人生を学べる名画座

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2021年08月15日

弘兼憲史人生を学べる名画座 Vol.18| 『アパートの鍵貸します』|「女房持ちとの恋にマスカラは禁物」

弘兼憲史人生を学べる名画座 Vol.18| 『アパートの鍵貸します』|「女房持ちとの恋にマスカラは禁物」



『アパートの鍵貸します』の監督は、巨匠中の巨匠ともいえるビリー・ワイルダー。

彼は2002年に95歳で亡くなりましたが、その生涯に残した作品はアカデミー賞に20回もノミネートされ、監督賞、作品賞などを7回も受賞しました。

『あなただけ今晩は』(1963年)、『お熱いのがお好き』(1959年)、『翼よ!あれが巴里の灯だ』(1957年)、『昼下がりの情事』(1957年)など、傑作は数え上げればきりがありません。コメディ・タッチの作品からサスペンス・タッチ、ドキュメント・タッチの作品まで、実に多彩な映画を撮り続けました。

『アパートの鍵貸します』の演出も素晴らしく、アカデミー賞の作品賞、監督賞、脚本賞など、5部門で受賞しています。アカデミー賞作品賞は、古くは『風と共に去りぬ』(1939年)や『ベン・ハー』(1959年)、最近では『タイタニック』(1997年)や 『ロード・オブ・ザ・リング/王の帰還』(2003年)といった超大作が獲ることが多い中、こういった小作品も受賞しているというのは、とてもいいことだと思います。それだけ、この作品が優れているということでしょう。

まず、ストーリーの設定が面白い。保険会社に勤めるバクスター(ジャック・レモン) が、上司の浮気のために自分の部屋を貸すという設定です。はじめは浮気のためではなく着替えのために貸したはずが、いつの間にか上司たちに知れ渡って彼の部屋はラブホテルのような状態になってしまう。

そのためにバクスターは、上司の情事が終わるまでは自分の部屋に帰れないようになる。でも彼にも出世欲があるもので、「こうしていれば出世できるだろう」と、この状況を利用しようとしているのです。

日本人としては、「わざわざ部下の部屋を借りなくても、ラブホテルに行けばいいのに」と思いますが、「休憩」があるようなラブホテルは日本独特のものだそうです。少し前に、イギリス人の実業家が日本のラブホテルに目をつけて経営のノウハウを勉強し、ロンドンに第一号店をオーブンするといった記事を読みました。

アメリカにはモーテルが昔からありますからラブホテルの必要性もなかったのでしょうが、『アパートの鍵貸します』を見ている限りでは、日本のラブホテルが進出したら流行るかもしれませんね。

とにかく、上司にとっては情事に最適、バクスターにとっては出世の糧ということで、バクスターの部屋は連日満室となります。彼が風邪をひいたときなどは、スケジュールの調整に1時間ほどかかるような状況です。

そんなバクスターにも、思いを寄せている女性がいる。その女性は、会社のエレベーター・ガールのフラン・キューブリック(シャーリー・マクレーン)。でも彼女は、シェルドレイク人事部長(フレッド・マクマレイ)との不倫関係を持っていたのです。

そんなことをまったく知らないバクスターは、部長のために自分の部屋を提供する。なんとも哀しい恋物語です。

フランは、部長との不倫を解消したいと思っているのですが、「離婚するから」という彼の甘い言葉を心から嘘だとも思えない。そんなある日、社内のクリスマスパーティで部長秘書と出くわしたフランは、彼女が部長の元愛人だったことを知る。それどころか、彼は社内のかなりの数の女子社員と関係を持っていたことを聞かされてしまうのです。

その夜、例によって二人はバクスターの部屋で密会するのですが、フランはずっと泣いている。部長が「どうして泣いているんだ?」と聞くと、フランは秘書に聞かされたことをすべて話します。

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〜涙をこらえるフラン 〜

フラン:私の後がまも社内に控えてるってことね 

シェルドレイク:そう思うのも無理はないが

なぜ男が浮気して回る?

