映画コラム
『MOTHER マザー』レビュー:驚異!長澤まさみ演じる母親は、聖母か?怪物か?
『MOTHER マザー』レビュー:驚異!長澤まさみ演じる母親は、聖母か?怪物か?
理屈では割り切れない
母と子の関係、そして人生
(C)2020「MOTHER」製作委員会
いやはやなんとも、すさまじい映画であり、とんでもない母親です。
人間ここまで自堕落に、身勝手に、そして本能の赴くまま赤裸々に生きられるものなのかと疑いたくなるほどの強烈なヒロイン像であり、いくら長澤まさみが演じているとはいえ、そこにはもう可愛らしさのカケラもなければ共感するポイントを見出すことも難しいでしょう。
しかし、それでも彼女に付き従う子どもたち、特に息子からの母への眼差しには諦念のようなものこそ感じられつつも、怒りや不信の念といったものを垣間見ることはありません。
それを単に“母と子の絆”の域で語ってしまうと、どうにも作品の本質を見誤ってしまうような懸念もあります。
また、次々と男をとっかえひっかえしては翻弄し、逆に翻弄され続けもしていく秋子という女性の魅力(と呼んでいいのかすら悩むところであります)とは、一体何なのか?
理屈で考えるとわからないことだらけの女性ではありますが、しかし理屈では割り切れないのもまた人間のサガというもので、結局よくわからないまま、さまざまな人々の謎めいた言動に引きずられながら生きているというのが、人生の実情なのかもしれません。
そんな“わからない”母親を長澤まさみは“熱演”と安易に記してしまうとちょっと違うのではないかといったスタンスで飄々と演じており、そこから不可思議なオーラが映画全体に発散されていきます。
また彼女自身の美貌が一切損なわれることなく描出されることで、それは息子の目から見据えた“美しい母”の姿なのかもしれないとも想像できます。
17歳の周平を演じた奥平大兼(本年度の新人賞候補の筆頭でしょう!)の目の輝きが映画の進行とともにどのように変わっていくか、逆に長澤まさみの目の輝きがいかに変わっていかないか、戦慄のクライマックスから、もはや言葉にできないラストの余韻まで、映画を見る側もまた一瞬たりとも目を離せないカタルシスに見舞われていくこと必至でしょう。
監督の大森立嗣は、『日々是好日』(18)『母を亡くした時ぼ、僕は遺骨を食べたいと思った。』(19)のような人生のそこはかとない感動を呼び覚まさせるものから、『ぼっちゃん』(13)『さよなら渓谷』(13)など社会と犯罪の関係性の中から現代を生きる人々の闇や本質を鋭くえぐることに長けた異才で、今回は後者の資質を存分に活かしながら、驚異とも衝撃ともつかぬ母と子の姿を描出していきます。
そして最後の最後まで見終えると、本作が真に何を描こうとしていたのかが、おぼろげながらも理解できるかと思われますが、それは各々が直接作品を見て、感じてください。
(文:増當竜也)
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