『マンディンゴ』レビュー:アメリカ奴隷制度の闇を暴いた問題作が奇跡のリバイバル!
■増當竜也連載「ニューシネマ・アナリティクス」SHORT
南北戦争からおよそ20年前の19世紀半ば、奴隷制度を背景とするアメリカ南部の“奴隷牧場”を舞台に、白人が黒人を魂のない家畜のように扱う非道極まりない日常と、その最悪の顛末を赤裸々どころではすまされない苛烈な描写の数々をもって披露し、世界中に衝撃を与えた1975年度の問題作が46年の時を経て復活!
クエンティン・タランティーノ監督作品『ジャンゴ 繋がれざる者』(12)の元ネタとしても知られるこの作品、人種差別はおろか女性差別、近親相姦、拷問、殺戮も辞さない拳闘など、当時のおぞましい現実が次々と描かれていきます。
それは目を背けたくなるほどのものではありますが、リチャード・フライシャー監督は「当時はこれが日常だったのさ」とでもいった一見クールで平常的スタンスを保持しながら、その中で繰り広げられる人間のおぞましい愛憎劇を重厚なエンタテインメントとして魅せてくれるのでした。
そもそも手掛けてないジャンルはないほどに、秀逸な映画的才覚で大作から小品まで何でもこなしてしまう真のアルチザン監督、それがリチャード・フライシャーの本領です。
特に1960年代後半から1970年代半ばにかけての彼は絶頂期といってもよく、中でも70年代は警察もの『センチュリアン』(72)、SF『ソイレント・グリーン』(73)、西部劇『スパイクス・ギャング』(74)などシニカルな目線で貫かれた傑作&秀作群を連打していた時期でした。
また『絞殺魔』(68)『10番街の殺人』(71)『見えない恐怖』(72)など猟奇犯罪ものに定評のあった彼のおどろおどろしくも格調高い演出タッチも、このグロテスクな闇のホームドラマにある種の品格を与えてくれています。
ノーマン・ウェクスラーの明確な脚本、屋敷内の光と影から白と黒を大いに意識させるリチャード・H・クライン撮影監督の映像美、南部を思わせる軽快な音色に不気味さを忍ばせたモーリス・ジャールの音楽と、スタッフワークも絶品。
またプロデューサーは世界映画市場をまたにかけたイタリアの興行師ディノ・デ・ラウレンティスで、主演のジェームズ・メイスンとスーザン・ジョージ(すばらしき熱演!)がイギリス出身といった非アメリカ系俳優であることも、この異様な題材のタブー性に臆することなく取り組んでくれた大きな秘訣だったのかもしれません。
1960年代後半から流行するアメリカン・ニューシネマの反体制的な波に加えて、アフリカ系アメリカ映画人ら新興勢力の台頭といった風潮の中、ようやく歴史の闇を具現化することが可能となるも、自国の恥部を認めたくない人々から手痛い酷評を喰らった『マンディンゴ』。
(こうした傾向は世紀を超えた今も変わりなく、いや、むしろ悪化している感もなきにしもあらず)
しかし本作の痛烈な洗礼を経て、2年後にはアメリカ史における黒人奴隷の苦悩と解放を大河ドラマとして描いたTVミニシリーズ「ROOTS/ルーツ」(77)の世界的大成功が得られていきます。
実は『マンディンゴ』も続編『ドラム』(76)が作られていますが、こちらは本作のミード役ケン・ノートンを主人公のドラムに起用し、ペリー・キングが演じたハモンドをウォーレン・オーツが、そしてルクレチア役のリリアン・ヘイマンは2作共通といったキャスティング。先ごろ惜しくも亡くなったイセラ・ベガや、パム・グリアーも出演しています。
そして監督は『ビッグ・バッド・ママ』(74)『超高層プロフェッショナル』(79)『テキサスSWAT』(83)など知る人ぞ知るプログラムピクチュアの達人スティーヴ・カーヴァー!(何と、彼も今年1月8日に75歳で永眠。嗚呼!)
実は『マンディンゴ』よりも『ドラム』のほうが更なる映画的充実感を味わえる快作だと個人的には捉えており、この機会にぜひこちらも再び陽の目を当てていただきたいものと、切に願っている次第です!
(文:増當竜也)
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