映画コラム

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2020年09月19日

『マーティン・エデン』レビュー:無学の青年が愛のない富と名声を得たとき

『マーティン・エデン』レビュー:無学の青年が愛のない富と名声を得たとき




人間誰しも富や栄光、名声といったものを欲しがる生き物ではあるかと思われますが(少なくとも私はお金が欲しい!)、「そこに愛はあるのか?」などと、どこぞのCMみたいなツッコミを入れたくなる向きもあることでしょう。

たとえば、もしあなたが無学の労働者で、恋愛を機に作家をめざすようになったとしたら? 

その恋愛の相手が、身分違いの富裕層であったとしたら?

夢を目指すも、なかなか芽が出なかったとしたら?

またその相手と、思想的な食い違いが生じたとしたら?

かくして、ついに富と名声を得られたとして、そのときに愛が不在であったとしたら?

《キネマニア共和国~レインボー通りの映画街504》

イタリア映画『マーティン・エデン』が描いているのは、まさにそこなのでした。

富裕層女性との恋から
作家を目指す貧しい青年


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ピエトロ・マルチェッロ監督が手掛けた映画『マーティン・エデン』は、今年の春公開された『野生の呼び声』の原作者でもあるアメリカ人作家ジャック・ロンドンの自伝的要素を携えた小説「マーティン・イーデン」の映画化です。

原作は20世紀初頭のアメリカ、西海岸オークランドを舞台にしていますが、映画化にあたってはイタリアのナポリに変更。

いわゆるアメリカの小説を原作にしたイタリア映画といった、翻案映画化のスタイルではあります。

ユニークなのは時代設定を一応20世紀としながらも、1910年代から1970年代あたりまでの歴史の流れとしての時系列をさりげなく(いや、大胆不敵とでもいうべきか!)とっぱらって、自由な錯綜のもと、主人公マーティン・エデン(ルカ・マリネッリ)の数奇な運命が大河ドラマ的に描かれていくのです。

貧しい労働者階級の子として生まれ育ち、学びも知らぬままに船乗りとしてその日暮らしを続ける青年マーティン・エデンは、ある日チンピラたちに絡まれていた良家の子息を助けたことから、その美しい姉エレナ(ジェシカ・クレッシー)と出会うとともに、ブルジョアの文化と教養の世界に魅せられていきます。

エレナの影響で読書を始めるようになったマーティンは、みるみるうちに文学への関心が高まっていきますが、いかんせん彼には学がなく、また学校で学ぶお金もありません。

折しも船のトラブルで仕事を解雇された彼は、鋳物工場で働きながら独学で勉強するようになるも、こちらも横暴な雇用主に憤って仕事を辞め、作家になることを決意します。

エレナの心配をよそに、小説を書いては出版社に送る作業を繰り返していくマーティンですが、それらの原稿は間借りしていた姉の家に送り返されていくのみ。

ついに家を追い出されてしまったマーティンは、女手ひとつで子どもたちを育てているマリアの家に間借りできることになり、そこを拠点に再び執筆活動を始めます。

既に愛し合う仲にまで発展していたエレナには、自分が成功するまでの2年の猶予を求めつつ、そのさなか芸術家の集うパーティで謎の老紳士ブリッセンデン(カルロ・チェッキ)と出会い、これが彼に更なる影響を及ぼしていくことになります。

投稿した作品はまったく相手にされず、エレナとのすれ違いも増していく中、生活は困窮を極め、ついに病に倒れてしまうマーティン。

そのとき奇跡が起こります。

しかし、その奇跡はマーティンにとって新たな試練と苦悩の始まりを促すものでもありました……。

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