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2021年09月16日

傑作エンタメ生き地獄映画『由宇子の天秤』のプロデュースを『この世界の片隅に』の片渕須直監督が務めた意義

傑作エンタメ生き地獄映画『由宇子の天秤』のプロデュースを『この世界の片隅に』の片渕須直監督が務めた意義



2021年9月17日より映画『由宇子の天秤』が公開される。

まず、本作は絶対にネタバレを踏まないまま、なるべく予備知識を入れずに観た方がいい。何しろ、2時間32分という長めの上映時間があっという間に感じられる、予想外の展開に翻弄されまくりの、良い意味で心底イヤな気分になれる、傑作エンタメ生き地獄映画だったのだから。



あらすじを一行で表すのであれば「ドキュメンタリー監督であり父の学習塾を手伝う女性が、想像だにしない最悪の事態の解決に奔走する」というもの。皮肉的なのは、彼女が3年前に起きた女子高生いじめ自殺事件を追う、「真実」を映し出す映像に誠実に向き合うはずの人物だったことだ。そんな彼女が、自らの身に降りかかった事態に対して、信念がゆらいでしまうのだから。

その後も主人公はさまざまな事象に遭遇していき、葛藤する。確かな正義感と倫理観を持っていたはずなのに、目の前の吐き気を催すほどの事態の連続のために、究極の決断を迫られる(タイトルさながらに天秤にかけられる)様は、まさに生き地獄と呼ぶに相応しい。そのとんでもなく意地の悪い(褒め言葉)展開のつるべうちが、ひと時たりとも飽きさせず、とにかく面白いのである。



もう1つの注目ポイントは、絶賛に次ぐ絶賛を浴びたアニメ映画『この世界の片隅に』(16)の片渕須直監督がプロデューサーの1人として名前を連ねていること。片渕監督は本作で「『事実』が変形されてゆく様があり、そこに確かにいた人たちの本当の姿や気持ちが損なわれ、伝わらなくなり、理解できないものに変わっていく過程という、普遍的に存在する落とし穴が表現されている」ことに、自身のプロデュース作品としての意義を感じていたらしい。

その片渕監督の想いは、『この世界の片隅に』という「戦時中」の出来事を綴った映画を作り上げたことにも関わっている。というのも、片渕監督は同作で膨大なリサーチ重ねて表現した生活描写が、当時を知る高齢者から「自分がそこにいた空気だった」と受け止めてもらえた、戦争を知らない世代からも「戦時中とはどんな時代だったのか」を理解してもらえたと、確かな手触りを得られていたという。

確かに、『この世界の片隅に』は物語そのものはフィクションであり、しかもアニメ映画であるが、そこにいた人をリアルに綴る作品という意味では、『由宇子の天秤』の主人公が劇中で手がけるような、ドキュメンタリー的な側面を持つ作品でもある



だが、劇中で「真実」を描くはずのドキュメンタリーの作り手の主人公は、自身の「正しさ」と向き合わなければならなくなる。戦時中と現代という時代の違いがあり、作品のトーンも全く異なるが、なるほど片渕監督が本作のプロデュースに意義を感じた理由が、確かにわかるのだ。

その上で、片渕監督は「この映画が目的としているのは、人間とはどのような弱さを持った存在なのか、どんなふうにゆらぐのかを描き出すことです」と語っている。片渕監督自身は、プロデューサーとして​​関わったのは主に「脚本に書かれたことをできるだけ正確に読み下す」ことと思っていたそうで、物語に大きく影響を与えたというわけではないだろう。だが、作品に対する「理解」はこれ以上はないほどのものであり、プロデューサーとして最適な人物だったと言えるのではないか。

瀧内公美、河合優実、梅田誠弘、光石研などの実力派俳優たちの熱演も圧巻で、春本雄二郎監督の確かな演出力もきっと伝わるはずだ。何より、本作は文句のつけようもないほどにエンタメとして面白く、その上で現実にある問題や矛盾をあぶり出す社会派の面も備えている、全方位的にハイレベルな一作だ。劇場で、この濃厚な傑作エンタメ生き地獄映画を味わって欲しい。

(文:ヒナタカ)

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