不幸だから 孤独だからだ

でも 君と会って変わった 

〜フランの頬に再び涙がこぼれる 〜

フラン:私ってバカね 女房持ちとの恋にマスカラは禁物なのに 

シェルドレイク:イブにケンカはよそう

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何人もの女子社員に手を出しておきながら「不幸だから 孤独だからだ」と開き直る部長。しかも、その夜はクリスマス・イブ。シェルドレイクは、家族のための大きなプレゼントの包みを脇に置いています。

フランは彼に、LPレコードをプレゼントします。包装を解いて中身を見たシェルドレイクは、「ありがとう。これはここに置こう」という。妻子持ちの彼は、プレゼントを家に持って帰れないのです。そして、「君になにを贈ろうか迷ったんだが、これでなにか買いなさい」といって、彼女に100ドル紙幣を渡し、「そろそろ帰らなければ」と家族へのプレゼントを抱えてそそくさと部屋を出て行ってしまう。

観ていた僕は「ちっとも変わってないじゃないか! それは誰でも怒るだろう!」と思いましたが、なんともわかりやすい演出ですね。現代であれば、こういう作り方はしなかったと思います。鞄の中にチラッと家族のためのプレゼントが見えて、彼女はショックを受けるとかね。

この後、一人で部屋に残ったフランは、睡眠薬を飲んで自殺未遂をしてしまうのです。


(イブの夜、シェルドレイクはフランに100ドル紙幣を渡す。いくら妻子があるとはいえ、それは誰でも怒るだろう!)

こういったことは時代を超えて、全世界の至るところで繰り返されているのでしょうね。「妻と離婚するから」というエサを使って、若い女性を口説く。女性のほうも、そんな男から抜けきれない。「どこの国も同じだなあ」という感じがします。

不倫というのはルール違反なのですから、男女ともに「ルール違反に参加している」という自覚を持たないと無理でしょう。

男が「女房と別れるから」と言いながら、いつまでたっても別れないというのもルール違反ですが、その前に、不倫自体がやっちゃいかんことなわけです。最初からやっちゃいかんことをやっているのですからね。

『アバートの鍵貸します』のシェルドレイクは本当に離婚することになりますが、本心では離婚する気はなかったのだと思います。離婚するハメになったのは、秘書が奥さんに言いつけてしまったからです。

パーティのときに秘書がフランに嫌がらせを言ったので、シェルドレイクは秘書をクビにするのですが、彼女はその逆恨みで奥さんに電話して「部長のことでお話したいことが。一緒にお昼でもどうですか?」と言います。これはすごいコワイ言葉ですね。その一言だけで、一瞬にしてその女がなにを言いたいのかがわかりますよね。

この告げ口がなかったら、彼はずっと不倫関係を続けていたでしょう。だから、フランがそんな彼を振り切って、バクスターのもとへ行ったのは正解だったと思います。


(C)弘兼憲史/講談社
 
(島耕作のお相手は不倫に最適な出衲係の女・鳥海赫子。ただ、島耕作は課長時代の前半で離婚してしまうので案外「不倫」経験は少ない?)

キャスティングで面白いのは、社内不倫を繰り返すシェルドレイク人事部長に、中流階級のほのぼのとしたホームドラマ「パパ大好き」で、良き父親役を演じていたフレット・マクマレイを起用したことです。

シェルドレイクの家庭がほんのちょっと映るのですが、息子たちに囲まれている部屋には大きなクリスマス・ツリーが飾られていたりして、ドラマでの家庭を連想させるのですね。「あのいいお父さんが・・・」と観客に思わせる、洒落の効いたキャスティングだと思いました。

フランを演じたシャーリーマクレーンは、いわゆる「美人」ではありません。ですが非常に愛らしいというか、愛すべき存在感を出している。あまり美人でないぶんだけ、遊ばれてしまう女の哀しさのような雰囲気が、うまく出ていましたね。

そして、社内不倫、自殺未遂、サラリーマンの悲哀といった、ともすれば重くなってしまうような物語の主役に、コメディーの巧いジャック・レモンを起用したというのも大成功でした。

洒落たことをするビリー・ワイルダー監督のことですから、フランの苗字、キューブリックというのは、1956年の『現金に体を張れ』で注目されたスタンリー・キューブリック監督を意識して付けられたものではないかと、僕はひそかに思っているのです。

弘兼憲史 プロフィール

弘兼憲史 (ひろかね けんし)

1947年、山口県岩国市生まれ。早稲田大学法学部を卒業後、松下電器産業(現・パナソニック)勤務を経て、74年に『風薫る』で漫画家デビュー。85年に『人間交差点』で小学館漫画賞、91年に『課長島耕作』で講談社漫画賞を受賞。『黄昏流星群』では、文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞、第32回日本漫画家協会賞大賞を受賞。07年、紫綬褒章を受章。19年『島耕作シリーズ』で講談社漫画賞特別賞を受賞。中高年の生き方に関する著書多数。

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