俳優・映画人コラム

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2021年04月30日

「拡大版 庵野ドキュメンタリー」は、どんな「物語」として生まれ変わったのか:「ドキュメンタリーはフィクション」

「拡大版 庵野ドキュメンタリー」は、どんな「物語」として生まれ変わったのか:「ドキュメンタリーはフィクション」



2021年3月に放送され大きな話題となった『プロフェッショナル 仕事の流儀』庵野秀明スペシャル(以下「プロフェッショナル」)」の拡大版、「さようなら全てのエヴァンゲリオン~庵野秀明の1214日~(以下「さようなら」)」が、2021年4月29日に放送されました。

放送時間が前回よりも倍近く長く、構成も新たに作り直しており、同一番組を拡大したというより、新たな別作品を作ったという印象になっています。ご覧になった方々も同じように感じられたのではないでしょうか。

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ドキュメンタリーもフィクション



ドキュメンタリーは、実際にカメラの前で起きたことを記録していく手法です。しばしば、ドキュメンタリーは真実を伝えるものだと思われがちですが、2つの番組は同じ撮影素材から生まれているにもかかわらず異なる印象を与えます。一体どちらが本当なのでしょうか。

「さようなら」で追加されたあるシーンで、庵野秀明監督が端的にドキュメンタリーの本質を突いた言葉を発していました。「ドキュメンタリーは本質的には存在しない、編集して切り取った時点で一種のフィクションだ」と。

ドキュメンタリー番組でこの台詞を使うのは、なかなか勇気のいることだと思います。ほとんど自己否定みたいなものですから。

ドキュメンタリーの一つひとつのカットは、カメラの前で実際に起こった出来事ですが、ドキュメンタリー作品そのものは、客観的な事実ではありません。そこには、作り手の視線というフィルターがあり、編集という取捨選択があって、何らかの仮説や主張に基づいた「ストーリー」があるのです。

これは庵野監督が昔から主張していたことでもあります。岩井俊二監督との対談本『マジックランチャー(デジタルハリウッド出版局)』でもこのように語っています。
ドキュメンタリーっていうのは素材が素に近いだけで、それを編集した時点でもうリアル=本物じゃないんですよ、現実じゃないんですよ。カメラが空間を切り取っているというところで意図がすでにあるわけだし、それを時間軸いじって編集するってことは意図があるわけですから。(『マジックランチャー』デジタルハリウッド出版局、P208)

ということは、「プロフェッショナル」も「さようなら」もそれぞれ作り手の何らかの意図に基づいた作り物ということですね。

作り物という点において、ドキュメンタリーもアニメも同じです。庵野監督に言わせると、ただ「作り込みの度合い」に差があるだけなんですね。番組中、庵野監督がドキュメンタリーのカメラマンに向かって、あっちから撮ったほうがいいとか、スタッフを撮ったほうが面白いとかいろんな指示を出していますが、これらのシーンは、現実を前にして何を切り取るのかで全く違いものになるぞということを強烈に印象づけています。

自分のスタッフじゃないのに指示を出してしまう庵野監督も面白いですが、それを編集で採用したドキュメンタリーチームもユニークです。普通、ああいうのは編集でカットすることが多いと思います。取材対象者にあれこれ指図されてるシーンが多いと情けない感じもしますし、過剰に対象と馴れ合っている印象を与えると「やらせ」っぽく見えてしまうリスクもありますから。

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