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普段あまり小説を読まない人でも知っているであろう現代日本を代表する小説家、村上春樹。
ここのところ、わりとコンスタントに小説を読んでいるにも関わらず、しばらく村上春樹からは敬遠していた。20歳ごろの頃、なぜだか彼の作品を好きになりたくて「ノルウェイの森(上)」を読んでみたのだが、彼の描く男女の距離感や独特の表現がなぜかあまり好きになれず、どうしても読み進めることができなかったことをよく覚えている。
それからめっきり村上春樹からは距離を置いていたが、今夏、村上春樹の短編を映画化した『ドライブ・マイ・カー』が、第74回カンヌ国際映画祭にて日本映画初となる脚本賞ほか、国際映画批評家連盟賞、AFCAE賞、エキュメニカル審査員賞という3つの独立賞も受賞というニュースを見た。メインキャストは、西島秀俊に三浦透子、岡田将生、霧島れいか。
映画を観た後に小説を買い、答え合わせをするような感覚で原作を読むことがもはや趣味と化しているのだが、今回ばかりは原作を先に読んでから映画に挑まないといけない気がして、「ドライブ・マイ・カー」が収録されている「女のいない男たち」を早々に購入。久々の村上春樹との再会、まさか自身がハルキスト予備軍になるなんて…
まずは、原作「ドライブ・マイ・カー」が収録されている「女のいない男たち」について、軽く触れておこうと思う。
原作「ドライブ・マイ・カー」収録「女のいない男たち」

「女のいない男たち」は、2014年4月18日 文藝春秋より発売された短編集である。今回映画化された「ドライブ・マイ・カー」の他に、「イエスタデイ」、「独立器官」、「シェラザード」、「木野」、「女のいない男たち」という短編6作品が収録されている。
本のタイトルになっていない作品が映画化されるって、クラスであまり目立たない子が合唱コンクールの練習でソプラノパートのリーダーに抜擢されるような感覚。個人的にとても好きだ。
映画化された「ドライブ・マイ・カー」は、舞台俳優である家福を苛み続ける亡き妻の記憶について描かれている。家福の専属ドライバーのみさきとの対話の中で妻の思いが紐解かれていくが、原作の結末は村上春樹作品特有、モヤッと締めくくられている。
6つの物語はそれぞれが独立しているが、登場人物がどこかとてつもない闇を抱えていたり当たり前だと思っていた日常がパタリとなくなったり、不穏な空気が流れはじめた瞬間に一気に糸が細くなりプツンと切れてしまう、そんな共通項がある。
加えて、なぜ村上春樹作品の主人公は至って普通っぽいのにどこか色気が感じられる男ばかりなのか…ちなみに、個人的には「独立器官」が一番好きだった。
ここからは、原作を知っているからこそより映画を楽しめる醍醐味について語っていこうと思う。
※次ページ以降、ストーリーのネタバレを含みます
–{衝撃のストーリー:映画『ドライブ・マイ・カー』は「ドライブ・マイ・カー」ではなかった}–
衝撃のストーリー:映画『ドライブ・マイ・カー』は「ドライブ・マイ・カー」ではなかった

家福(西島秀俊)と音(霧島れいか)のベッドシーンから映画はスタートする。行為中の会話、と言ってもほとんど一方的に音が家福に話しているだけだが、そのセリフを聞いて頭の中が「?」だらけになった。
ーーこのセリフ、見たことあるけど、「ドライブ・マイ・カー」じゃない。
でも、確実に見たことがある。なんだっけ、これ。…あ、「シェラザード」のセリフだ。
「シェラザード」には、いわゆる不倫関係の男女が登場するのだが、その女が行為中に話す現実離れした物語と内容がほとんど同じなのだ。「前世はやつめうなぎだった」とか「高校生の頃、好きな男の子の自宅に空き巣に入ってバレない程度に物々交換をしたり、男の子の部屋のベッドの上で自慰行為をしていた」とか、聞けば聞くほどよくわからない物語である。
映画『ドライブ・マイ・カー』では、不倫関係の男女ではなく愛し合っている夫婦が、このような絵空事を話しながら互いを求め合っている。その姿は、紛れもなく理想の夫婦像だった。だって、結婚から数十年経ち年齢も重ね、普通は色恋だなんて気付かないフリをしながらなくなっていくものであろう。なのにあんなに…
他にも、「ドライブ・マイ・カー」のようで「ドライブ・マイ・カー」じゃない、既視感のあるシーンがあった。「木野」に登場するとあるワンシーンだ。

家福と音について理想の夫婦像だと語っておいてこんなことを話すのは心が痛いのだが、原作でも映画でも、音は家福以外の男性と大胆に不倫をしている。ただ、原作では不倫現場の目撃はしておらず家福の勘で察していた程度だったが、映画では出張が急遽なくなり帰宅したところ高槻(岡田将生)と関係を持っている現場を見てしまうシーンが出てくる。この部分は「木野」のモチーフが刷り込まれており、順風満帆な結婚生活との溝がより鮮明に描かれていた。
原作がそのまま映画化されるなんてことは思っていない。ある程度の脚色がついて当然だし、ましてや51ページの短編小説がそのままの形で3時間もの超大作になるとは(通常だと長編小説がたった2時間で映像化されるなんて、とむしろ逆のことを思うが)考え難い。
でも、まさか「ドライブ・マイ・カー」以外の作品の要素が盛り込まれているとは。これは、「女のいない男たち」を読んでいたからこそのサプライズだった。
–{神キャスト:小説上の架空の登場人物が、スクリーンの中で強く生きる}–
神キャスト:小説上の架空の登場人物が、スクリーンの中で強く生きる
原作が人気、話題であればあるほどに期待が高まりブーイングも受けやすいのがキャスティング。映画『ドライブ・マイ・カー』は、ストーリーもさることながらキャストも神がかっていた。

