『そして、バトンは渡された』ネタバレありで魅力を大いに語る
「親子」に「血縁」は必要なのか?家族の形を考えさせられる物語
森宮親子の対比に感じられるもう一組の親子。優子と同級生の早瀬くんと、その母親(実母)である。超絶にピアノが上手な同級生・早瀬くんを演じるのは、めきめきと着実に力を伸ばす若手俳優・岡田健史。早瀬くんの持つ天才性と、それゆえの少し浮世離れした雰囲気を見事に表現している。
生まれた頃からピアノが上手で、実の母親をして「その音を聞いて震えたの」と言わしめた才能。ピアノありきで繋がっているようなこの親子は、まさに森宮親子とは対照的だ。
卒業式のクラス合唱でピアノ伴奏を担当することになった優子。他クラスの伴奏者として早瀬くんも名を連ねていた。それぞれの伴奏者の力量をはかるために好きな曲を弾いてみる一行。はじめて早瀬くんのピアノを聴いた優子は、その音色に圧倒される。
早瀬くんのピアノはすごい、と賞賛する優子に対し、「森宮さんの音が一番良かった、あのピアノに合っていた」と自然と褒める彼。少しずつ距離を縮めていくふたりの姿に、淡いときめきを感じる。
ある日、優子と父親は実の親子ではないと知ることになる早瀬くんは、素直に羨ましがる。
「いいな、お互いを尊重できる」
その言葉は、彼自身「自身の親子関係は尊重し合えていない」と感じていることを示していた。ピアノで繋がっている親子。仮に早瀬くんがピアノを弾くことを止めたら、音大に進まないことを選んだら、途端に切れてしまうような危うい糸。ときに、親や教師の所有物であるかのように錯覚してしまう自分という存在を、「自分は自分だ」と繋ぎ止めていたい心境の現れなのかもしれない。
森宮親子と早瀬親子。ふた組の親子の対比は物語上に淡く浮かび上がりながら、私たちに問いかけ続ける。親子とは何なのか。血の繋がりとは何なのか。それがなければ、親子は互いの存在を尊重し合えないのか。
原作とは違うクライマックス、互いにバトンを渡し合っている作品
瀬尾まいこ原作同名小説「そして、バトンは渡された」とは違うクライマックスが用意されている本作。原作ありの映画を観に行くときには、原作を読んでから行くべきか、はたまた読まずに行くべきか悩むところ。今回に限っては、原作が先でも後でも、順序はどちらでも問題ないはずだ。筆者は心の底から原作小説に惚れ込んだ状態で鑑賞したが、自信を持って言える。順序はどちらでも、必ずそこには救いと感動がある。
「感動」なんて安易に使いたくはない言葉だけれど、あえて言いたい。原作と映画で互いにバトンを渡し合っているこの作品、ふたつにひとつで感動をくれる繋がりが生まれている、と。
次ページより、cinemas PLUSで開催した『そして、バトンは渡された』試写会の模様をレポートしたい。作品そのものへの言及よりは、一足先にご覧になった皆さまの様子をレポートするものになる。よりこの作品を堪能したい方は、ぜひご一読いただけると幸いだ。
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(C)2021 映画「そして、バトンは渡された」製作委員会