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弘兼憲史人生を学べる名画座 Vol.06|『男と女』|「部屋を注文する」
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弘兼憲史人生を学べる名画座 Vol.06|『男と女』|「部屋を注文する」
この映画は、僕が大学に入った頃に観て、ものすごく感動しました。そして、その感動が何回観ても変わらずに同じように続いている。何度観ても「新しい」のです。
映画に限らず、優れた美術作品というのは何年たっても新しさを失わないものですが、『男と女』の新しさはすごい。例えると、ビートルズの音楽のような感じとでもいうのでしょうか。この作品にも、そんな、時代を超えた新しさがあると思っています。
大学生の頃、僕は映画監督になりたいと思っていました。もちろん漫画も好きで、大学の漫研には入っていましたが、漫画家で飯を食えるとは思っていなかったのです。卒業したら映画会社に入って、アシスタントから地道にはじめて助監督を何年かやって、最終的に監督になりたいと思っていました。それはそれで大変なことではありますが、漫画家という職業よりは現実的だったのです。
そんな頃に観た映画ですから、ストーリーや脚本よりも、ビジュアル的な観方というか、映像重視で観ていました。そして、そこに感動したのです。
この映画は、なんといっても映像が斬新です。そういう意味で『男と女』は、人間・弘兼憲史に影響を与えたというより、漫画家・弘兼憲史に影響を与えた作品だと思います。
言ってしまえば、ストーリー的には大したものはありません。
夫を亡くした女と妻を亡くした男がいて、それぞれに子供がいる。その子供を寄宿学校に預けて、それぞれが働いているのですが、子供を迎えに行くときに知り合って付き合いがはじまるというものです。
しかも、その設定がすごい。男の職業はレーサー、女が失った夫の職業はスタントマン。彼女は映画のタイムキーパーで、撮影中に自分の目の前で夫が死んでしまうのですね。
よく「漫画のような」といいますが、漫画だってこんな設定はなかなかありません。
でも、描かれている男女像は決してウソっぽくなくて、非常に人間的で現実的。特に主役の男・ジャン(ジャン・ルイ・トランティニャン)の心の中にある、情けない部分やカッコ悪い部分もちゃんと描いています。
彼は、いざエッチということでベッドインしたのに、途中でアンヌ(アヌーク・エーメ) に断られてしまう。アンヌはまだ死んだ夫の存在が心の底にあって、最後までは踏み切れなかったのです。ジャンはそんな彼女の気持ちを理解しながらも、帰りの車の中であれこれと考える。
『楽しい日曜がこんな結末とは 信じられない幸福を取り逃すなんてどうすればよかったのか いったいどうすれば...... 女の気持ちはわからないおそらく一風変わった亭主だったのだろう イカれた奴だったに違いない その手合いがモテるんだ そんな奴だったのさ 多分......』
この心境、わからんでもありません。彼女が前の夫のことを忘れるまで、いつまでも待っていようなんて、現実の男はなかなか思えないものですからね。
そんな人間臭い部分も描きながら、全体としては洒落た都会の恋愛ものとして成立しているところも、この作品の優れた部分だと思います。
この映画の中に、こんな台詞があります。
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ホテルのレストラン ジャンとアンヌのテーブルに注文を取りにくるギャルソン
ジャン:シャトウを2つ
アンヌ:モンテカルロを何時に出たの?
ジャン:確か......(ギャルソンを見る)
ギャルソン:ほかにご注文は?
ジャン:いや
〜立ち去るギャルソン 〜
アンヌ:何か注文しないと悪いみたい
ジャン:喜ばせよう ギャルソン!
〜やってくるギャルソン〜
ジャン:部屋を注文する
音楽イン「ダバダ ダバダバダ ダバダバダ......」
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この映画が撮られたのは1966年。
当時、大学生だった僕はこの台詞を聞いて、「カッコいいなあ。いつかこういう台詞を言ってみたいものだ」と思ったものですが、機会もないまま現在に至っています。
まさに、「映画のような台詞」――。古くは『カサブランカ』(1942年)でハンフリー・ボガートがイングリット・バーグマンに言った「君の瞳に乾杯」なんていう台詞もありましたが、こんな気障な台詞に誰でも一度は憧れるものです。
でも実際は、なかなかそんな台詞は言えないし、勇気を出して言ってみたら相手に笑われてしまうかもしれない。そんなことばかり考えていると、気障な台詞どころか「好きだ」「愛してる」といった言葉さえも言えなくなってしまう。現実的にはそんなものです。
その点、僕の場合は漫画家ですから、自分で言えなくても漫画の登場人物に言わせることができる。『男と女』のこの台詞も、『島耕作』の中で使わせていただいたことがあります。
とはいっても、それでは盗作のようになってしまいますから、「クロード・ルルーシュの『男と女』にあった、あのセリフをやろうか?」と主人公に言わせてから使いました。「部屋を一つ」と。
(ベストカップル・島耕作と大町久美子のレストランでの1コマ。恥ずかしそうにうつむいてる久美子がかわいい。)
漫画の中ではうまくいきましたが、実際はどうなんでしょう。「部屋を一つ」と言ったら「冗談でしょ」と軽くいなされる。「なに言ってるの。私帰る」と席を立たれて、一人淋しく二人分の料理を食べる。あるいは、結構うまくいく......。
