイの両監督が親しかったことからキャステイングが成されたとのことで、ここでジミーは17歳の不良少年ジムを演じています。

ジムは連行された警察署の中で見かけたジュディ(ナタリー・ウッド)やプレイトー(サル・ミネオ)と転校したばかりのハイスクールで親しくなりますが、やがてそこの不良グループに目を付けられ、リーダーのバズと度胸試しのチキンラン(フルスピードで車を飛ばし、崖の直前ギリギリでブレーキをかけて、崖に近いほうが勝ち)をやる羽目に。

しかしその結果、バズは車ごと崖から谷底へ転落してしまい、ジムは警察に届けようとするも、そのことをしった事なかれ主義の両親から反対されてしまいます。

一方でジムへの報復を図ろうとするグループに脅されたプレイトーは、家から父親の拳銃を持ち出して……。

本作はジェームズ・ディーンの“永遠の不良少年”としてのイメージを決定づけた作品で、特に彼が纏う赤いジャンバーやジーンズなどはひとつのトレードマークとなった感もあります。

また、ここで描かれるモチーフの中には、第2次世界大戦終結からおよそ10年経った戦後の若者たちと大人たちの確執も含まれていて、まさに“大人は判ってくれない”ことに甘えも含めて苛立ち、反抗する若者たちの青春群像が真摯に綴られていきます。

実際初公開当時のアメリカや日本では、いわゆる不良ものの1本として風俗映画的に片づけられたところもありましたが、ヨーロッパでは映画的に高く評価され、やがては世界中でリスペクトされるようになった作品でもあります。

この後の1950年代の不良少年たちの姿を綴った青春映画の大半は、ほぼ本作のパターンに倣っているといっても過言ではないでしょう。

なお本作はジェームズ・ディーンが事故死したおよそ1か月後の1955年10月26日に全米公開されました。

『エデンの東』に続いて『理由なき反抗』でさらなる当時の若者たちの心情を代弁し得たジェームズ・ディーンは、既にこの世の人ではなくなっていた衝撃も合わさって、ますます神格化されていくことになり、現在に至るのです。

牧童から石油王へ転じる男の
孤独を描いた『ジャイアンツ』





『ジャイアンツ』(56)は1930年代から50年代までのおよそ30年にわたるテキサス州の大牧場主ベネディクト家の愛と葛藤を堂々200分を越える長尺で綴った大河ドラマ超大作です。

ここでは若き牧場主ジョーダン(ロック・ハドソン)と、東部から赴いた妻レズリー(エリザベス・テイラー)、そして馬よりも車のほうが好きなひねくれた牧童ジェット・リンク(ジェームズ・ディーン)の3人を主軸にドラマが進められていきます。

テキサスの大地に誇りを持ちつつ、メキシコ人を差別する良くも悪くものテキサス男ジョーダンに対し、リベラルで聡明で口が達者なレズリーは徹底的に逆らい、長い年月をかけて夫の偏見や差別意識を薄れさせていきます。

そんなレズリーに片想いしているのがジェットで、しかし彼はジョーダンの姉ラズ(マーセデス・マッケンブリッジ)の遺言で牧場の一部の土地を譲渡され、そこから石油が出たことで一躍大金持ちとなり、またたくまにジョーダンと立場を逆転させていきます。

ここでのジェームズ・ディーンは前半部でひねくれた貧乏カウボーイの風情を、後半は石油王と化していく成金風情の二面性を見事に体現。

一方ではジェットもジョーダン同様に差別と偏見の持ち主なのですが、ジョーダンがレズリーによって次第に意識を改革させられていくのに対し、どんなに大金を手に入れようとも最愛の女性だけは我がものにすることが叶わないジェットの偏見はエスカレートしていくのみで、やがてはベネディクト家とジェットの衝突は決定的なものとなってしまいます。

『シェーン』『アンネの日記』などで知られる監督のジョージ・スティーヴンスはアメリカの光と影にこだわる作品を連打したリベラル派で、ここでも当時としてはまだ珍しかった人種差別の問題に言及しながら,原題“GIANT”の真の意味を観客に問いかけていくのでした。

なお、本作の撮影終了直後の1955年9月30日に、ジェームズ・ディーンは交通事故で急死。

映画そのものはおよそ1年後の1956年10月10日に全米公開。

同年度のアカデミー賞でジミーは再び主演男優賞候補となりました(つまり彼は死後2度もオスカーにノミネートされたことになります)。

ジェームズ・ディーンはマーロン・ブランドやポール・ニューマンなど1950年代に台頭した若手俳優と同様に、従来の“スター”から“アクター”としてハリウッドを、ひいてはアメリカ映画界を変えていった先駆者であり、中でもジミーはそのナイーヴで激しくも切ない演技と個性で“永遠の青春像”を象徴する存在として今なお讃えられ続けているのです。

(文:増當竜也)

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