まず、行き場のない喪失を抱えながらも静かに自身を奮い立たせて生きる、舞台俳優であり演出家・家福役に西島秀俊。家福役を演じるために西島秀俊が存在していると言っても過言ではない。何事もなく振る舞っているけど心に深い傷を負っているそんな”孤独”な男、家福が、スクリーンの中に間違いなく存在していた。
代表作である「MOZU」や「ストロベリーナイト」、『奥様は取り扱い注意』(21)、『人魚の眠る家』(18)、直近だと「シェフは名探偵」や今年の11月に公開を控える『劇場版 きのう何食べた?』など、どれも人気作品ばかりだ。少し影のある役がここまで似合う俳優は他にいるのだろうか。「西島秀俊が出ていれば間違いない」ブランディングがすっかり定着している。

次に、秘密を残したまま突然この世を去ってしまう脚本家である家福の妻・音役に霧島れいか。美しい容姿はもちろんのこと、確実に音そのものを生きていた。絵空事の物語を話したり、家福の台本の練習相手になったりすることから長台詞が多かったのだが、なんというか硬い色気のある声がなんとも特徴的で、一瞬耳障りなように思うのだけど聞いているうちになぜか癖になっていく。
家福が浮気現場を目撃した日の夜、予定通り出張先のホテルにいると思い込んでいる音と家服がビデオ通話するシーンは胸が張り裂けそうだった。他の男の前であんなに乱れておきながらパソコン越しの音はいつもと変わらず愛に溢れていて、その隔たりが家福をより苦しめているんだろうなと…

そして、家福の心を大きく動かすキーパーソン、音の脚本作品にも出演歴のある俳優・高槻役に岡田将生。観る前は「ほぉ、ここで岡田将生か」と思っていたが、自分の気持ちに正直すぎる、でも憎めない、そんな少年っぽさが残った青年を見事に演じ切っていた。ラストにかけての車中での長回しの独白、あれは間違いなく『ドライブ・マイ・カー』の中でベスト3に入る名シーンだ。
岡田将生といえば「大豆田とわ子と三人の元夫」の中村慎森が記憶に新しい。私の中ではすでに岡田将生の代表作となっている。高槻と中村慎森、うーん、甲乙つけがたい…!

最後に、ある過去を持つ寡黙な家福の専属ドライバー・渡利みさき役に三浦透子。恥ずかしながら知らなかったのだが、2代目なっちゃんだったそうだ。歌手としても活動しており、新海誠監督『天気の子』にボーカリストとして参加していたんだとか。改めて楽曲を聞いてみると、透明感のある歌声に魅了される。
そんな彼女は、飾りっ気がなく他人に干渉しない、人と一定の距離を保って過ごしているみさきのイメージ通りだった。家福に意図せず褒められ照れ隠しのために犬と戯れたり、家福の愛車の屋根を開けて空に向かってふたりでタバコを吸ったり、徐々に徐々に家福に対して心をひらいていく様子が愛おしい。
主要キャスト4人の役柄がハマっていたのももちろんのこと、それぞれの関係性も非常にマッチしており、原作とのギャップを一切感じることなく最後まで観ることができた。特に家福と音のベッドシーンには男女問わず釘付けになってしまうであろう。
まとめ:異なる物語が融合することでより浮き彫りになる”狂愛”

映画『ドライブ・マイ・カー』は、原作である3つの異なる物語ーー「ドライブ・マイ・カー」、「シェラザード」、「木野」ーーが融合されているからこそ、より歪な愛が浮き彫りになっているように思う。
「シェラザード」のエッセンスを入れることでより強固で甘い夫婦関係を、「木野」のエッセンスを入れることで有望から絶望への傾斜が激しく、一層残酷さが増しているのである。
もし、他の短編作品「イエスタデイ」、「独立器官」、「女のいない男たち」が融合されていたらどんな作品になっていたのだろうか。そんな妄想も含めて原作を読んでいるからこそより楽しめる村上春樹ワールド、映画館に足を運ぶ予定がある方はぜひ原作を熟読してから挑んでいただきたい。
>>>『ドライブ・マイ・カー』原作収録の「女のいない男たち」をチェックする
(文:桐本絵梨花)
–{『ドライブ・マイ・カー』作品情報}–
『ドライブ・マイ・カー』作品情報
ストーリー
舞台俳優・演出家の家福悠介は、脚本家の妻・音と満ち足りた日々を送っていた。しかし、妻がある秘密を残したまま突然この世を去ってしまう。2年後、演劇祭で演出を任されることになった家福は愛車のサーブで広島へと向かう。そこで出会ったのは、寡黙な専属ドライバーみさきだった。喪失感を抱えたまま生きる家福は、みさきと過ごすうちに、それまで目を背けていたあることに気づかされていく。
予告編
基本情報
出演:西島秀俊/三浦透子/霧島れいか/パク・ユリム/ジン・デヨン/ソニア・ユアン/ペリー・ディゾン/アン・フィテ/安部聡子/岡田将生
監督:濱口竜介
公開日:2021年8月20日(金)
製作国:日本