まあ、所詮「女の気持ちはわからない」のですから、無難にしておいたほうがよいのでしょう。
ただ、この映画の中でアンヌがジャンに惹かれた最大のポイントは、レースが終わった直後、汚れた車をものすごいスピードで飛ばして会いに行くという彼の行動だと思います。これには映画を観ていた多くの女性もしびれたそうですが、こういった情熱的な行動に女性は弱いようですね。
あまり情熱的に迫るとストーカーだと思われてしまいますが、ときには「愛してるよ」といった明確な意思表示が必要だということでしょう。いくら甘い言葉を並べても、行動が伴っていないとそのうちにウソ臭いと思われてしまう。反対に、ポイントポイントで「君を思ってるよ」という行動を示していれば、気の利いた台詞をわざわざ言う必要はないのではないかと思います。
この映画が名画として残っているのは、やはり監督のクロード・ルルーシュの力が大きいのですが、彼がこの作品以降にも優れた作品を残しているかといえばそうでもない。『白い恋人たち』(1968年)にしても『パリのめぐり逢い』(1967年)にしても、大した作品ではないのです。
おそらく、彼は持っている才能やアイディアの80パーセント以上を『男と女』に出し尽くしてしまって、その後はなにもなくなったのかもしれない。そう思えるほど、この作品のカメラワーク、映像の素晴らしさは秀逸で、映画監督になりたかった僕は、「いつかはこういう映画を作りたいなあ」と心から思いました。
浜辺でお互いの子供同士が遊んでいて、お父さんお母さん同士が戯れている。これを望遠レンズで撮って、カモメがバーッと後ろを飛んで行く。そこへ軍艦のような船がフワーッと通り過ぎるというシーン。
桟橋の近くで老人が犬を散歩させている姿をピンをずーっと遠くに合わせて撮って、ポワボワ~ッとしたジャコメッティの彫刻のように手足が細くなったような感じにして、さらに逆光で捉えているという美しいシーン。
ラストでジャンが駅に先回りするときに、スーッとカメラが回って後ろ側から列車が来 るというカメラワークのアイディア。
二人が再会して言葉もなく抱き合った瞬間、カメラが周囲をぐるりと回るという手法、今ではちょっと古くなってしまいましたが、『愛と青春の旅だち』(1982年)などでも使われていました。
最後はホワイトアウトして、『あしたのジョー』のラストのように全体が真っ白になってしまう。そして二人がコラージュのように切り抜かれてストップモーションになる。これも当時としては「ああ、これはすごく新しいなあ」と感動したものです。
ベッドシーンがまたいいんです。普通は男と女の絡みを少し離れたところから撮るのですが、この作品は全体を写さずにアップでくるんですね。人間が実際にベッドシーンをやると、距離が近いもので相手の全身は見れなくて、どうしても部分的にしか見えない。その辺を、ドッキンドッキンと心臓の音を入れたりしながらリアルに撮っているんです。
(お勧めベッドシーン。ジャンの頭髪は薄めだが、撮影当時はまだ33歳である。)
セピアトーンというか、モノトーンを効果的に使っているのもこの作品の特徴ですね。アンヌの心情が暗くなったりすると、画面の色を落としていく。わかりやすいといえばわかりやすいのですが、この手法もこの作品が初めてではないでしょうか。『男と女』以降、過去と現在、西側と東側などを、カラーとセピア調のモノトーンで使い分けている映画は少なくありません が、この作品ほど効果的ではないように思います。
それから、忘れてはいけないのが主題歌に使われた、フランシス・レイの甘美なメロディですね。「ダバダダバダバダ ダバダバダ」というメロディは、一度聞いたときから耳にこびりついてしまっています。『男と女』の主題歌ということは知らなくても、このメロディだけはほとんどの人が耳にしている。そういう意味では、星の数ほどある映画主題歌の中でも、一、二を争うほどのメロディだといえるでしょう。
このメロディの知られ方に比べると、日本では映画自体の評価が今一つ低いような気がします。カンヌ国際映画祭ではパルムドール、アカデミー賞でも脚本賞と外国語映画賞を獲得し、監督賞にもノミネートされた名画なので、不思議な感じがしますね。
確かにこの作品には、先ほども言ったように脚本を含めたストーリー的な面白さはありませんが、それを理解した上で、映像の素晴らしさに触れてみてほしいのです。
この映画はすべて、僕の創作意欲という琴線に触れました。インスパイアされるというか、「ああ、創りたい」と思わせてくれるのです。
僕はいまだに、洒落た都会の男女の話を描こうと思ったときには、この映画の主題歌を頭の中のBGMにしています。そうすると、都会的な洒落た感じ、粋な台詞やストーリー展開などが浮かびやすくなる。
とにかく、まだこの映画を観たことがない方には、ぜひ一度みてほしいと思います。
弘兼憲史 プロフィール
弘兼憲史 (ひろかね けんし)1947年、山口県岩国市生まれ。早稲田大学法学部を卒業後、松下電器産業(現・パナソニック)勤務を経て、74年に『風薫る』で漫画家デビュー。85年に『人間交差点』で小学館漫画賞、91年に『課長島耕作』で講談社漫画賞を受賞。『黄昏流星群』では、文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞、第32回日本漫画家協会賞大賞を受賞。07年、紫綬褒章を受章。19年『島耕作シリーズ』で講談社漫画賞特別賞を受賞。中高年の生き方に関する著書多数。
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